馬公の主なスポットを徒歩で巡るツアーです
こんにちは、台北ナビです。
台湾リピーターともなれば、一度は離島へ行ってみたいもの。いくつかある離島の中でも海のきれいさ、そして様々な文化が混ざり合っていることで澎湖は人気を得ています。
澎湖観光は「スクーターをレンタルし自分でまわる」「ツアーバスに乗ってまわる」の2つが主な方法になりますが、もう少し気軽に澎湖を観光したい方にオススメしたいのが、今回ご紹介する「
媽宮文化小旅行」です。
ネットで申し込むだけで楽々!
ガイドさんは黄色いベストを着用しています
この「媽宮文化小旅行」は個人旅行の方にもっと澎湖の馬公のことを深く知ってもらいたいと澎湖政府が企画したツアーで、12名以下の参加は無料です。廟、町の飾らない様子、眷村(外省人が居住していた場所)など、知っているようで知らない澎湖のことを感じることができるようになっています。
催行人数は3名~12名。1週間前までに予約をお願いします。予約後すぐに自動的にメールが配信され、予約確認後に再度メールが送られてきます。当日は集合場所にて黄色のベストを着たガイドさんを探してください。当日キャンセルされる場合は、必ずメールに書かれている電話までご連絡ください。
馬公体験に出発!
中央街の標識!
今回は、予約した際には別の参加者もいたのですが、急遽来られなくなったとかで、ナビ一向のためだけにガイドをしてくださいました。
そのため、参加者全員が訪れたことのある「天后宮」はパスし、他の場所をじっくりと案内してもらったため、今回ナビが紹介するルートは本来のものと少し違います。こんな風に柔軟にコースをアレンジしてくれるのも嬉しいですね。
必ず訪れたい観光地!
ナビ一行は集合場所から啟明街の細道へ入り、中央街の北側にある「四眼井」へ。
四眼井はいつ作られたのかは定かではないのですが、元の時代に設けられたのではないかといわれています。中国大陸から台湾へ来る人々は必ず澎湖に立ち寄り、ここで水の補給をしていたといいます。その際、不足していたものをこの中央街で買い足していたそうで、中央街の発展は四眼井にあると言っても過言ではないそうです。
この細道を入れば中央社があります
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右側(北側)へ行くと四眼井が!
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一見、なんてことない井戸ですが、澎湖の発展に貢献している現役の井戸です
漢方屋の前で売られている薬膳タマゴは大人気!
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漢方を天日干ししています
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澎湖ではじめての旅行会社「
中央旅社」は1923年に作られ、今でも民宿を営業しています。
看板の横に「太極」と書かれた「八卦」が置かれているのが見えますか?これは魔よけの働きをしています。中央社の目の前は先ほど歩いてきた細道。三叉路の突き当たりにある家は悪い気が多いということで魔よけのお守りである「太極八卦」がつけられています。
天后宮の方向へ歩いていくと、ガイドさんが地面にお水をかけ始めました。どうしたのかな?と思ってみてみると、お店のひとつずつに日本統治時代と光復後にどんな用途で使われていたのかが書かれている敷石がありました。水をかけることで字を見やすくしてくれていたんですね!
萬軍井
三級古跡となっている「
施公祠」は澎湖の典型的な合院つくりが見られ、施琅がまつられており、その近くには施琅に関係のある「
萬軍井」があります。
その昔、中国大陸から施琅率いる軍が澎湖を攻め込んだ際、兵士は疲労困憊、しかも水不足で、士気が著しく低下していました。施琅は皇帝から賜った宝の剣で井戸を掘り、数万の兵の飲料水確保に成功したといわれており、その際作った井戸がここだという伝説が残っています。
現地のガイドならではのルートチョイス♪
ここに市場があったなんて…
今回は観光をパスした天后宮。その前の道には昔市場がありました。
魚なども売られていたのですが、媽祖様の目の前で魚をさばくのは憚れるということで、天后宮の前に大きな壁が作られました。媽祖様のパワーは巨大であり、媽祖様の前に住むとその力に負けてしまうとも考えられていました。その力が和らぐようにこの壁が作られたとも考えられているそうです。
さて、元市場をズンズン歩くと「
水仙宮」に到着します。
水仙宮は澎湖の四大廟のひとつに数えられており、航海の安全を願って作られました。水仙尊王の文字の上をよく見ると「台廈」の文字があります。これは1900年代、ここが日本人によって、台湾と廈門(アモイ)の通商貿易の場所とされたことからきています。何度か修復がなされていますが、昔の建築スタイルを残しながら、玄武岩や珊瑚礁などの澎湖らしい建材を使用しているのも特徴のひとつです。
台廈の文字が見えますか?
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他の場所ではあまり見かけない作りをしています! 澎湖らしい♪
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また、廟手前右側には日本統治時代に建てられたというバロック様式の建築物が残っています。これもお見逃しなく!
民族路を歩きました
民族路と中山路の交差点には、日本統治時代の1924年建てられた「馬公郵便局」があります。
木造のヨーロッパ的な建物に、兜をかぶっているみたいな瓦屋根が和洋折衷で愛らしいです。以前は中華電信のオフィスとして使用していたようですが、現在は使用されていません。
日本統治時代は「水上警察官吏派出所」として使われていました
さらに南へ下ると「
澎湖警察文物館」があります。
ガイドさんは「ここはね、クーラーが効いていて最高よ!ちょっと休憩」と言って意気揚々と建物に入っていきました。笑 館内には澎湖の警察に関する資料などがこぢんまりと展示されています。もちろんクーラーも効いていて、トイレもあります。本当になかなかいい休憩場所でした!
その後中山路に戻り、左方向へ。ここには「順承門」があります。
1885年の中法戦争の翌年に媽宮城が築かれ、5つの城門を作ったのですが、そのうちの「小西門」が順承門です。澎湖の風は強いため、城壁や城樓の背は低く作られています。5つの城門のうち、唯一保存された門樓であり、とても貴重です!
「澎湖警察文物館」にあった地図に媽宮城の簡単な図がありました
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背の低い城壁
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順承門を後にし、西へ進むと「
情人道」に来ました。
海沿いの道はカップルのデートに最高の場所で、美しい夕陽も見られるそうですよ。ここを抜けると「外婆的澎湖灣」で有名になった歌手の「潘安邦」と阿妹のプロデューサーとしても知られる「張雨生」が時を違えて幼い時を過ごした「篤行十村」があります。
ここは台湾で最も古い眷村だといわれています。日本統治時代に日本の軍隊が進駐後建築した軍事施設、感謝、宿舎が前身となっているため、日本人の私たちが見ても懐かしい空間になっています。
外婆的澎湖灣モニュメント
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裏門から入っていきましょう!
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今回2時間半ほどの時間をかけ徒歩で巡った馬公の観光スポット。ガイドさんがいることで今まで自分だけでは見えていなかった風景や知らなかった場所などを知ることができました。こんなに深く馬公を知ることができるツアーが無料だなんて、澎湖政府は太っ腹!!次回ももう一度このツアーに参加し、もっともっと馬公が知りたくなりました。
以上、馬公の町並みに恋しそうな台北ナビがお届けしました。