台湾にて絶賛再上映中!映画「KANO」に出演した日本人俳優を直撃!映画の見どころや撮影時の裏話を伺いました!
画像提供:©果子電影
こんにちは、台北ナビです。
今年2月27日に公開され、台湾で大ヒットした映画「KANO」。日本でも来年1月24日に公開が決まり、すでにCMをご覧になったという方もいるのではないでしょうか。
台湾の「KANO」フィーバーは公開から半年以上経った現在も衰えず、9月25日からは再上映もスタート!再上映を記念して、華山文創園区で主演の永瀬正敏さんによる写真展も開催されています。
また10月1日にノミネート作品が発表された第51屆金馬獎では、日本人初の快挙で主演男優賞にノミネートされた永瀬さん含め6部門にノミネートされました!
今回は台湾野球映画の歴史を塗り替えた「KANO」出演者の中から、ライト9番・福島又男を演じた日本人俳優・山室光太朗さんを直撃!出演の経緯から撮影の裏話まで、知られざる舞台裏と映画への思いを語っていただきました!
台湾から突然のオファーに、周囲も騒然!
——まずは「KANO」に出演が決まった経緯を教えていただけますか?
これがすごく不思議で、ある日突然台湾から事務所に「山室さんに映画に出演してもらいたい」というメールが届いたんです。僕はまだタレント名鑑にも載っていないですし、2012年ですから、デビュー作も公開されていなかった頃なんですけど…。後から聞いた話では、日本の俳優のプロフィールをすべて調べて選んだということでした。
ウチの事務所は台湾と何の関連もなかったですし、今まで海外からの話もなかったので、最初は社長も含めてみんな「騙されてる」って(笑)。僕もまだ事務所に入って5~6ヶ月だったんで、どうすればいいかわからなかったです。
話が本格的になったのが2012年の8月くらい。プロフィールに笑顔しかなかったので、他の表情の写真を送ってくださいと言われて、送ったら次はVTRをくださいって。まだ作品が何も放送されていない状況だったので、社長とマネージャーさんと一緒に自己PRのVTRを作ろうということになって。それを先方に送ったらすぐにOKですという返事がありました。そのVTRは本当に恥ずかしいレベルだったんですけど(笑)。
——ということは、「KANO」がほぼデビュー作なんですよね。
メインキャストとしては「KANO」がデビューです。その前に「永遠の0」にもサブキャストとして出させていただいていて、それが正式なデビューになります。ドラマは「警視庁捜査一課9係」に呼んでもらったのが最初で、その次が「KANO」です。
馬監督が突然日本に!
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——書類やVTRを送った後、オーディションに参加したんですか?
いえ、その後すぐに、馬志翔(マージーシアン)監督が新宿のワシントンホテルに来ることになって、急遽お会いすることになりました。日本語が喋れる監督さんだと思っていたんですが、通訳さんがいて、「この資料を見てください」と言われたのが、嘉義の街並みなどの写真。だからその時点でもう合格だったみたいです。
実は最初、僕は福島又男ではなくて、斉藤公好の役だったんですよ。諸事情によって撮影の途中で福島役になったので、最初は斉藤役の説明を受けました。
馬監督は子供みたいな笑顔で話す人で、ピュアな感じ、嘘偽りがない感じがしました。その時、「明日すぐ台湾に来てください」って言われたんです。それが9月27日くらい。「あ、明日ですか?パスポートないんですけど」って(笑)。チケットが取れないので10月3日まで待ってください、ということになって、すぐパスポートを取りに行きました。僕それまで一度も海外に行ったことがなかったんですよ。
飛行機に乗ったら後ろの席にいたのが、(大倉)裕真でした。「親子かな?」って思っていたんですけど、女性のマネージャーさんと一緒だったんです。親子なんて言ったら怒られるかな(笑)。
左から2人目が共演の大倉裕真さん、写真一番右が山室さん
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——もっと正式なオーディションが行われたのかと思っていました。
ワシントンホテルでの面談が、オーディションだったみたいです。後からキャスティングについて聞いたら、5年以上の野球経験があって、あとは身長ですね。KANOのメンバーを日本人が初めて甲子園で見た時に、めちゃくちゃデカくて真っ黒だというイメージだったということで、自分は身長178センチなんですけど、それくらいないと嘘っぽくなっちゃうから、身長を見て決めたということでした。
福島と斉藤で迷っているとは聞いていたんです。この2人は似た要素があるから、どちらでも大丈夫でしょうって。寡黙で言葉をあんまり発しないというか、いつも笑顔でみんなを和ませるタイプ。あと繊細な部分が似てるって。誰かが怒っていても安心させるようなイメージなのかなって捉えたんですけど、実際はよくわからない(笑)。
ただ自分不器用なんで、繊細にやってるつもりでも何かこぼしちゃったりとかして、よく撮影中注意されました。野球に関する動作だけじゃなく所作なんかも。
出演が決まった時はやっぱり嬉しかったです。だから社長が怪しいって言っていた時も、自分は経験のために行きたいですって言いました。自分でやりたいと言ったからにはやるしかないって気持ちで台湾に向かいました。
——台湾映画は見たことがありましたか。
正直言うとそれまでは魏德聖(ウェイ・ダーション)さんのことも知らなくて、後から調べてすごい人だとわかりました。撮影に入る前、まだ日本でセデック・バレのDVDが入手できなくて。出発まで1週間しかなかったので、見つけられなかったんですよね。
——台湾の高校が甲子園に出ていた。この話を最初に聞いた時はどう思いましたか。
自分も野球をやっていたので、最初に台本を読んだときは、めちゃくちゃすごいな、と。小学4年生の時、自分で昔のことを調べる、という宿題が出た時に、甲子園の歴史を調べたことがあったんです。でもその時の本には嘉農のことは載っていませんでした。だからまず「そんなの知らないぞ」って思いましたね(笑)。自分が調べたのは戦後のことだったみたいで、この話をいただいてから自分で調べ直して、本当にあったんだ、すごいなって思いました。
真っ暗な部屋に連行?まさかの猛特訓!
——馬(マー)監督に会って1週間後に台湾へ行ったら、何が待っていたんでしょうか。まず着いたら、監督と会った時の通訳さんが案内してくれて、ついて行ったら裕真たちがいました。「あ、どうも」ってぎこちなく挨拶して(笑)、その時に親子じゃなかったんだってわかりました。それからマイクロバスに乗ってまずはキャスティング部のボスと食事。食事後、師範大学の宿舎に連れて行かれて、撮影まで滞在していました。師範大で撮影前の練習があったんです。
初日から、「荷物置いたらちょっと来てください」って言われてついて行ったら、真っ暗な部屋に案内されたんです。「真っ暗なのに入るのかな?」と思いながら入ったら、闇の中から日本語で「静かに横になって」という声が聞こえて、「心を静かに休めて、ゆっくり力を抜いていって」と言われました。その通りにしていたら、明かりがついて、起き上がったらそこにKANOのメンバーがいました。
声の主は蔭山(征彦)さんでした。そしてアキラ=曹佑寧(ツァオ・ヨウニン)から順番に「私は曹です、よろしくお願いします」って日本語で自己紹介。全員終わったら「覚えた?」と言われ、「何人かは覚えました」って(笑)。それで自分たちも「よろしくお願いします」と挨拶したのが1日目でした。
——ずいぶん劇的な初日ですね。真っ暗だったのはなぜなんでしょう?
練習が始まる前に、気持ちを休ませてリラックスした状態を作るために真っ暗にしていたみたいです。心の中にある不安とかをなくすために。これは毎回やっていました。最初は知らないから、「ヤバい、やっぱり騙されたのか」って思いましたよ(笑)。
2日目はもっと劇的だったんです。朝5時に集合で、体操を1時間くらいして、走るんですよ。師範大の周りを6、7キロ走った後に、階段を11階まで駆け上がるぞって。「嘘でしょ?こんなの聞いてない」って感じでした(笑)。もう死ぬ気でなんとかついて行ったんですけど、そのすぐ後に腹筋背筋。筋トレの後は声出し。屋上で「あいうえお、かきくけこ」って発声練習です。中京商の吉田正男役をやっていた(張)鎧嚴がその時からコーチをしてくれていました。
1日目は練習の後何をしたかも覚えてないです。だんだん慣れてからは夜の空き時間に夜市に行ったりしていました。宿舎の中にミーティングルームがあって、そこでみんな日本語を勉強していたり、弁当を食べたり。日本語と英語と中国語を混ぜてジェスチャーで会話していました。
——まるで映画と同じですね(笑)。最初にメンバーと会った時の印象は覚えていますか。
印象的だったのは「身長高いな」ってことですね。自分も日本では高い方なんですけど、みんな180センチ以上あって、うわ、デカいなって。特に真山=謝竣倢(シェ・ジュンジエ)とアキラ、東=謝竣晟(シエ・ジュンチェン)なんかはデカかった。しかも年齢を聞いたらみんな俺より年下だったんですよ。上松=鐘硯誠(ジョン・ヤンチェン)だけが同い年。ビックリしました。
——チームのみんなのことは、今も役名で呼んでいるんですね。全員本名はわかっているんですけど(笑)、そうですね。平野=張弘邑(チャン・ホンイー)は中国語読みでピンイエって読んでいたり、蘇さん=陳勁宏(チェン・ジンホン)は年下なのにさん付けだし、けっこうイメージで呼んでいますね。アキラはやっぱりアキラです。
移動、移動の日々…野球撮影の横で野球!?
——撮影中印象に残っているのはどんなことですか。撮影期間は台湾中を回っていました。基本は練習場なんですけど、正直どこにあるのか今もわからないんです(笑)。川の近くの野球場。スタッフさんに身を任せていたので、撮影場所はどこって聞かれても全然わからないんですよ。とにかく移動が多くて、撮影が終わったらすぐ移動っていう日もありました。
ロケ中の宿舎では、自分たち日本人は1人1部屋もらっていました。台湾の子たちは2人1部屋だったりしたんですけど、自分たちには、プライベートな時間がないと参っちゃうんじゃないかという配慮があったみたいです。
——実際に気分が落ち込んだり、日本に帰りたくなったりしたことはありましたか。恥ずかしい話ですが、何度も帰りたいと思いました。途中3回帰国させてもらったんですが、撮影期間は半年間ありましたから。撮影中に20歳になったんですけど、成人式にも出られませんでした。成人式の夜Facebookを見て、「これ誰だろう?」なんて一人寂しく思っていました(笑)。
——現場では誰といることが多かったですか。撮影中は基本ずっとチームのみんなと一緒にいました。休憩時間もあまりないし、すぐ呼ばれるから現場で休憩してたし。あとはみんなで野球をやっていました。野球のシーンを撮影している横で野球やっているんです。疲れきっている時もあったけど(笑)、余裕がある時はみんな野球をやってましたね。野球の腕でいうと、アキラはやっぱり別格でした。真山や蘇さんも相当なレベルです。
そういえば、上松がずっと「痛い、痛い」って言っていたのを覚えてます(笑)。上松は野球自体がほぼ初心者だったですよ。上松だけ特別で、1年くらい野球をやったことがあるだけだったんです。古いグローブなんで、取る位置を間違えると相当痛いんですけど、それを何度も繰り返していました。
——他に試合シーンでケガなどはなかったんですか。自分ももともとサードとショート以外ならどこでも守っていたので、ライトでも問題ないと思っていたんですけど、硬球と軟球では重さが全然違うので、力の加わり方が違うと全然飛ばなかったりするんです。軟球では肩が弱い方ではなかったんですけど、硬球だと力の入れ具合ではホームに届かなかったりして、トレーナーさんに肩から首にかけての筋肉が全然足りないって言われました。撮影中は基本思い切り投げていたんで、僕もずっと肩のあたりが痛かったですね。
——撮影中にはWBCも開催されましたよね。台湾と日本の試合は見ていたんでしょうか。
みんなで見ていました。その日だけは台湾対日本で、「俺たちが負けるわけない」「いや俺たちも負けるわけない」って(笑)。その時台湾と日本のハーフの人とか、通訳さんたちから、台湾は国際的には「中華台北」として出場するけど、WBCでは日本人に「台湾」と呼んでもらった。それで嬉しくて泣いたっていう話を聞いたんです。日本にいるとわからないけど、そういうこともあるんだな、知れてよかったなと思いました。自分はこの歳まで海外に出たこともなかったし、たぶん一生出ることはないと思っていたので、この映画はすごくいいきっかけになったと思います。
現在華山文創園区で永瀬正敏さんによる写真展。開幕記者会見では山室さんへも作品パネルが贈られました
——永瀬正敏さんとの共演で印象深かったことはありますか。
すごく優しい、尊敬できる方です。ストイックなとこもあって、でもそれを撮影中に見せないんですよね。もうそのまま近藤監督っていう感じ。怖い時もあれば、みんなが疲れているような時には笑わせてくれたり。本当にすごい方でした。こんな大人になりたいって思いました。
嬉しかったのは映画を見た両親の言葉
——半年間の撮影が終わった時は感慨深かったでしょうね。いや、実は何が起こったかいまいちわかってなかったんです。「殺青(クランクアップ)」っていう言葉の意味もよくわかってなくて。それに高雄で甲子園のシーンを撮り終わった時に、これで終了って言われてから、その後1週間撮影が続いたことがあったので、まだ終わってないんじゃないかと、半信半疑な部分があって、もう混乱です(笑)。泣いたらいいんだろうか、笑ったらいいんだろうか。
——戸惑ってたら監督が先に泣いちゃった。そうです、そうです。監督が泣いてて、これはどういうこと…?って、自分でもよくわからない顔になっていましたね。最後まで探り探り(笑)。打ち上げでやっと「ああ本当にこれで終わりなんだ」と思って悲しくなってきました。打ち上げの時に監督が、最後みんなにユニホームを渡してくれて、一人一人に言葉をかけてくれたんですけど、「君は頑張った。でもまだ少し足りなかった。君の頑張りはすごくよくわかっているよ」って言われて、ちょっと泣いてしまいました。悔しくもあり、監督にそう言わせる自分が情けなくもありました。
——映画の完成版を見た時はどんな気持ちでしたか。最初の上映は嘉義のパレード後に球場で見たんですけど、野外だから音が飛んでしまってあまり聞こえなかったんですよね(笑)。だから陰で支えてくれたスタッフさんたちの上映会の時に一緒に見させてもらって、このシーンはこういう風になっているんだって思いながら見ました。やっぱり自分のシーンがカットされてしまった時は悔しかったですけど。ぜひDVDに未公開シーンも入れてほしいです(笑)。
画像提供:大阪アジアン映画祭運営事務局
——映画を見た周囲の反応はいかがでしたか。
一番嬉しかったのが、両親と姉が大阪の映画祭に来てくれて、永瀬さんや監督さんに「一生自慢します」って言ってくれたんです。あれは嬉しかったですね。
——この映画の一番の見どころはどこでしょうか。
みんな自分がランニングで吐いたシーンが印象的だと言ってくれるんですけど、それで覚えてもらっているのは嬉しいです。あとは、自分も含めてヘッドスライディングを見てほしいっていうのはありますね。でも自分だけじゃなく、この映画は時代背景も含めていろんな人の目線で見ていただくのが一番なのかなと思います。
たとえば東がアキラに言う「自分だけが台湾の英雄になりたいのか」っていう台詞があるんですけど、あの言葉から読み取れる東の目線。みんな英雄になりたいというのがあったと思うので。あの時代、原住民の方々がどういう扱いを受けていたかっていうのを知ると、また違った見方ができるんですよね。撮影後に「セデック・バレ」を見させてもらって、この時代のことを知るのに一番わかりやすいのが魏さんの作品だと思いました。原住民の方々がどういう扱いを受けていたかというのが、勉強になりましたね。
——現在台湾に短期留学中なんですよね。中国語をちゃんと勉強しようと思ったのはどうしてですか。
撮影中に中国語が話せなくて、みんなや監督さんが言っていることがわかってなかった自分が悔しかったので。撮影中からちょっと勉強は始めたんですけど、ずっと中国語ばかり聞いていたら頭が混乱してきて、一旦辞めていたんです。でもその後やっぱり共演者の言葉やファンの方々が言ってくれていることをちゃんとわかりたいと思って、しっかり勉強しようとまた思えて。それで今回まずは1ヶ月だけ短期留学させてもらいました。また戻ってきたいと思っています。
——俳優になろうと思ったきっかけは何だったんですか。
小さい頃からテレビっ子だったので憧れはあったんですけど、高校3年の時に友達が俳優をやり始めたんです。友達が「面白いよ」っていうので、自分にもできるかなぁっていう気持ちになって、大手芸能事務所の養成所に応募しました。オーディションを受けた時に台詞を覚えるので精一杯で、すべて棒読みになってしまって、その時すごく悔しいなと思ったんです。野球を辞めた時と同じくらい悔しかった。ここであきらめたら終わっちゃうけど、やってみたらまた違うんじゃないかと。養成所に1年行ってから、今の事務所に入りました。
ナビファミリーと記念撮影
——台湾でよく行くところや、お店はありますか。
KANOで知り合った高雄のゲストハウス「あひる家」さんを経営している佐々木さんという方がいるんですが、その方に教わった中正大飯店の裏にある麺屋の乾麺がめちゃくちゃおいしいです。だから乾麺を探すことにハマってます。台北では果子電影の裏の乾麺屋さん。それから北村(豊晴)監督がやっている北村家のカレーがおいしいです。日曜のまかないのカレーが月曜に5食限定で出るんですが、それがすごくおいしいんです。
——今後中国語を習得したら、台湾でも活動できますね。はい、考えています。今回KANOで「吐いた人」として覚えていただいたので(笑)、そういう機会があったらいいなと思います。
写真展開幕を記念したサイン会にはたくさんのファンが集まりました
——永瀬さんの写真展の時に、ファンの方もたくさんいらっしゃって、プレゼントをもらっていましたよね。
本当にありがたい。嬉しい限りです。メッセージとか、手作りの人形とか、福島の絵を描いてくれてる人もいました。中国語は雰囲気でわかる人とわからない人がいて、ジェスチャーを加えてくださる方は聞き取りやすかったりします。ファンの方も日本語を覚えて話してくださるからには、こっちも相手の言葉で返すのが礼儀だと思うので、しっかりやり取りできるようになったらいいなと思っています。
——台湾では大ヒットで再上映もされていますが、来年1月の日本公開に向けて、日本の映画ファンの方たちへメッセージをお願いします。日本統治時代という一つの背景があるので、「海角七号- 君想う、国境の南 -」と「セデック・バレ」と「KANO」を3部作で見ていただきたいと思います。全部を見ることによって、いろんな日本統治時代が見られると思うんです。台湾の子たちはもともと俳優ではなかったし、僕もまだまだ素人みたいなものなので、演技に関しては雑な部分もありますが、楽しんで見ていただけたら嬉しいなと思います。
とても思慮深い好青年の山室さん、これからの活躍が楽しみな俳優さんです。なかなか壮絶な裏話を聞いて、ナビももう一度「KANO」を観るのが楽しみになってきました。痛みに耐えながら撮影したという臨場感あふれる試合シーンは、ぜひ大きなスクリーンでご覧になってくださいね!
以上、台湾と野球をこよなく愛する台北ナビがお届けしました。
ナビプラザに貼ってあるポスターにも山室さんのサインがあります。お立ち寄りの際はぜひチェックしてみてくださいね!
『KANO~1931海の向こうの甲子園~』
2015年1月24日(土)、新宿バルト9ほか全国公開
配給:ショウゲート
©果子電影
Kano1931.com
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