太平洋を望む台東の小さな港町、成功。高台から町全体を望むと、道はきれいに一直線であることがわかります。これにはある日本人の功績が関わっていました。
菅宮勝太郎氏です。1907年警察官として台湾に赴任後、1922年新港(現在の成功)支庁長に任命され、インフラの整備や漁港・道路の建設などを進め、地域の発展に寄与しました。
のちに移動を命じられた菅宮氏でしたが、新港を愛した氏は辞職し、1932年この地に家を建てました。それがこの「旧菅宮勝太郎邸」です。2003年には台東県の歴史建築に登録もされています。
当時、台湾南東部では唯一の木造2階建て日本式家屋。港を見下ろすことができたであろうベランダで、海風を感じながら新聞を読む菅宮氏の写真なども残されています。
そんな菅宮邸が立派な形で残されているのは、地元の人々の尽力あってこそ!
画像提供:新港教會「菅宮勝太郎邸」
壁にかかる貴重な資料は、陳さんが町の人を訪ね歩き、話を聞いて少しずつ集めたものだとか。菅宮氏の子孫らから預かった写真もあります。
陳さんはいいます。「この家で女中や使用人として働いていた人誰もが菅宮さんの名を出すと、泣いて懐かしんだ」と。なぜか――「勉強が得意と知ると、台南の学校へ送り出したのです。当然彼らはお金なんてありません。菅宮さんが費用の面倒までもみたのです。それも何人も」
この町は昔から原住民(特にアミ族)の人々も多く暮らしています。使用人の中にいは原住民も多く、その誰もに分け隔てなく支援をしたといいます。そのかいあって彼らはのちに政治家や教育者、警察官に。その子孫たちの中には国会議員になる者も現れ、地元に貢献しているとか。みな菅宮さんのおかげだと感謝しているそうです。
陳さんの口からは、「この人は……、あの人は……」と、さまざまなエピソードが飛び出します。菅宮氏と係わった誰もがそれぞれのストーリーを持っているのです。
そんな話の中から、ナビが気になったエピソードが。若かりし頃、菅宮氏宅に新聞を配達していたアミ族のおじいちゃんの話です。菅宮氏の話の中で、彼は「心残りがある」と陳さんに打ち明けてくれたのだとか。
それは、新聞配達店の店主(本屋も経営)が引き揚げる際、お礼と別れを告げに港へ行けなかったこと。見送りに行けば、今後の暮らしに影響があるからと家族に強く反対されたというのです。感謝の気持ちを伝えたい――。
その想いを受け止めた陳さんは、多方面の協力を得てSNSで呼びかけましたが、吉報は得られず。残念ながら、アミ族のおじいちゃんの願いは叶うことなく、数年前に他界されたそうです。陳さんは「店主の子孫を探し出し、代わりに想いを伝えて墓前に報告したい」と話してくれました。
当時の原住民と日本人の関係は、映画「セデックバレ」に代表されるような抗日的なものが強いのかと思っていましたが、そうではない一面を垣間見ることが。
そして、一市民であった店主とおじいちゃんの歴史上には残らないかもしれない物語と、時代を越えてその想いを伝えようとする台湾の人の姿に、脈々と続く日台交流の絆を感じたナビなのでした。
上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。
記事登録日:2023-10-30
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