急速に変化する時代の中で継承される伝統文化を見てきました!
こんにちは、台北ナビです。
皆さんは台湾原住民(先住民)が行う盛大な祭り「豊年祭」をご存知でしょうか?基本的には毎年7~8月に行われることが多く、簡単に言えば、自分たちの暮らす土地や祖先に感謝し、一年の豊作や無事を祈ることを目的としているのですが、実際のところ詳しい内容や意義、規模については、種族や地域、集落ごとに異なるんです。
このたび、ナビは友人から特別にお誘いを受け、台東県太麻里郷新香蘭部落で7月7日~8日に行われたアミ族の豊年祭に潜入してきました!その一部始終をご紹介します!
太麻里郷新香蘭部落とは…
ひっそりとしていますが、集落のメインストリートです
今回お邪魔した太麻里郷新香蘭部落は、台東県南部の沿海部にあり、台東市からは車で約30分の距離にあります。人口は約200人。ほとんどが台湾原住民のアミ族とパイワン族の人々です。ここに住むアミ族の人たちは元々台東県池上地区に住んでいたのですが、日本統治時代の初めに新香蘭から北に2キロ離れた旧香蘭部落に移住してきました。ただ、同時期には桃園や新竹から多くの客家人も移住してきたため、民族の違いによる衝突を避けようと、当時の台湾総督府がアミ族を新香蘭に移住を強制した経緯があります。
その後、屏東県恒春地区のアミ族や、本来山の中に住んでいたパイワン族なども新香蘭に住み着くようになり、現在に近いコミュニティーが形成されました。今でも新香蘭の海側はアミ族、山側にはパイワン族が暮らしています。
新香蘭のアミ族豊年祭は、ほかの地域のものと少し違った点があります。かつては稲作、漁業などに携わる人が多く、豊年祭も賑わっていたのですが、戦後に台湾が経済発展の時代を迎えると、新香蘭では若者を中心に多くの人々が集落を離れて遠く台北や桃園などに進学や就職するようになりました。太麻里は地理的に台北の反対側。最近でこそ花蓮から台東までの鉄道が電化され、台北から太麻里までの所要時間は4時間弱になりましたが、かつてはほぼ半日がかりでした。加えて乗車券はなかなか取りづらいという有様。太麻里とそのほかの地域に出て行ってしまった人たちはいつしか疎遠になり、また、故郷を離れた都市部での生活で、考え方にも変化が出てきてしまいました。
新香蘭は衰退する一方でしたが、2010年代に入り、大きな変化が訪れました。インターネットとスマートフォンの発達です。台湾人の多くがFacebookやLineのアカウントを持っていますが、それは太麻里のアミ族も同じ。離れ離れになった人たちがグループ機能を使ってタイムラグなしで情報が共有できるようになり、「太麻里新香蘭アミ族」としての意識が強くなり始めたのです。若者同士で青年会を結成し、太麻里の将来について考える機会も増えました。
そんな人たちが年に一度、部落に集まって行うのが「旧正月の年越しと同じくらい盛大に行われる」とも言われるこの豊年祭。新香蘭では、農作物の豊作を祝って祈るというよりも、伝統的な儀式を続けることを通じて、太麻里のアミ族としてのアイデンティティを強固なものにするという意味合いが強くなっています。
会場は集落の集会場で行われます
台北から夜行列車に乗って台東入りしたナビが会場にたどり着いたのは7日のお昼前。会場にはすでに多くの人たちが集まっていました。豊年祭自体は2日間の日程ですが、実際には多くの人たちが早めに帰省し、準備に取り掛かります。豊年祭を実行するに当たって中心的役割を果たす青年会のメンバーは、早い段階から準備に取り掛かり、今回も早めに集落に戻ってリーダーの家に集まり、踊りの練習をしたり、段取りを確認したり、お酒を飲んで楽しく語り合ったりと、親睦を深めたようです。
この日は朝早くに若者が近くの湧き水を汲みに行き、長老らに飲んでもらうという儀式から豊年祭が始まりました。
ただ、基本的にこの豊年祭は「行きたい時に行けばいい」というスタンス。住民の人は「だいたいこの時間にこれがある」という流れを分かっているので、疲れたら家に戻って休憩して、何かイベントがある時にもう一度出てくればいいんです。もちろん、おじいちゃんもおばあちゃんもスマホを操る時代なので、何かあれば電話で呼び出せばすぐ駆けつけられるというのも、小さい集落ならではのコミュニケーションツールですよね。
舞台上は頭目をはじめ、村長や来賓などが座る関係者席
たくさんの人が集まる豊年祭なので、会場には国軍が机を置いて志願軍人の募集をしていたり、水道会社の関係者が情報周知のためにFacebookページに「いいね!」を押すように頼んで回ったり、政治家さんが挨拶に来たりと、雰囲気は本当に自由です。
ここで注目したいのは、彼らの服装。豊年祭の時はてっきり正式な民族衣装を着るのかなぁと思っていたのですが、実際はTシャツにハーフパンツ、足元はスニーカーというラフな格好です。ただ、ビビットなカラーの装飾品を身につけるだけでグッと原住民の雰囲気が出ます。しかも、みんなきちんと自分の装飾具を持っているというのが凄いですよね。
そして、アミ族の服装といえば真紅が使われるイメージがありますが、ほかの原住民の要素を取り入れたり、現代風に鮮やかな色合いにアレンジされています。時代ごとに流行の色や素材があるようですが、古い写真を見せてもらうと、いつの時代も実にお洒落でした。
みんなで食べるご飯は格別
会場の外ではケータリング会社が昼食と夕食を調理していて、ご飯時には食事が振舞われます。会場には30分前からいいにおいが漂い始め、一度家に戻っていた人たちも続々と集まってきます。
会場にテーブルが並べられ、みんなでお椀とお箸を持ってつつきあいます。ちょっとお行儀が悪いように見えるかもしれませんが、みんなが顔見知りの家族みたいな間柄。コミュニケーションを楽しみながらおいしくいただきます。
ナビも友人の計らいでいただくことに。実は新香蘭アミ族豊年祭にお邪魔するのは2回目のナビ。前回来た時にはたくさんの小さい食用ガエルが入ったスープが出されたのですが、今回はありませんでした。残念。カエルのお肉、プリプリで鶏肉みたいな味がします。小骨が多いですが、とってもおいしいんですよ。
夜にはレクリエーションの時間もあります
昼間にあれだけ踊ってお酒を飲んで騒いだのに、宴はまだまだ続きます。彼らのパワーはどこからみなぎってくるのでしょうか?夜にはカラオケ大会とミニゲーム大会が行われます。小さい子供からおじいちゃんおばあちゃんまで、さまざまな世代が入り混じって遊ぶ姿はちょっと新鮮。
一連のイベントは21時には一旦終了するのですが、熱気覚めやらぬ人は会場に残ってお酒を飲んだり語ったりと、思い思いの時間を過ごしました。
大きな会場で気持ちよくカラオケ。しかしみなさんお上手
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イスに座った人が膝に風船を挟み、別の人が上にまたがって割るという、色々な方面からクレームが入りそうなきわどいゲームがあるのはご愛嬌。。。
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最大の盛り上がりを見せる「海祭」
2日目にはアミ族豊年祭最大のプログラム「海祭」があります。実は狩猟だけでなく、漁猟もするアミ族。男性陣が海に出て大きなカジキを捕まえて、勇士となって女性が待つ集落に持って帰る様子を再現する儀式が行われます。これには海の恵みに感謝する意味合いも含まれています。
男性陣は朝から盛装の準備に取り掛かります。前日は歌って踊ることがメインだったので比較的軽装だったのですが、この日はしっかりと着付けを行います。
旧香蘭遺跡近くの即席の広場に男性陣だけが集まり、話し合いが行われます。話し合いの際は女性は立ち入り禁止。ナビ一行も部外者となるので離れた場所で待機します。
いつもはお茶目なアミ族の男性たちも、この時ばかりは真剣な表情
傘は、日本統治時代に没収された武器の代用品。どんな傘を使ってもいいみたいです
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ちびっこたちも歩きます。伝統が継承されている瞬間ですね
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さて、こちらは勇士たちが目指す豊年祭会場。女性陣はまだ男性陣の姿が見えない時から入口で待ち構え、踊り続けます。炎天下で踊り続けるので、全身汗でびっしょり。それでも男性陣を盛大に迎えるために、踊り続けるんです。
観光バスの乗客と手を振りあう女性たち。祝賀ムードが伝播します
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勇士たちの道路横断を待つ人たちもケータイを取り出してパチリ
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この後も宴は続くのですが、そろそろ台北に戻らなければいけない時刻となり、ナビはここで失礼することに。
都市部で仕事をする新香蘭出身者が漢民族に混じって生活を送っている中で、自分たちの文化と触れ合える豊年祭は貴重な機会。そして、実際に訪れてみて、彼らが伝統文化を継承していることで、台湾独自の多彩な文化が育まれていることが実感できました。
新香蘭の人たちはとってもフレンドリーで、ナビが日本人だと分かると「日本の人たちにしっかりと紹介してね」と声をかけてくれる人たちがたくさんいました。
以上、とても素敵な新香蘭。なかなか気軽に行ける場所ではないですが、必ず再訪して、踊りの輪に加わりたいなと思った台北ナビがお伝えしました~!
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記事登録日:2018-11-01