花蓮の豊年祭、レンタルバイク見学記

稲の収穫も一段落した真夏、原住民の村々では恒例の「豊年祭」が開催。原住民ファンのナビ、花蓮の小さな村まで踊りを見に行ってきました!



ニーハオ!台北ナビです。東台湾。都会の生活を続けていると、ときおり無性に訪れたくなる自然がたっぷりな土地柄です。


真夏の7・8月、台湾の東海岸沿いの村々では、稲刈り後の豊年祭りで盛り上がります。それも、いっせいに行われるのではなく、村単位で開催されるお祭りなので、7月の中旬から8月の下旬まで、花蓮か台東のどこかの村で豊年祭りの踊りが開かれていることになります。
この時期、ナビゾーはできるだけ日程の合うどこかの村に訪れるようにしています。これまでも数度、豊年祭を訪れていますが、そのたびに村の人たちに温かく歓迎されてきたので「今年はどこの村に行こうか」と考えるのがちょっとした楽しみなのです。昨年はちょうど友人が豊年祭の踊りの現場を録音したいというので、1泊2日というハードなスケジュールですが行ってみよう、ということになりました。
花蓮県や台東県の観光サイトをチェックすれば、いつ、どこで豊年祭りが開催されているか日程が発表されるので、それを調べてみると、ちょうどお祭りにあたっているのが花蓮県玉里鎮の春日村というところ。まず一日目はその村を目指そうということになりました。

一路、瑞穂まで


地図を見ると、春日村は瑞穂駅から20kmほど離れた川沿いに発見。まずは東回り鉄道で自強号の台東行きに乗って花蓮の先まで。所要時間は約4時間。瑞穂駅に到着したのは夕刻になろうという時間でした。暑い台湾ですから、炎天下よりも夜涼しくなったころが祭も盛り上がるだろう、という計算でした。


瑞穂駅から春日村はバス路線もとても少ないようだったので、ここはバイクのレンタルをしようということで町を物色していると、宿の客引きをしていたとっても恰幅のよい、姉御肌のお姉さんが、ナビゾーたちが日本人だと分かると興味津々で近づいてきて、なんと日本語で話しかけてきます。目を丸くして「あなたがた、日本人かね」。この方、数年間日本に住んでいて、帰ってきたのだといいます。
「僕たち、レンタルバイクを探しているんです」と聞くと、はす向かいにあるバイク屋を指差し「あそこの主人と知合いだから交渉してあげる」といって一緒についてきてくれました。バイク屋さんは「一日500元ねー」とすぐに契約成立。ナビは持っている免許証をコピーしてもらって、手続き完了。移動用の足を手に入れたのでした。




■ このバイクが今回は活躍してくれました!
田舎の村までの遠征で、周囲に食堂もないかもしれないと、この駅前通で腹ごしらえをすることに。食堂にも姉御はついてきて「ワタシのダンナ、プロレスラー」とまことしやかな話が続きます。まあ、この体格ならナットクですが(苦笑)。人は悪くなさそうだったので、「縁は異なものやなぁ」と思いながらも、姉御の身の上話などに耳を傾けていたのでした。

食事が済んで、出発することに。その日の晩はこの駅からしばらく山側に入ったところにある瑞穂温泉郷に宿泊しようと思ったので、宿は頼みませんでした。

後ろに友人を乗せてしばし風をきってバイクを走らせます。町を抜けると、のどかな田舎道。途中で秀姑巒渓という、この近辺で最も大きな河川を横切るのですが、その川べりにはボート下りの案内所がありました。橋を渡ってしばらくすると、集落が見え、周囲は田んぼが一面に広がっています。
■ 次の日の昼間に撮影したボート下りの施設
■ 次の日の昼間に撮影したボート下りの施設

■ 次の日の昼間に撮影したボート下りの施設

春日村の「ハヘハヘ」踊り


もう暗くなっていましたが「春日」という道路標識で出てきたのでここらへんかな、と見当をつけてバイクを止め、沿道の立派な家の庭先で「今日は豊年祭、ありますか」と尋ねてみると、ちょうどそこの家はお祭りの幹事をしている陳さんの家庭で、「裏手の広場でハヘハヘ(踊り)があるが、もう少ししてからみんな集まるよ」と、まだこれからだというので、陳さん宅の庭先でお水などをふるまわれながら、祭りの進行などのことを聞いたりしました。
■ 宴にエンジンがかかるまでずいぶん時間がかかります。 ■ 宴にエンジンがかかるまでずいぶん時間がかかります。

■ 宴にエンジンがかかるまでずいぶん時間がかかります。

広場に集合の合図がかかっていたようなので行って見ることにしました。道は暗いので陳さんに道案内をしてもらいながら祭り広場に到着。ナビたちが行った時間は若い男が10人くらい。20代から30代の民族衣装を着た男たちが「ハヘハヘ~」とリズムをつけて踊っていました。踊りのことを「ハヘハヘ」っていってたのはこのことだったのですね。夕食時からまだまもなく、まだ若者たちが集まっていないようでした。しばらくして村のスピーカーから、怒鳴りつけるような村内放送が響きます。どうやら「いつまで夕飯食ってる!早く出てこ~い!」と若者に叱りつけているようです。




■ 踊りに女性が加わると、がぜん盛り上がりを見せます。




■ 長老は見物役。日本語で話しかけるとうちとけてくれました
しばらくして、村の若者がポツリポツリと集まり始めます。その度に踊りを指揮するリーダーは「お前、遅いぞ」とばかり叱り、若者に広場1周!のペナルティを与えます。そんなこんなでだんだんと輪が大きくなってゆき、踊りの掛け声のボリュームが上がってきます。この日の晩は若い男性の踊りの日だったようで、最初は女性は周りから見ているだけだったのですが、最後は女たちも加わっての踊りになってました。

闇夜の福音村


1つめの村の踊りが一段落したので、暗闇の中を2つめの福音村へ。バイクでわずか10分しか離れていない場所だったので楽だったのですが、ちょうど踊りが終わったところで到着してしまったようです。それにしても、こちらは女性の衣装がとても華やかだったのが前の村と違うところ。隣村でもずいぶんもテンションが違うものだと思いつつも、次の日のスケジュールを聞くと、明日の昼前と、夜8時ごろがセレモニーの時間なのだとか。で、時間を確認したところでサヨウナラ。この近辺には宿泊する場所もないため、瑞穂に戻って駅前で夜食を食べ、駅からバイクで10分ほど先にある瑞穂温泉の畳部屋で一眠り、となったのでした。
■ 宿泊地に選んだのは、ここ、瑞穂温泉
■ 宿泊地に選んだのは、ここ、瑞穂温泉

■ 宿泊地に選んだのは、ここ、瑞穂温泉

ふたたび、炎天下の福音村へ


気持ちよく晴れ上がった翌日、せっかくバイクもあるので、ナビは瑞穂温泉郷の先にある紅葉温泉までドライブ。週末だったのでたくさんの家族連れが泊まっていました。お湯も水着着用の外湯と、裸で入れる内湯があって、気持ちよさそうでしたが、こちらは瑞穂の湯を満喫していたので、ここは見るだけ。



宿に戻って、親切にしてくれた宿の主人に挨拶し、福音村に向かいました。途中、8−9月に旬を迎えるポンカンの収穫の現場に遭遇。畑を拝見させてもらいました!


さて、今日は昼間の福音村です。広場はすでに祭りのテンションが高まっていて、子供たちもはしゃぎまわっていました。そして男も女も入り乱れての踊りが始まりました。女性の衣装の華やかさもさることながら、歌いっぷりも踊りっぷりも見事!お祭りを楽しんでいる様子が伝わってきました。確かにお酒がたっぷり入っているせいで、みんなトリップしてしまっている感もありましたが…。
花蓮の豊年祭、レンタルバイク見学記 お祭り 原住民 バイク レンタル 豊年祭 稲作アミ族 ■ この女の子は、いかにも美形。
将来は第二のアメイ(張恵妹)か!?

■ この女の子は、いかにも美形。 将来は第二のアメイ(張恵妹)か!?

■ 踊りの場ではお酒は欠かせません。
たっぷりと用意されていました。

■ 踊りの場ではお酒は欠かせません。 たっぷりと用意されていました。

■ 村長や村の実力者による表彰式。
隣村からのゲストも招待されていたようです。

■ 村長や村の実力者による表彰式。 隣村からのゲストも招待されていたようです。

ふたたび、春日村へ


さて、午後は「厳粛な儀式がある」という春日村へ。こちらの村の広場は、福音村よりも広くて、立派でしたが、昼間は直射日光で暑い暑い!中央のテントでなんとか日よけしていました。昨日もお話を聞かせてくれた日本語ができる、田中邦衛似のおじいさんも、「おや、また来たかい」とばかりに、喜んで迎えてくれました。
■ 儀式が始まりました。頭目、とても威厳があります。↑→

■ 儀式が始まりました。頭目、とても威厳があります。↑→

花蓮の豊年祭、レンタルバイク見学記 お祭り 原住民 バイク レンタル 豊年祭 稲作アミ族
 女性たちにより、酒甕が運び込まれました。

女性たちにより、酒甕が運び込まれました。

花蓮の豊年祭、レンタルバイク見学記 お祭り 原住民 バイク レンタル 豊年祭 稲作アミ族 ■ と、頭目が立派な鳥の羽もついた帽子をかぶり前にでます。

■ と、頭目が立派な鳥の羽もついた帽子をかぶり前にでます。





■ 祈りとともに(アミ語なので何をつぶやいているか全くわかりませんが)村の若者たちが中央 に呼ばれます。




■ 「お前は、村のためにもっと頑張れ」などと一喝され、酒を一気飲みさせます。
■ 一気飲みはけっこう若者にもキツそうです。

■ 一気飲みはけっこう若者にもキツそうです。

■ 「ハイ、村のために尽くします」と誓わされます。

■ 「ハイ、村のために尽くします」と誓わされます。

と、こんな風に何人もの若者が長老たちに叱咤を受け、村への忠誠を誓わせる、というものです。こちらの村は、福音村に比べると、団結力が少ないかな、と踊りを見ただけでは感じたのですが、こうしたやり方で村の団結を深める努力をしていたのでした。この日の午後は男の儀式ということで、女たちは周りで見ているだけ、たしかに厳かなセレモニーだったのです。

三たび、夜祭気分の福音村へ


ナビ一行、夜汽車で台北に戻る予定だったので、夜まで待って、福音村の踊りを見物していくことにしました。踊りの輪は二重、三重にもなる、たいへん盛り上がったものでしたが、踊りにもまして、ナビたちは日本語を話すおじいさんたちとの昔語りに引き込まれていたのでした。であったお爺さんは、みんな、中村一朗、次郎などと日本時代の名前を覚えているのでした。

かつての統治時代、各村々に入植した日本人たちは、アミ族の人々に混じり、懸命に米の品種改良、水路の整備に尽くしたそうです。その先人たちの熱意がまだこの村に住む人たちの記憶に強く残っているのでしょう。日本人への親近感が非常に強かったように感じました。
■ 日本精神を持ち続けた旧姓
「秋山一朗」さん。思い出すなあ。

■ 日本精神を持ち続けた旧姓 「秋山一朗」さん。思い出すなあ。

■ 優しいおじいさん、
旧姓「日向クニオ」さん

■ 優しいおじいさん、 旧姓「日向クニオ」さん

それから、戦争の話になったときも、あるじいさんはこうナビに話してくれました。「日本は負けたんじゃあないよ。そのまま続けていれば、立派に勝つことができたんだ」その真剣な表情は、日本人の顔になっていました。日本からはるか離れた入植地で、真実の報道が伝わらなかったとはいえ、これだけ日本を思い、エールを送る外国の人がまだ元気にいる、ということに深い感動を覚えたナビでした。

「戦後も、南方から義勇軍として日本軍に入隊した同士がたくさん帰ってきたよ」とか、「日本人の学校の先生の名前、まだ覚えてるよ」とか、日本人との当時の交流を聞くたびに、この村と日本との関係が深いものだったものが実感できるのでした。

再見、また会う日まで


さて、アミ族のお祭りを満喫した後、瑞穂の街に戻り、ガソリンを満タンにしてバイクを返却。ナビ友はスーパーで東台湾名物のお米「富里米」を5キロ購入、日本語を話す陽気なお姉さんにも挨拶して帰途へ。たった1泊2日の日程だったのになんだか3日くらい滞在したように密度の濃い小旅行でした。

いつも、原住民の村を訪れる度に「この村を再び訪ねることは、いつになるか」と思うのですが、昔話を聞かせてくれた穏やかな老人たちの顔を思い出すと、無性に懐かしくなります。いつまでも元気でいてほしいものです。

それにしても、帰りの夜汽車はやっぱり熟睡できず、早朝台北に到着した時は、フラフラのナビ一行でした……。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2006-07-19

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