日本人にとって懐かしくもあるレトロな建物を訪ねて、台湾の“霞ヶ関”とその付近を歩きました
こんにちは、台北ナビです。
台北駅の南西側に位置する「博愛地区」には、総統府をはじめとする台湾中央政府の官庁が集中しており、台湾の首都機能を担うエリアです。そして、そこに建つ建物は、日清戦争が終わった1895年から第二次世界大戦が終わった1945年までの日本統治時代に建築されたり、それをベースに改築されたりしたものがほとんど。今回はその歴史的かつ、日本人にとってどこか懐かしくもあるレトロな建物を訪ねて、台湾の“霞ヶ関”とその付近を歩きました。
ルネッサンス様式の赤レンガ2階建てが目を引く、現役の「台大医学院旧館」(1921年築)
午前10時、MRT「台大医院」駅の出口2を出発。
まずは駅のすぐ目の前に位置する台大医学院旧館に向かいました。古代ローマの建物を彷彿させる素敵な赤レンガの建物=病院と結びつきにくいですが、建物にはお年寄りがひっきりなしに出入りしていて、すぐにそれと分かりました。
この病院は1912年、台湾総督府営繕課に勤務していた建築家の近藤十郎が設計し、1921年に今のルネッサンス様式の赤レンガ2階建てが完成しました。当時、東南アジアでは最大かつ、現代的な病院だったそうです。
外観の正面は凝った窓枠や植物の装飾が美しく、バルコニーもあってゴージャス。中に入ってはっと息をのむのは、吹き抜けになった正面ホールです。
天窓からやさしい光が差し込み、行き交う人々を照らします。天窓の四角形と2階の窓の半円形、そしてくすんだ緑色のタイルのコンビネーションが素敵すぎて、立ち止まってうっとりと眺めてしまいました。建物に囲まれた中庭にはヤシの木や噴水があり、見所たっぷりの近代洋風建物です。
そんな素敵な建物は、現在も病院として利用されていて、たくさんの患者さんが訪れています。病院についてもっと詳しい歴史などを知りたい方は、台大医学院新館の1階にある「台大医院院史室」をぜひ訪れてみてください。100年以上の歴史がある病院について詳しく知ることが出来ますよ。
二二八和平公園~国立台湾博物館(1908年築)
続いて向かったのは、さきほどのMRT「台大医院」駅の西側に隣接する「二二八和平公園」。
こちらは、日本統治時代の1899年に台湾ではじめて作られた洋風の公園。現在は1947年に起きた歴史的な二二八事件に絡んで名称を「二二八和平公園」に変え、その記念碑と碑文が捧げられています。台湾に訪れたからには、ぜひこちらに足を運び、普段は語られることのない台湾の悲しい歴史にも触れてみてください。
記念碑
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記念碑の中に入ると、こんな風になっています。
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公園内の日本風の庭を横切ったら、すぐに見えてくるのが「国立台湾博物館」。1908年に建築された台湾で最も歴史のある博物館ということで楽しみにしていたのですが、なんと改修工事中に加えて、ナビの訪れた月曜日は休館日…。
外観はこんな風に覆われてみることが出来ませんでしたが、本来はギリシア風の堂々たる建物。ぜひ改修工事が終わる今年4月(予定)を待って訪れてみてください。
巨大な柱が見事な「土地銀行」(1933年築、のちに修復)
博物館前の襄陽路を挟んでそびえるなんとも重厚な建物、 こちらは「土地銀行」です。 正面にある8本の巨大な柱と石で覆われた外壁が見る人を圧倒します。エジプトとマヤの文明の建築思想が取り入れられているそうで、 一見して、しっかりと“護衛”されている様子が伺えました。1933年に建築された建物は、4年間の修復工事を経て2010年から「台博館土銀展示館」として一般公開されています。ナビ、内装はどんな風になっているのかワクワク。さっそく中に入ろうとしたらなんとこちらも休館日でがっかりでした。こちらも月曜日がお休みなので、皆さんも訪れる際にはご注意くださいね。「月曜日」は要注意です!!
ドラマ「華麗なる一族」のロケ地にもなった「台湾銀行」(1923年築)
土地銀行を出たら重慶南路を南へ歩き、行政の中枢機関が集中するエリアを目指します。
その道すがらに並ぶ飲食店や書店を見ると、店構えこそ新しくなっていますがベースの建物はやはり近代洋風。時代を感じるものが多くて、こちらも見ていてとても興味深かったです。
スターバックスもこんなにレトロ!
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こちらは書店。こんな空間で本を読んだえらきっと素敵ですね。
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歩くこと約10分で、「台湾銀行」が見えてきました。こちらは日本統治時代の台湾銀行本店。現在は組織を入れ替え、中央銀行として機能しています。
飛び入りのナビたちに、親切な広報の方が案内してくれました。
こちらの銀行は1897年に国営として創業。1899年に木造建築の銀行が出来ましたが、シロアリで建物がダメになってしまったために1923年に現存の花崗岩の建物に作り直したそうです。なるほど!!台大医学院旧館も土地銀行ももともとは木造でしたが、すぐに石仕様の建物に建て直されています。こちらも、シロアリに悩まされた結果だったのかもしれませんね。
行内に入ると、高い天井がガラスになっているのでとても明るく、気持ちのいいフロアが広がります。
この場所はTBSドラマ「華麗なる一族」のロケに使われ、万俵大介を演じた北小路欣也さんが来られたそうですよ!ファンなら必見です。
日本統治時代の台湾総督府はいまも「総統府」として利用されています!(1919年築、その後再建)
台湾銀行を後にして向かったのはすぐ隣にある総統府。こちらは日本統治時代の台湾総督府として1919年に完成しましたが、第2次世界大戦時に空襲で損傷。1946年に再建されて、現在は総統府と名称を改めて利用されています。
赤レンガ×白のコントラストや外観のデコレーションがなんとなく台大医学院旧館に似てるような気がしますが、さすが総統府。60メートルに及ぶ中央塔をメーンに5階建ての建物で規模が大きく、堂々とたる風格です。
建物の周囲には数人の衛兵が立ってちょっとぴりぴりとした雰囲気でした。こちら、平日の午前9時から12時までと、月に一回(不定期)に内部を見学できるのでぜひ、タイミングの合う方はご覧ください。
詳しいことは総統府公式サイトにてご確認ください。
なんとなくモスクのような「司法院」(1934年築、後に増築)
総統府のすぐお隣は、台湾の最高司法機関「司法院」です。
総統府の赤×白の配色とは異なり、モスグリーンのタイルで一見ちょっと地味めですが、白の縁取りをしたアーチ型の窓や幾何学模様の壁、彫刻を施した石など、見れば見るほどじわじわとその良さがこみ上げてくる建物です。
このタイルのモスグリーンは「国防色」と呼ばれ、空襲を避けるためにこのような色にしたそう。確かに周りの風景に馴染んでいるような気もします。
司法院の次に向かったのは、日本統治時代にタバコや酒などを専売していた「 台湾菸酒公売局」。こちらも台湾総督府営繕課に勤務していた日本人・森山松之助氏が設計されています。外観は総統府や台大医学院と似ていて、それらをぎゅーっとコンパクトにした感じ。玄関ホール上のドーム型の屋根がとても個性的で、正面を入ってすぐの階段部分がゴージャスです。
現在は専売制度が廃止され、「台湾菸酒股份有限公司」に変更して一般の方は建物内に入ることはできませんが、今もこの建物が使われています。
中山堂(1936年築)のレトロカフェでまったりランチ
「台湾菸酒公売局」を出たらもうお昼時。ご飯を食べるべく、同じく日本統治時代の建物「中山堂」の4階にある隠れ家的なカフェに向かいました。
エントランスを入ると、まるで時間が止まったよう。
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照明の落とし具合もグッド!より落ち着いた空間を創り出しています。
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こちらは、台湾を代表する映画監督・蔡明亮氏がプロディースするカフェ「蔡明亮咖啡走廊」。近代洋風の建物と監督のコーディネイトしたインテリアがベストマッチ!まるで時が止まったような空間で、ずーっと長居したくなります。こちらでは、監督の出身であるマレーシア料理とお手製のカレーライスをいただきました。
唯一残存する日本統治時代の洋風建物店舗「撫台街洋楼」(1910年築)
お腹がいっぱいになったら、再びレトロな建物を求めてテクテクと街歩き。中華路を北上して目指したのは、唯一残存する日本統治時代の洋風建物店舗「撫台街洋楼」です。
西洋風のアーチ型柱と日本風の木造屋根の組み合わせが目を引き、こじんまりとしていますが見応えたっぷりです。こちらはミニ博物館として一般に開放されていますが、ナビが訪れた月曜日はやはり休館日で入れず…。興味のある方はこちらをチェックしてみてくださいね。
今も市民に親しまれている「台北郵政」(1929年築)
そしていよいよ街歩き最後の目標「台北郵政」に到着。
少しくすんだ外壁に2階と3階部分をつないだエジプト・ギリシャ風の大きな支柱が目印です。 いまも郵便局として利用されていて、 中に入るとカウンターや売店とは全く異なる雰囲気の大きな柱と天井の古典的な彫刻が印象的でした。
台北駅
たっぷりと日本統治時代の近代洋風建築物を楽しみ、終点の台北駅に着いたのは14時半。
長旅でしたが、同じ時代に建てられていながらも様々な表情を見せる建物を見ているとあっという間で、かつて日本人が台湾で設計した建物が現役で使われていてなにか感慨深いものがありました。皆さんも博愛区をゆっくりと歩き、 日本と台湾のつながりを感じてみませんか?
以上、台北ナビでした。
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記事登録日:2014-02-06