台中駅からすぐの場所にある台中公園にやってきました。一見するとよくある市民の憩いの場になっている都市公園なのですが……
倒れた鳥居があります。これ、1940年までこちらに鎮座していた初代台中神社の遺構なんです。
そしてこちらは、湖心亭と名付けられた東屋。1908年に基隆と高雄を結ぶ縦貫鉄道の全線開通を記念して開かれた式典で皇族関係者の休憩観覧場所となったんだとか。
街頭ラジオもありました。デザインは台北二二八公園にあるものと良く似ていますね。
砲台山と呼ばれる海抜89メートルの小高い丘は、台湾の測量の基準点になったそう。
勝利碑は元々清朝時代に大陸からやってきた官僚がこの場所で死亡したととき、棺おけを一度ここに置いたとされる場所。日本統治時代に招魂社が置かれ、領台後に台湾で戦死した日本人を弔うようになり、戦後、抗日戦争の勝利を記念する石碑になりました。
もちろん日本統治時代以外の歴史を感じるものもあります。公園の隅に鎮座していたヤギの像。台中に住む友人も知らなかったのですが、2003年に台中で台湾ランタンフェスティバルが開催されたときのメインランタンが紀念に残されているようです。
更楼は、地元の名士の旧宅にあった見張り台。元々は台中駅の裏手の位置にあったそう。清の時代に建設され、日本統治時代に基隆顔家の手に渡り、さらに戦後になってこちらに移築されたという数奇な運命をたどっています。
台中公園は知れば知るほど奥の深い公園でした。
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記事登録日:2020-07-02