台湾を「故郷」と呼ぶ日本人――湾生の想いを描いた感動の映画「湾生回家」、いよいよ日本で公開!

原作者の田中實加さん、出演者の湾生たちの生の声を聞くトークイベントも盛り上がりました

こんにちは、台北ナビです。

「湾生」という言葉をご存じでしょうか。日本統治下の台湾で生まれ育った日本人のことで、その数は20万人にも上るといわれます。
敗戦により日本に強制送還された彼らは、日本人として生きながらも、台湾への望郷の念を抱き続けていました。
そんな湾生たちが晩年、生まれ故郷を再訪し、昔住んでいた家や一緒に遊んだ友だちとの再会を果たす――その旅の様子や湾生たち一人ひとりの想いをつぶさに記録したのが、このヒューマン・ドキュメンタリー「湾生回家」です。

2015年秋に台湾で公開されると、たちまち話題となり、興行収入約1億円という大ヒットとなりました。
しかも、観客は日本統治時代を知る年配者ばかりでなく、多くの若者が湾生の想いに共感の涙を流し、その感動がSNSなどでどんどん広まっていったんだそう。

一体何が、それほどまでに台湾の人々の心をとらえたのでしょうか。

日本と台湾の根底にある、「絆」以上の結びつき

80年もの間、母を想い続けた片山清子さん

80年もの間、母を想い続けた片山清子さん


映画には、主に6人の湾生が登場します。

その中の一人、片山清子さんは幼い頃、台湾人家庭に養女として預けられ、母親は日本に帰国。
「お母さんに会いたい」という想いを抱きながら病床に伏してしまった清子さんの代わりに、彼女の娘と孫が日本に向かい、生みの母・千歳さんの消息をたどります。

戸籍で調べた住所を訪ね、近所の人たちに千歳さんのことを尋ねる清子さんの親族たち。

なかでも、まだ20代の若いお孫さんが、片言の日本語で熱心に聞き込みをする姿が印象的でした。

会ったこともない日本人の女性を「私のひいおばあちゃん」と呼び、どんな姿だったのか、どんな暮らしをしていたのかと尋ね歩くシーンからは、国境を超えた家族の絆が伝わってきます。

ネタバレになってしまうのでこれ以上は書けませんが、その感動の結末に会場のあちこちからすすり泣きが聞こえてきました。
冗談も交えながら、台湾の人々と笑顔で言葉を交わす冨永勝さん

冗談も交えながら、台湾の人々と笑顔で言葉を交わす冨永勝さん


もう一人、冨永勝さんが生まれ故郷の花蓮を訪れ、昔の友人たちの家を訪ねて回るシーンも印象的です。

「○○はいるか」と名前を出すと、応対に出た台湾の人たちが「知らない」とか「死んだ」とか日本語で答えるんですね。
勝さんも、ときに台湾語も交えながら現地の人たちと話している。
そして、ようやく捜しあてた旧友の妻や息子と語らいながら、故人をしのぶ。

そんなふうに、言語が入り混じりながらも自然に話がはずんでいく様子を見ると、日本と台湾はかつて「一つの国」だったんだなということが、実感として迫ってきます。
この景色を見たとき、懐かしさで胸がいっぱいになったと話す湾生の人たち

この景色を見たとき、懐かしさで胸がいっぱいになったと話す湾生の人たち

「叩いたときの音で、すぐにおいしいスイカがわかる。子どもの頃いつもやってたからね」<br>生まれ育った地を歩きながら、楽しそうに想い出話をする松本洽盛さん 「叩いたときの音で、すぐにおいしいスイカがわかる。子どもの頃いつもやってたからね」<br>生まれ育った地を歩きながら、楽しそうに想い出話をする松本洽盛さん

「叩いたときの音で、すぐにおいしいスイカがわかる。子どもの頃いつもやってたからね」
生まれ育った地を歩きながら、楽しそうに想い出話をする松本洽盛さん

台湾でたくさんの友人に囲まれながら、いつも楽しそうに笑っている家倉多恵子さん

台湾でたくさんの友人に囲まれながら、いつも楽しそうに笑っている家倉多恵子さん


映画の中で「日本に戻る引揚船の甲板に立って、弟と2人、台湾の島が見えなくなるまでずっと『ふるさと』を歌っていた」と語るのは、家倉多恵子さん。
その再現シーンでは、引揚船が海を渡っていくアニメーション映像とともに、「ふるさと」の美しい歌声が流れ、場内からはすすり泣きの声が。

ナビも涙を浮かべながら見入っていたのですが、よく考えると、これは台湾の映画なんですよね。それなのに、「ふるさと」が挿入歌として、実に自然に流れている。
そのことに、単なる「日台の絆」という言葉では表しきれない、もっと深い、根源的なつながりを感じました。
歴史に翻弄され、生まれ故郷を離れざるを得なかった湾生の人たち。<br>でも、そんなつらい過去は微塵も感じさせないほど、皆さん明るく笑って、楽しそうに台湾の話をします。<br>そんなところにも大らかな台湾気質が流れているのかな、と感じました。<br>(上記の画像提供はすべて、太秦株式会社) 歴史に翻弄され、生まれ故郷を離れざるを得なかった湾生の人たち。<br>でも、そんなつらい過去は微塵も感じさせないほど、皆さん明るく笑って、楽しそうに台湾の話をします。<br>そんなところにも大らかな台湾気質が流れているのかな、と感じました。<br>(上記の画像提供はすべて、太秦株式会社) 歴史に翻弄され、生まれ故郷を離れざるを得なかった湾生の人たち。<br>でも、そんなつらい過去は微塵も感じさせないほど、皆さん明るく笑って、楽しそうに台湾の話をします。<br>そんなところにも大らかな台湾気質が流れているのかな、と感じました。<br>(上記の画像提供はすべて、太秦株式会社)

歴史に翻弄され、生まれ故郷を離れざるを得なかった湾生の人たち。
でも、そんなつらい過去は微塵も感じさせないほど、皆さん明るく笑って、楽しそうに台湾の話をします。
そんなところにも大らかな台湾気質が流れているのかな、と感じました。
(上記の画像提供はすべて、太秦株式会社)

台湾文化センターでトークイベントも開催

日本では11月12日(土)より、東京の岩波ホールで上映が始まりました。
そして、公開翌日には虎ノ門にある台湾文化センターで、日本上映記念イベント「湾生の言葉を聴こう」が開催されました。
会場はあっという間に満席に。公開翌日にもかかわらず、もう映画を見たという人が半数ほどもいて驚きました。

会場はあっという間に満席に。公開翌日にもかかわらず、もう映画を見たという人が半数ほどもいて驚きました。

台湾文化センター長の朱文清氏が「様々な災害時に日本と台湾が援助し合うのは、この映画のような昔からの強い絆があるからだと思う」とご挨拶。

台湾文化センター長の朱文清氏が「様々な災害時に日本と台湾が援助し合うのは、この映画のような昔からの強い絆があるからだと思う」とご挨拶。

コーディネーターの野嶋剛さんが公開初日の盛況な様子を話してくれました。

コーディネーターの野嶋剛さんが公開初日の盛況な様子を話してくれました。


映画にご出演されていた家倉多恵子さんは福井から、松本洽盛さんは奈良から、そして原作者の田中實加(陳宣儒)さんは台湾から、このイベントのために上京。映画にかけるそれぞれの想いを語ってくれました。
湾生の松本さん

湾生の松本さん

湾生の家倉さん

湾生の家倉さん

原作者の田中さん

原作者の田中さん


家倉さんは「晩年になってから、台湾とのつながりがより深くなった」と話します。
「体調を崩して、もう長くはないかもしれないと思ったとき、もう一度台湾のエネルギー、あの太陽のエネルギーに触れたい、そうすれば元気になれるかもしれないと思ったんです」

そして、台湾で地元の多くの人々に歓迎され、一緒に過ごすうちに、本当に驚くほど体調が良くなったんだそう。
「それからはちょくちょく台湾に行くようになって、この10年で30回ぐらい行っているんですよ」と笑う家倉さんは、たしかに80歳過ぎとは思えないほどお元気で、とても楽しそう。

「日本に引き揚げてからずっと、自分は他の人とはどこか違う、という思いが消えなくて…。それが、五木寛之さんの『異邦人』という本を読んで、ああそうか、自分は異邦人だったのか、と納得できたんです」

台湾が懐かしくて、毎日のように花蓮の海の景色を思い出し、それが支えになっていたと話す家倉さん。
どこから見ても「上品な日本のご婦人」という雰囲気ですが、彼女にとっての「故郷」は台湾であり、そこで過ごすことが活力の源になっているんですね。

花蓮の瑞穂郷で育ったという松本さんは、「40年前、引揚後初めて瑞穂に帰ったんですが、飛行機の窓から台湾が見えたとき、オイオイ泣いたんですよ。会いたくてしょうがなかった故郷に帰ってきた、という気がして」と話し出しました。

「檳榔の木を見ると落ちつくんです。でも、それを日本の友人に話したら『俺は杉や松のほうがいいな』って」
この言葉に会場からは笑い声が上がりましたが、そういう何気ないことにもアイデンティティの違いが出てくるんだなあ、と感心してしまったナビ。

他にも「水牛の上で昼寝して落っこちた」なんて愉快な話もあり、日本で生まれ育った年配の方からは聞けないような昔話をたくさん聞くことができました。

今後は「日本の若者を台湾に連れていって、日本語を話す世代の台湾人の話を聞く場をつくりたい」と話す松本さん。
この「湾生回家」の上映をきっかけにそういう活動が広がれば、日台の絆がますます深まっていきそうですね。

日本でも初日からほぼ満席の人気ぶり


原作者の田中實加さんは、生き別れになった肉親を捜す湾生たちに寄り添い、その手助けをしながら、この原作本を書き上げました。

一つの家族で再会が実現すると、また別の人から協力を頼まれる…という形で、多くの湾生たちと関わってきた田中さん。
中には再会を果たす前に亡くなってしまった方もいるそうですが、この映画の撮影後も湾生たちの肉親捜しは続いていて、新たなストーリーも生まれているようです。

「湾生の物語は、人を愛し、土地を愛する話なんです」と語る田中さん。

この言葉を聞いて、ナビはこの映画のヒットの理由がわかったような気がしました。
どこの国であれ、幼い頃に過ごした土地に人は望郷の念を抱く。そして、日本人とか台湾人とかということは関係なく、同じ土地で暮らす人と人の心が深くつながっていく。
それはだれもが自然に持っている「原点」であり、だからこそ、この映画が多くの人々の胸を打つのではないでしょうか。
最後に、登壇者の皆さんが会場からの質問に答えてくださいました。<br>次々と質問の手が上がり、この映画への関心の高さが伺えました。 最後に、登壇者の皆さんが会場からの質問に答えてくださいました。<br>次々と質問の手が上がり、この映画への関心の高さが伺えました。 最後に、登壇者の皆さんが会場からの質問に答えてくださいました。<br>次々と質問の手が上がり、この映画への関心の高さが伺えました。

最後に、登壇者の皆さんが会場からの質問に答えてくださいました。
次々と質問の手が上がり、この映画への関心の高さが伺えました。


今や気軽に楽しめる旅行先として大人気の台湾ですが、この映画を見たら、単なる「海外」ではなく、日本と密接なつながりのある大切な場所として、もっと台湾を好きになると思います。
また、もともと親日派の多い台湾の若い世代にこの映画が受け入れられたのも、日本と台湾の根底にある深いつながりが共感を呼んだからなのかもしれません。

12日の公開初日、岩波ホールでは4回の上映に計600人もの人が訪れ、今年最高の観客動員数となったそうです。
今後、もっともっと多くの日本人にこの映画を見てほしい。そして、湾生のストーリーをどんどん広めていってほしい。
そう願わずにはいられないほど、心に響く素晴らしい映画です。

以上、台北ナビでした。


<『湾生回家』作品データ>

タイトル:『湾生回家』(わんせいかいか)(原題:湾生回家)

監督:ホァン・ミンチェン(黄銘正)
出演:冨永勝 家倉多恵子 清水一也 松本洽盛 竹中信子 片山清子 他

提供:マクザム ワコー 太秦
配給・宣伝:太秦
スペック:2015年/台湾/DCP/ドキュメンタリー/111分
映倫:G区分―46854

コピーライト ⓒ田澤文化有限公司

台湾アカデミー賞「金馬奨」 最優秀ドキュメンタリー作品ノミネート
大阪アジアン映画祭2016 観客賞受賞


<『湾生回家』公開情報>

11月12日より東京・神保町の岩波ホールにてロードショー。
その他、大阪、京都、名古屋、徳島、奈良、福井など、全国各地で順次公開予定。
最新情報は『湾生回家』の公式サイトでご確認ください。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2016-11-18

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