旧林田村(花蓮県)

閉店・移転、情報の修正などの報告

台湾東部、台鉄「鳳林」駅に到着、旧・林田移民村へ向かいます

こんにちは、台北ナビです。
1914年(大正3年)の日本統治時代、花蓮に「南岡」と「中野(林田)」、「北林」の3つの集落を統括した林田移民村が作られました。当時この村では至る所にタバコ畑とタバコ農家がありました。
戦後南岡と中野(林田)は大榮里になり、北林は、1つの独立した里になりましたが、住民たちは昔の習慣から南岡一帶を一村、大榮國小一帶を二村、北林を三村と呼んでいます。二村は日本人が多く住んでいたところで、台湾人は現在の大忠路から西側の台湾村に住んでいましたが、戦後彼らは次第に昔の日本村へ引っ越してきました。

南岡(現在の大榮一村)


今回ナビたちを案内してくれた陳美玉さんの小学校の同級生のお父様が、一村に住んでいらっしゃるということでちょっと訪問しました。
車から降りてびっくり。この庭と家屋の形式は日本そのもの。陳さんが当時の日本人は土地の区画に溝を掘ったということで、家主の詹さんのうちの前にも50cmほどの石で作られた溝がありました。玄関までの両側にはつつじの植え込みがあり、右には龍眼と思われる木、いい香りがするなと思ったら左にはキンモクセイの木、これは当時からのものだそうなので、もう樹齢百年。入り口から見た風情は、本当に日本です。当時住まわれていた人もこの庭で四季折々の南国の草花や果物を愛でていたんだろうなあと察せられました。
ごめんくださ~い

ごめんくださ~い

当時積まれた石です

当時積まれた石です

使いやすいように手を加えていますが、骨格はそのまま残っています 使いやすいように手を加えていますが、骨格はそのまま残っています 使いやすいように手を加えていますが、骨格はそのまま残っています
使いやすいように手を加えていますが、骨格はそのまま残っています 使いやすいように手を加えていますが、骨格はそのまま残っています 使いやすいように手を加えていますが、骨格はそのまま残っています

使いやすいように手を加えていますが、骨格はそのまま残っています

詹さん

詹さん

詹さんは、当初政府からローンを組んでこの家を購入したそうです。じゃあ政府は元の持ち主から買い取ったの?という疑問がナビたちには浮かびましたが、この問題は「湾生回家」の映画を見て考えてくださいね。「中を見てみる?できるだけ残してあるんだよ」という詹さんのお言葉に甘え、写真も数枚撮らせていただきました。
後方のキッチンは後々拡大したそうで、靴を脱ぐ玄関も部屋に上がる時のみ靴を脱ぐような台湾人の生活習慣に合わせていましたが、その間取りは日本そのままでした。「ここに住んでいた人から毎年年賀状が来ていたんだけどね、もう10年来ていない、亡くなられたのかな」、と詹さんが見せてくれた年賀状は、2004年広島県呉市からのものでした。
日本式家屋は、夏は涼しいそうです

日本式家屋は、夏は涼しいそうです

雨戸、軒下がありました

雨戸、軒下がありました

キンモクセイがいい香りを放っていました

キンモクセイがいい香りを放っていました

庭には購入当初からあったというお墓が。上部は当時の台風で無くなったそうです

庭には購入当初からあったというお墓が。上部は当時の台風で無くなったそうです

陳さんが隣にも日本家屋が残っているのよ、ということで今度はお隣に移動。内部をのぞいた感じは物置っぽくなっていましたが、間取りはそのまま。苔がびっしり生えた瓦に百年の歴史を感じました。
林田村は豊田村より、大阪式煙楼が多く残っています。

中野(現在の大榮二村)


南岡(大榮一村)、中野(大榮二村)、北林(北林三村)には、住民の飲料水を確保するため井戸が掘られ、当時は8箇所に掘られたのが、現在中野(今の大榮二村)に1つだけ残っています。ここは民家の庭になっていますが、そのまま残してくれてあり、当時の大きな大阪式煙楼、奥には家畜を飼っていたと思われる飼育小屋もほぼ原形を留めていました。
井戸には、当時の村の説明がありました

井戸には、当時の村の説明がありました

使用されなくなって、中には草が生えています

使用されなくなって、中には草が生えています

井戸の近くにあった、くみ上げる時に使う金具でしょうか

井戸の近くにあった、くみ上げる時に使う金具でしょうか

家畜小屋

家畜小屋

大阪式煙楼も健在

大阪式煙楼も健在

中から見上げると…こうなっていたんですね

中から見上げると…こうなっていたんですね


二村は、林田村の中心地だったので、小学校、専売局、役場、派出所、病院、神社などが置かれました。現在の台鉄「鳳林」駅から二村にかけて、公共の施設が完備していた面影が残っています。軽便鉄路も開通していたので、とても栄えた村だったのでしょう。
復興路には「花蓮港廳鳳林支廳林田警察官吏派出所」があり、その広さから当時の様子が思い浮かびます。現在この「派出所」は客家委員会が出資して、「客家庄移民村警察廳」に改名し、コミュニティーセンターとして地区住民たちに運営されています。「開村記念碑」は、以前林田神社の境内にあったそうですが、2014年ここに「林田村開村百年紀念碑」が建てられました。
ナビたちが行った日は火曜日だったのでお休み、内部は広そうです ナビたちが行った日は火曜日だったのでお休み、内部は広そうです
ナビたちが行った日は火曜日だったのでお休み、内部は広そうです ナビたちが行った日は火曜日だったのでお休み、内部は広そうです

ナビたちが行った日は火曜日だったのでお休み、内部は広そうです

2014年に造られた開村100周年記念の碑もありました。りっぱな大理石、いえ、玉でしょうか? 2014年に造られた開村100周年記念の碑もありました。りっぱな大理石、いえ、玉でしょうか?

2014年に造られた開村100周年記念の碑もありました。りっぱな大理石、いえ、玉でしょうか?

周辺地図がありました、自転車で回る観光客も多いそうです 周辺地図がありました、自転車で回る観光客も多いそうです

周辺地図がありました、自転車で回る観光客も多いそうです



本殿の台が残った林田神社は、2014年に移民村100周年を記念して、神社の周囲が当時の姿に復旧されました。
桜がたくさん植えられていました。数年後が楽しみです。
進んでいくと、神社の基壇がありました 進んでいくと、神社の基壇がありました

進んでいくと、神社の基壇がありました

ガジュマルの強さに圧倒されました ガジュマルの強さに圧倒されました ガジュマルの強さに圧倒されました

ガジュマルの強さに圧倒されました

神社を取り囲む柵も当時のものでした

神社を取り囲む柵も当時のものでした

境内にも100周年記念碑が。

境内にも100周年記念碑が。

北林(現在の北林三村)

菸樓と呼ばれる大阪式煙楼は、三村に一番多く残っています。1951年花蓮に発生した地震と台風によって菸樓の多くは壊滅的なダメージを受けました。が、その後復旧された菸樓も多く、現在かつての林田移民村があった鳳林鎮では、タバコ栽培はもう衰退していましたが、これらの大阪式煙楼の建築様式などが鳳林鎮の新たな観光スポットとなっています。

現在の林田村

林田村があった鳳林鎮は、ちょうど花蓮県の真ん中あたりで、花東縱谷(花蓮と台東の間で、中央山脈と海岸山脈にはさまれた一帯)に位置しています。現在は、スイカ、ピーナッツ、剥皮辣椒というトウガラシの種を取って漬物にしたビン詰めの生産などが有名で、住民の多くは農業に従事しています。また、客家人が住民の6割を占め、東部で客家人口が最も多いエリアです。その客家人口の密度の高さから、台湾の客家文化の重点発展区にもなっています。他には外省人、台湾人、原住民ではアミ族、サキザヤ族、セデック族が住んでいます。
以上、台北ナビでした。

記事登録日:2015-05-08

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スポット登録日:2015-05-08

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