昔は200人ほどいた村人がいなくなり、今また戻ってくる人たちが増えています
こんにちは、台北ナビです。
東莒はイシモチ、マナガツオ、タチウオなど高級魚も捕獲できる島で、島の南にある大埔集落は、島では福正に続く大きな集落でした。大埔の元の名は「大浦」、福州語で「浦」は、小さな港という意味です。その港は天然の港といっていいほどの良港で、集落の背にそびえる「對面山」(またの名を樓仔頂)は、冬の北風をはねつけてくれるため、昔から「夏は福正、冬は大埔がいい」と言われてきました。
大埔はその昔、賑やかな漁村でした。国民党が入ってくる前は50戸ほどの民家に人口は約200人。港には100艘近い船が停泊し、白馬尊王廟もありました。やがて漁業が没落の途に入ると、人々は島を離れていき、1,2軒の村人が時々戻ってくるくらいで、昔日の面影はすっかり影をひそめてしまいました。
大埔の港からそう遠くない海上に、林坳嶼があるのが見えます。
島の交通は不便ですが、豊かな生態資源と素晴らしい景観が、訪れて来る人たちに思い出に残る旅を与えてくれます。本当にのどかないいところです。
林坳嶼が見えます
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ここまで船で行って、釣りをする人もいるそうです
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そして、今
造っています!
馬祖は集落の保存ため、大埔を集落保存エリアに区分けし、住民たちは政府の補助の下、修繕作業に入りました。
「大埔客廳」の中も見てみてくださいね。昔馬祖の人たちは、、男女ともに必要時には兵役につくことになっていました。女性は17~35歳、男性は18~45歳、その義務があったと紹介されています。
但し女性は結婚すると兵役からは免れたそうです。
かつて東莒に住んでいた人たち
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1952年~1992年は、緊迫期
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ここからも林坳嶼が見えます
観光客は大埔村の閩東伝統集落を訪れたら、周辺で以前は軍が使用していた「64據點」も一緒に見て回ることが多いです。ここは視界もよく、地下坑道や当時の宿舎なども残っています。
軍が使用していたという「64據點」。その素晴らしい景色の中、大埔港を見下ろすこともできます。自然の雄大さを眺めていると、心が解き放たれていく感覚も得られます。
が、かつてはここに100艘近い船が…というのが信じられないくらい、今はひっそりとしています。人口が減っていったきっかけの一つに、1996年の李登輝元総統の時代に中国からミサイルが放たれ、台湾を攻撃するという出来事があります。その最初の攻撃目標の地は「東莒」。発射地は福州の小さな島で、東莒はそこから一番近い台湾。幸い当日は天候が悪く計画は流れましたが、ミサイル弾を受けていたら小さな島ですから、全島民の命はなかったというわけです。このように危険にさらされながらの日々に、皆耐えられなくなったのでしょう。結局馬祖は金門と違い、今まで中国からの直接の攻撃は受けていませんし、そして、今後も…と期待します。
あの建物の中に入れるそう
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かつてはここに大砲が!
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壊さずに残し、観光紹介に使っています
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今後は宿泊もできるようになります
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現在
そうでなければ、軍が使用していたというこの場所が、このような快適な観光スポットに大変身するとは、誰が予想したでしょう。インフォメーションセンター、休憩広場、歩道、展望台…などの他に「碉堡步道」、「據點酒窖」、「槍陣地升旗台」…見どころはいっぱいあります。
東莒名産のローゼル漬けとジュース
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梅酒も今後発売予定
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以上、台北ナビでした。