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日本と台湾が交錯する「台湾川柳会」

現在と過去の日本と台湾を反映する、17文字に詰め込まれた思い

みなさん、こんにちは。吉岡桃太郎です。台湾の街を歩いていると、よく日本のデジタルカメラを手にした人を目にしたり、J-POPが耳に入ってきたりします。台湾にはこうした日本で流行のものがあふれていますが、畳、和菓子など、日本統治時代から受け継がれてきた日本の伝統のものもまだまだ健在で、短歌、俳句、川柳をたしなむ人たちもいます。

ご年配の方々が中心になりますが、台湾には台湾歌壇、台北俳句会、台湾川柳会などの歌会や句会があり、毎月集まって腕を磨き合っています。また、大学の日本関連の学科の中には講義に短歌や俳句を取り入れているところもあり、例えば高雄の義守大学では日本語俳句大会が開催されています。
今回は私もお世話になっている「台湾川柳会」を紹介させていただきたいと思います。

台湾人中心の台北川柳会が1994年に発足

川柳のせの字も知らなかった私が川柳と出会ったのは異郷の地、台湾でした。当時の台北川柳会(現・台湾川柳会)の会長だった故・李琢玉さんに、「日本人ならとにかくやってみろ!」と半ば強引に(?)に誘われて、恥ずかしながら外国人から日本の短詩を学び始めたのです。
毎月の句会では諸先輩方の台湾ならではの句を拝見し、普段はなかなか聞けない面白いお話しを聞くのが楽しみになってしまいました。かく言う自分は、ヘタの横好きの域を出られずにいるのですが……。
台北川柳会(当時)の句集(1994年~1995年)の復刻版

台北川柳会(当時)の句集(1994年~1995年)の復刻版

「台湾川柳会」は1994年7月に川柳をこよなく愛する台湾人が中心となって発足し、当時は台北川柳会として活動していました。台湾に川柳会ができたということで、翌3月には全日本川柳協会の会長や理事長を務めたことのある故・今川乱魚さんが台北川柳会を訪問し、日本にもその存在が知られるようになりました。
現在は会員約50人のうち約半数が日本在住者で、北は北海道から南は沖縄までからの日本各地から投句があり、日本でも川柳会に所属している会員も少なくありませんが、中には「台湾川柳会」一筋の人もいます。

一方、約半数を占める台湾在住の会員の大半が日本統治時代に教育を受けたことのある70歳以上のおじいちゃん、おばあちゃんで、今の若い日本人がほとんど使わないような大和言葉が川柳に織り交ぜられていることもあります。中でも特に印象深いのが度々登場する「山の神」という言葉。いったいどんな神様かと思いきや、なんと奥様のことでした。このように川柳だけでなく、日本人が外国人から日本語を学ぶこともしばしばあります。

毎月1回の句会は日本語と知識の宝庫

「台湾川柳会」の句会は毎月1回開催され、今年3月には200回目を迎えました。毎月お題が2つ出され、お題の句、お題のない自由詠を各2句ずつ、計6句を作らなければなりません。例えば最近のお題は「タクシー」「電話」だったので、「タクシー」の句、「電話」の句、自由詠をそれぞれ2句ずつ作りました。
句会では事前に投句された数百の句の中から、出席者が選句し、さらに選ばれた句を読み上げる披講が行われます。その際に句の内容に関連して昔話に花が咲くこともしばしばあり、「隣組」という戦前の歌を聞いた時には正直少し驚きました。「ドリフの大爆笑」のテーマソングのメロディーがこの「隣組」だったのです。
毎月台北市の國王大飯店で開催される句会

毎月台北市の國王大飯店で開催される句会


「台湾川柳会」がほかの川柳会と一線を画しているのは、句の中に日本と台湾の文化や習慣、流行などが交錯しているという点ではないでしょうか。例えば「台湾に多言語家族の三世代」(頼とみ子さん作)という句は、おばあちゃんが日本語、その子どもが台湾語、孫たちは中国語を主に使っているという三世代家族の実情を川柳にしていますが、このように台湾の事情がよく反映されている句も少なくありません。
また、台湾人を指す「芋っ子」、観光客でにぎわう夜市のある「華西街」などの言葉は句に台湾情緒を漂わせますが、こういった言葉の意味がわからないとそれが感じ取れません。


逆に「年寄りを苛める日本のカタカナ語」(高薫さん作)という句に代表されるように、「元カレ」「ツイッター」といった新しい日本語に首をかしげる台湾のおじいちゃん、おばあちゃんもいます。私のような若い日本人は古き良き時代の美しい日本語に、台湾のおじいちゃんたちは略語や横文字が飛び交う今の時代の新しい日本語に触れ、川柳を通していろいろなことを学んでいるという感じがします。
会報には会で出てきた単語の注釈までついています!

会報には会で出てきた単語の注釈までついています!

日本語17文字でつづるそれぞれの思い

句会で選句中の林彦卿さん

句会で選句中の林彦卿さん

それでは毎月川柳作りに励んでいるおじいちゃんたちの声を聞いてみることにしましょう。元医師の林彦卿さんは台湾関連の同人誌「榕樹文化」などにも日本語で寄稿していますが、友人の紹介で「台湾川柳会」の存在を知り入会したとのことです。「もともと趣味で日本語で文章を書いていたんだけど、俳句は季語を抜いたら12字しかないし、短歌は文語だから川柳が一番やりやすいかなと思って」と流暢な日本語でそのきっかけを語ってくれました。

林さんの文章は日本統治時代に関するものが多いのですが、川柳でもその傾向が強いように思います。特に印象深いのが「台湾人進学するに枠がある」という句です。林さんは日本統治時代に旧制中学の台北第一中等学校(現・建國高級中学)を受験しましたが、各学年で250名程度あった定員のうち台湾人枠は1ケタと極端に少なく、一度失敗をしてようやく合格にこぎ着けたのだといいます。当時の台湾の姿を垣間見ることができる一句だと思います。

おじいちゃんたちに句会についてどう思うかを聞くと、「新しい日本語が出てくるから勉強になるんだよ」「原発事故とか日本人の考え方もわかるようになって勉強になる」「元カレという言い方は面白いなあ」といった言葉が返ってきました。中国語に「活到老學到老」(習うは一生)という言葉がありますが、この言葉を地でいくおじいちゃんたちが多いのも、「台湾川柳会」の特徴ではないでしょうか。

どんな句を詠んでいるのかな?

会報には句会で詠まれた句が紹介されています。
思わず笑ってしまう句、考えさせられる句など興味深いです!
次の宿題はタクシーと電話!どんな句が詠まれるのでしょうか・・・

次の宿題はタクシーと電話!どんな句が詠まれるのでしょうか・・・

日本と台湾が交錯する「台湾川柳会」川柳 日本と台湾が交錯する「台湾川柳会」川柳

川柳でつなぐ日本と台湾

ここで少し「台湾川柳会」の歩みに触れてみたいと思います。先にも触れたとおり、1994年に発足した同会は台湾人が中心でした。しかも小所帯でこぢんまりとしていたそうですが、1998年3月に故・李琢玉さんが2代目会長に就任してから、日本と台湾の交流が盛んになり、日本在住の会員も増えてきたといいます。
句会には日本からゲストが顔を出す機会も増え、2005年3月には台北市の三德大飯店で日本の東葛川柳会との合同句会も開催されました。そして翌8月には、李さんの川柳句集『酔牛』が台湾人の川柳句集としては初めて日本で発行されました。
(左から)老台北でおなじみの蔡焜燦さん、東葛川柳会代表の江畑哲男さん、台湾川柳会2代目会長の故・李琢玉さん

(左から)老台北でおなじみの蔡焜燦さん、東葛川柳会代表の江畑哲男さん、台湾川柳会2代目会長の故・李琢玉さん

このように川柳を通した日本と台湾の交流が活発になっていき、2005年7月には李さんが名誉会長に退き、日本統治時代を背景にした恋物語『茜雲の街』の著者でもある故・頼柏絃さんが3代目会長に就任しました。
頼さんは2008年6月に全日本川柳協会福岡大会に出席するなど積極的に日本との交流を行ってきただけでなく、同窓生や友人にも川柳をやらないかと声をかけ、「台湾川柳会」を盛り上げて行きました。また、旧正月前に開催される忘年会では会員同士の交流も図られ、会誌もより多くの人に読まれるようになったようです。
日本の東葛川柳会との合同句会の様子(2005年3月) 日本の東葛川柳会との合同句会の様子(2005年3月) 日本の東葛川柳会との合同句会の様子(2005年3月)

日本の東葛川柳会との合同句会の様子(2005年3月)

戦後生まれの4代目会長の意気込み

5年間、台湾での川柳の発展と川柳を通した日台交流に尽力してきた頼さんは、体調不良を理由に昨年7月に会長職を退きました。その後を継いだのが、現在、「台湾川柳会」をとりまとめている4代目会長の凃青春さんです。初めて投票という形で会長に選ばれた凃さんは、戦後生まれの現役サラリーマンです。会員になってまだ日が浅かったものの、会誌の編集などで頼前会長をサポートするなど会の活動を熱心に支えてきた点が共感を呼んだのでしょう。
会長就任後の昨年9月には頼前会長とともに自費で日本へ飛び、昨年4月に亡くなられた今川乱魚さんを偲ぶ会に出席したほか、台湾で合同句会を行ったことのある東葛川柳会など日本の川柳会を歴訪し、立派に頼さんの意思を引き継いでいます。
今川乱魚さんを偲ぶ会に出席した故・頼柏絃さん(写真右)

今川乱魚さんを偲ぶ会に出席した故・頼柏絃さん(写真右)

そんな凃さんが川柳と出会ったきっかけはなんと台湾の温泉です。日本語の文庫本を読みながら、週末の余暇を有名な温泉街のある台北市北投の瀧乃湯温泉でのんびりと過ごしていたところ、会員のおじいちゃんに日本語で声をかけられたのがきっかけなんだそうです。川柳について聞くと、「日本の短詩の中では川柳がいちばんやさしそうで実は難しいですね。最初は五七五のリズムをつかむのが大変でした」と答えてくれました。

会誌を作ったり、句会の準備をしたりと仕事の合間を縫っての会務は大変だと思いますが、凃さんは新たな試みにも挑戦しています。会員からの意見をくみ取って会誌の誌面を改善して読みやすくしたり、1年間休まずに句会に出席した人や投句した人に贈られる皆勤賞や敢投賞を設けたりして、会員が楽しく川柳をたしなめるような工夫が凝らされています。

台湾で川柳を楽しもう

現在の課題は70歳以上が大半を占める台湾在住会員の若返りです。凃さんは「やはり外国人にとっては、かなりハードルが高いですよ。日本語の表現とか難しいですからね。若い人が尻込みしないように川柳勉強会みたいなのが立ち上げられたらいいんですけど」と解決策を模索しているようです。
「台湾川柳会」では随時会員を募集しているそうなので、興味のある方は腕試しに川柳を投句してみてはいかがでしょうか? 句会でのおじいちゃんたちとのおしゃべりも楽しいですよ!(吉岡桃太郎)
故・李琢玉さんの川柳句集『酔牛』(2006年8月発行)

故・李琢玉さんの川柳句集『酔牛』(2006年8月発行)

故・頼柏絃さんの川柳句集追悼版(2011年6月発行)

故・頼柏絃さんの川柳句集追悼版(2011年6月発行)

「台湾川柳会」連絡先および投句送付先
郵送:台湾10699台北郵局53-384信箱
E-mail:taiwansenryu@gmail.com
FAX:日本からは+886-2-2707-8231 台湾からは(02)2707-8231
 
関連タグ:川柳

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2011-09-14

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