新北市の海岸にある記念碑は日本と関係の深いものでした

そこは日本軍が上陸した場所。意外なところにありました

日清戦争の勝利によって日本が1895年から台湾を植民地統治したことはよく知られていますが、最初に日本軍が上陸した場所は新北市貢寮区の澳底というのはご存知でしょうか。

日清戦争の勝利によって日本が1895年から台湾を植民地統治したことはよく知られていますが、最初に日本軍が上陸した場所は新北市貢寮区の澳底というのはご存知でしょうか。

藍湾海浜休憩園区という有料の海浜公園になっています。この日は良く晴れていましたが、もうオフシーズンということで人はまばら。

藍湾海浜休憩園区という有料の海浜公園になっています。この日は良く晴れていましたが、もうオフシーズンということで人はまばら。

イベントがあったのか、ランド・アートが飾られていました。

イベントがあったのか、ランド・アートが飾られていました。

そして目に飛び込んで来たのが奥に鎮座するこの塔。

そして目に飛び込んで来たのが奥に鎮座するこの塔。

近づいてみると「塩寮抗日紀念碑」と書いてあるのですが、実はこれ、日本統治時代は北白川宮能久親王率いる近衛師団が上陸したことを記念した「北白川宮征討紀念碑」でした。

近づいてみると「塩寮抗日紀念碑」と書いてあるのですが、実はこれ、日本統治時代は北白川宮能久親王率いる近衛師団が上陸したことを記念した「北白川宮征討紀念碑」でした。

周囲にはガラスの解説板が書かれていて、当時の情勢や上陸の様子などが日本語でも書かれています。

周囲にはガラスの解説板が書かれていて、当時の情勢や上陸の様子などが日本語でも書かれています。

日本統治時代の記念碑の姿が刻まれたガラス板もありました。

日本統治時代の記念碑の姿が刻まれたガラス板もありました。

ちなみに、この記念碑があるのは、建設中止が決まった台湾第四原発の目と鼻の先。自然豊かな海岸線に突如出現した箱型の巨大建物。「なんとなく不釣合いだなぁ」と思いながらここを後にしました。

ちなみに、この記念碑があるのは、建設中止が決まった台湾第四原発の目と鼻の先。自然豊かな海岸線に突如出現した箱型の巨大建物。「なんとなく不釣合いだなぁ」と思いながらここを後にしました。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2020-03-20

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