台湾の歴史が始まった場所にあるシンボルタワー
こんにちは、台北ナビです。
歴史の香りとおいしいものの香りが漂う、台南の安平にやってきました。安平といえば港町だけに、エビやカキを使った小吃なども有名ですが、歴史が深い古跡の街としても知られています。台湾には、貿易の街として栄えたかつての3大港町を表す「一府二鹿三艋舺」という言葉があります。その一番である「府」こそが府城(現在の台南)であるここ安平を表しています。つまり、安平は台湾が始まった場所。
そして、今回ご紹介する「安平古堡」は台湾の歴史上、最も重要な役目を果たしてきた建物のひとつなのです。お腹いっぱい安平グルメを満喫した後は、オランダ時代のエキゾチックな雰囲気を残す安平古堡を散策してみましょう!
激動の時代に磨かれていった赤レンガの歴史
安平古堡を歩く前に、まずは歴史を簡単におさらいしておきましょう。
時は1624年のオランダ統治時代の幕開けの頃までさかのぼります。オランダ連合東インド会社による、東アジア進出が盛んだった頃、オランダ人によって「奥倫尼亞城」が建てられました。
レンガが不足していたため、土砂と木板で造られた簡素な城でしたが、これが現在の安平古堡の前身となります。
その後、オランダ語で海(Zee)と陸地(land)を表す熱蘭遮城(Zeelandia)と改名されました。建物はレンガ構造に修繕されていき、完成したのは1633年。3階建ての立派な建物で、内城と外城に分けられました。
現在、敷地内には外城南側の壁部分と、内城北側の壁部分が当時のまま残されています。まだセメントがなかった時代だった為「三合土」という砂糖水やもち米、カキの殻などを混ぜ合わせたものが使われていたそう。すっかりガジュマルの木に覆われた壁に、400年近くにわたる年月の長さを感じます。
鄭成功の像
1662年、オランダ勢力を駆逐した鄭成功による政権が幕を開けます。熱蘭遮城は「安平鎮」に名称を改め、鄭成功の死後は「王城」と呼ばれます。ヒーローと崇められた彼ですが、鄭政権は20年ほどで終焉を迎え、1683年清朝による統治時代が幕を開けます。
清朝がイギリスとフランスの連合国に負けたことにより、安平が貿易港として開放されます。しかし、樟脳が押収されたことによりイギリス軍が安平に砲撃を始めます。政治の中心は府城内に移り、大きな被害を受けた王城は廃墟と化してしまうのです。
大砲と展望台
そして1895年、日本統治時代が始まると「オランダ城」と呼ばれるようになり、荒れ果てていた城の修復が始まりました。
そして、1930年には「台湾文化300年記念式典」で外賓を迎える為、城上部が洋風に改装されました。北側にある大砲も、当時観賞用として他の場所から用意されたものです。台湾復光後「安平古堡」に名称を変え、1975年には監視塔に展望台が設置され現在に至ります。
いろいろな時代背景がかいま見える!広々としたエリア内
エリア内のマップ
おさらいが終わったところで、入り口に戻りましょう!安平古堡の入り口は南側にあります。中に入ると、右手には展望台や安平古堡文物陳列館 (史跡記念館)、そして左手には熱蘭遮城博物館…どちらから攻めるか迷いどころです。やっぱりナビは展望台から行くことに決めました。
まず、お出迎えしてくれるのは「安平古堡」と書かれた大きな石碑。以前は、オランダ人に対して関税撤廃を求めた日本人、浜田弥兵衛の功績をたたえる碑文が彫られていましたが、戦後現在の文字に改められたそうです。その向かい側には、鄭成功の像が。長崎県出身で、お母さんが日本人という鄭成功にどことなく親しみを感じてしまいます。
更に階段を上がると「史跡記念館」があります。
館内には、オランダ時代から現在に至るまでの安平にまつわる史料が展示されています。キーホルダーやポストカードなど、安平土産もこちらで販売しています。
さて、ついにやってきました!安平のシンボルである展望台です。
旅行のパンフレット等にもよく登場するこのタワー。外から見ると、それほど高くないように見えますが、中に入り上を見上げると、げんなりしてしまったナビ。仕方なく上を見上げないことにして最上階まで上がってみると、そこには安平を一望できるステキな景色が広がっていました。
この展望台の北側にある半円型の城壁と、その壁に囲まれた古い井戸も見どころです。この城壁と井戸は熱蘭遮城と呼ばれていたオランダ時代の物で、イギリス軍の攻撃にも耐えた貴重な遺跡です。
実はこの井戸、台南の赤崁樓とつながっていて、敵に包囲された際、安平への秘密の抜け道として使われたのでは…。といううわさがありました。しかし、当時それほどの掘削技術があったとは考えにくく、1990年に政府によって行われた調査によると、そのような通路は発見されなかったそう。伝説のままにしておいてほしかったな…そんな風にも思えます。
今度は、左側の熱蘭遮城博物館へ向かいます。
ここは台湾が貿易港として開放されて以降、税務司公館として建てられた建物です。日本統治時代に安平古堡が税関宿舎として改装された時、ここは税関クラブとなりその後史料館になりました。安平にまつわる歴史が、模型を使ってわかりやすく展示されています。館内は写真撮影が禁止なのでご注意を。
熱蘭遮城博物館の北側には、遺跡の採掘現場もありました。
2003年と2005年に政府は7カ所の遺跡調査を行いました。それによると、オランダ時代の物や鄭政権時代の中国やドイツ、日本やベトナムなどの陶器が数多く出土したそうです。これから見ても、安平がアジア貿易の重要な拠点であったことがうかがえます。
敷地内をじっくり見て回り、かなりへとへとになってしまったナビですが、安平古堡の歴史に触れ、より一層台湾をよく理解することができた(ような…)気がします。
ありがたいことに、熱蘭遮城博物館のすぐそばには、ドリンクやおやつなどを売るお店と休憩スペースがあるので、こちらでひと休みしていきます。
以上、台北ナビ(岩田優子)でした。