【台湾本】『我的日本』大原扁理の台湾読書日記⑰

台湾作家18名が豪華競演。日本について書き寄せたエッセイ・アンソロジー

こんにちは。大原扁理です。

私は台湾行きの飛行機を待っている時間がけっこう好きです。なぜかといえば、ゲートにいる台湾人のみなさんが、旅を終えて、とっても充実したいい顔をしているんですね。ずーっとしゃべってるんですが、控えめで穏やかで、それでいて、両手に免税品の紙袋を抱え、楽しむことに遠慮はない。なんてかわいい人たちなんでしょう!

こちらも嬉しくなっちゃって、「あなたの日本体験、教えてください!」と、一人ずつインタビューしていきたくなります。まあ1聞けば100答えてくれると思いますけど、もちろんそんなことはしません。でも、あの人たちの旅が楽しいものであったらいいな、と心の中で思ってる。これホントの気持ち。

そこで今回は、そんな私のひそかな願望に応えてくれる本、『我的日本 台湾作家が旅した日本』を紹介します。

「好き」の奥にある思いを、言葉のプロが言語化しまくる!

この本は、気鋭の台湾作家総勢18人が、日本滞在体験をエッセイにまとめたアンソロジーです。その内容は、観光旅行・留学・被災地の取材など、それぞれの体験を通して、日本人とふれあったり、日本文化を考察したり、歴史に肉薄したりとさまざま。

でもね、みなさんいいですか。作家という人種はですね、「好き」とか「楽しかった」とか、その一言の背後にある、ふつうなら言葉にしない思いを、数千字、時には数万字をかけて書き尽くすプロなんですよ!これがおもしろくならないわけがない!

ってなわけで、ワクワクしながら読みましたとも!

日本と台湾の初詣文化を比較!

せっかくなので、いくつかのエッセイを簡単に紹介してみたいと思います。

まず冒頭に登場するのが甘耀明さん。甘さんは1972年生まれ、苗栗出身の人気作家で、『真の人間になる』『鬼殺し』(いずれも白水社)などの小説が日本でも翻訳出版されています。

甘さんのエッセイは、「飛騨国分寺で新年の祈り」。岐阜県の飛騨国分寺へ、夫婦で初詣に行った思い出です。その中で、台湾の初詣的な風習「一番香 」という文化を紹介しています(台湾では「搶頭香」の呼び方のほうが一般的かもしれません)。新年の明け方、寺廟の開門と同時に、たくさんの信徒が香炉に向かって猛ダッシュ!そして一番手になれば、神仏が願いを叶えてくれるという(兵庫県の西宮にも、これと似た「福男」の風習がありますよね!)。
また甘さんは、飛騨高山の名物さるぼぼと、台湾の「燈猴」の伝説も比較しています。「燈猴」は、竹の灯りを司る神様なのですが、年末のお供えを忘れると、怒って神様に告げ口し、人間に罰をもたらす怖~い存在らしい(笑)。だから、子どもや女性を守るとされるさるぼぼのほうが「温もりがあるので私は好きだ」といいます。

海外に行ったときに見聞きする文化が、自国と似ていたり、違っていたり。こういう比較って、きっと誰もが経験があるし、楽しいものですよね。

ただし、甘さんのエッセイは、この本のなかでもわりと素直な好感を書き綴ったものです。巻末を見ると、これが「書き下ろし」であると明記されています。そのほかには、台湾ですでに出版された本から再録したエッセイもあります。

そこで私は思いました。日本で読まれることを前提に書いたと思われる「書き下ろし」よりも、日本で読まれることを前提にしていない文章のほうに、より台湾人のホンネが表れているんじゃないか!?本当のところはどうなんですか!?

台湾人から「日本語」はどう見えているのか?

そこで次に、「再録」の作品から、盧慧心(ルウ・フェイシン)さんのエッセイを紹介します。

盧さんは、1979年生まれ、彰化出身の作家・劇作家。日本では、短編小説のアンソロジー『台湾文学ブックカフェ1 女性作家集 蝶のしるし』(作品社)のなかで、「静まれ、肥満」という作品が翻訳されています。

で、エッセイのタイトルなんですが、「美女のように背を向けて、あなたと話す。あの冷たい日本語で」。ちょっとドキッとしちゃいますよね。日本語が冷たいという、その真意とは!?
この話は、2006年の夏に盧さんが、3ヶ月間大阪に語学留学した体験記です。日本で過ごした楽しい日々を振り返りながらも、ちらちらと顔を覗かせるのは、「日本語」に対する戸惑いでした。

「日本語を学んでから、私が使える日本語は反対に大幅に減っていき、口を開く前に何度もためらうようになった」。なぜなら、「日本語はその人が置かれている状況や身分によって絶えず変化し、敬語一つで関係を遠く引き離すことだってできる」から。だから盧さんは、日本語会話のなかで主客がわからなくなることがよくある、という。

私たちが無意識に行っている、日本語のなかにある省略や変化。それを瞬時に察すること。それができないとコミュニケーションに置いて行かれること。それを「まるで美女がさっと背を向けてあなたと話をするようなものだ」と表現しています。

ここで戸惑う時点で、だいぶ高度な日本語を身につけておられるのが推察されますが、それにしても盧さんはなぜ、「美女」という、届かない片想いの象徴みたいな言葉を選んだのでしょうか。私は何というか、どう消化したらいいのかわからない気持ちを置き土産にもらった気がするのです。

日本人が持ち得ない視点を借りて、日本を見つめる

こうした「外から見た日本」モノは、日本人にも人気のジャンルだと思いますが、さすがは親日国・台湾。かの国の作家たちの視点は、異文化の、どこがどう異なっているのかに対する解像度が、とても高くて細やか、かつ多様です。

台湾の人々が日本を旅するとき、私たちをどう見つめ、そして何を思うのか。それを知るのもまた、台湾を、そして台湾の人々を、より深く知ることにつながるような気がします。そしてそれは、彼らの視点を借りて、日本を見つめ直すことでもあります。

この機会にぜひ読んでみてください。

【今回紹介した本】
『我的日本 台湾作家が旅した日本』編訳・呉佩珍/白水紀子/山口守(白水社)1900円+税 2019年1月10日発売

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記事登録日:2024-04-02

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