基隆の道路沿いに歴史の「物言わぬ証人」を見てきました

日本との強い結びつきを感じられる場所もあります

基隆にやってきました。雨が降りやすいことから「雨港」の異名を持つ町ですが、この日は快晴でした。

基隆にやってきました。雨が降りやすいことから「雨港」の異名を持つ町ですが、この日は快晴でした。

基隆の離島、和平島に向かっていると、幹線道路わきに不思議な塔のようなものを発見。

基隆の離島、和平島に向かっていると、幹線道路わきに不思議な塔のようなものを発見。

実はこれ、1895年に台湾征討近衛師団長として台湾に上陸し、病死した北白川宮能久親王の記念碑なんです。

実はこれ、1895年に台湾征討近衛師団長として台湾に上陸し、病死した北白川宮能久親王の記念碑なんです。

この碑は1933(昭和8)年に基隆市連合青年団の提案で設置されたもの。戦後には碑文が削られ、識別できなくされてしまいましたが、記念碑そのものは残され、2003年には歴史的価値があるとして市の歴史建物として登録されました。

この碑は1933(昭和8)年に基隆市連合青年団の提案で設置されたもの。戦後には碑文が削られ、識別できなくされてしまいましたが、記念碑そのものは残され、2003年には歴史的価値があるとして市の歴史建物として登録されました。

また、その向かいにある軍施設の敷地内には、ジョン・ウー監督がメガホンを取り、長澤まさみさんや金城武さんらが出演した映画「太平輪」のモデルで、約1000人が死亡した1949年の太平輪海難事故の慰霊碑があります。

また、その向かいにある軍施設の敷地内には、ジョン・ウー監督がメガホンを取り、長澤まさみさんや金城武さんらが出演した映画「太平輪」のモデルで、約1000人が死亡した1949年の太平輪海難事故の慰霊碑があります。

そして足を和平島の方向へ進めると、和平橋の右側に、日本統治時代に建設された造船工場の廃墟が残っていました。フォトジェニックな場所としてたくさんの若者が集まっていましたよ。

そして足を和平島の方向へ進めると、和平橋の右側に、日本統治時代に建設された造船工場の廃墟が残っていました。フォトジェニックな場所としてたくさんの若者が集まっていましたよ。


造船工場跡は訪問時、柵などがなく自由に立ち入りができる状態でしたが、老朽化しており危険です。写真は敷地外から撮影しました。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2017-10-02

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