阿凱「1976」独占インタビュー

2010年6月、台湾のレコード大賞にあたる「金曲賞」を受賞したばかりのロックバンド「1976」のボーカル、阿凱(アーカイ)に独占インタビュー!

こんにちは、台北ナビです。台湾のレコード大賞にあたる「金曲賞」をご存知ですか?第21回を迎えた今年、『不合時宜』という曲で最優秀バンド賞を受賞したのが「1976」です。受賞者は他にも陶喆や張惠妹など、日本にもファンの多い有名歌手ばかり。今回、ナビがインタビューした阿凱(アーカイ)は、4人組のバンド「1976」でボーカルをつとめるほか、作詞・作曲も手がけています。インタビューした場所は阿凱がオーナーを務めるカフェ「海邊的卡夫卡(海辺のカフカ)」。ロックバンドのボーカル、カフェのオーナー、そして日本文学をこよなく愛し、もうすぐパパになる阿凱にたっぷりインタビューして来ました。

「ごめんごめん、車を停める場所が見つからなくて」と息せき切ってお店に入ってきた阿凱。Tシャツにジーンズというラフな格好は、一見すると、今年権威ある賞を受賞したバンドのリーダーというよりも、まるで同級生のような親近感を感じます。


Q:ロックバンドと聞くと、都会のイメージですが、出身は台北ですか?
台北育ちです。ただ、両親も、両親の祖父母も南部の雲林出身なので「カントリーボーイ」です(笑)。大学は淡水にある淡江大学で土木を勉強しました。母方の祖父母は日本時代の教育を受けたので、会話の半分が日本語だったのを覚えています。今も元気ですが、アメリカで暮らしています。

Q:高校時代に音楽を始めたそうですが。
女のコにもてたかったからです(笑)。きっかけなんて、みんなそんなものですよ。最初はドラムを叩いていました。あの頃、流行っていたのがバスケットボールと音楽。勉強なんてそっちのけで、いかにしてもてるかばかり研究していました。僕は建中(=建國高級中学、台湾で最も優秀だとされる男子高校)出身なのですが、全く勉強していなかったので両親が非常に心配していたのを覚えています。現在とは違う仲間で、「スラッシュメタル」というヘビメタよりもっと過激なジャンルに挑戦していました。もうその当時のバンド名さえ忘れてしまいましたが。
もう一つ大きな影響を与えたのは社会の変化です。1987年、僕が11歳のときに戒厳令が解除されました。それまでの台湾にはあまり西洋文化が流入していませんでしたが、戒厳令が解除された途端、洪水のように西洋文化が押し寄せて来ました。突然世界が大きくなったのです。90年代に入ると、ビルボード誌にランクインしているような流行の音楽がどんどん入って来て虜になりました。まだネットのない時代だったので、雑誌を見たり、タワーレコード(現在は閉店)へ出掛けてレコードを漁ったりしていました。


Q:確かに現在とは音楽を購入する環境が違いますね。ナビも最近まったくCDを購入していません。
全然問題ありません!今はネットで音楽を販売する方法もありますし、情報量も膨大です。以前は雑誌で好きなバンドの情報を集めて、実際に店舗へ出掛けてレコードやCDを探すしかありませんでした。でも、現在は誰もが音楽を聴く権利を手に入れたし、しかもネットで曲を購入すれば一曲ずつの販売になるので安く買うことが出来ます。「1976」の曲もネット上で販売していますよ。

Q:「1976」について教えて下さい。
メンバーとは高校時代に知り合いました。とはいっても、最初から一緒に活動していたわけではなく、バンドを結成したのは1996年なのでもう14年目に入ります。メンバーは僕(阿凱・ボーカル)、大麻(ギター)、子喬(ベース)、大師兄(ドラム)の4人です。大師兄は2001年に加入した僕の同級生、大麻が1年先輩、子喬が6年後輩にあたります。メンバーはバンド活動以外ではそれぞれ職業を持っていて、大師兄と大麻は普段、音楽の先生。僕はカフェのオーナーですが、子喬はギャンブラーをしています(笑)。彼は、僕らが兵役に行っている間の2001年、日本へ留学していましたので日本語を話せます。とにかく記憶力が良く、めちゃめちゃギャンブルが強いので、誰も彼とやりたがりません。バンド名は僕が1976年生まれだったことから付けた名前です。ファン層は高校生から大学生が多いですね。男女比も半々くらいです。


Q:普段はどんな活動をしているんですか。
練習はMRT「麟光」駅のそばにスタジオがあるので、週に1回、2~3時間練習します。もともと曲は全部、僕が作詞作曲していたんですが、3年ほど前から全員が参加して作るようになりました。最初に誰かアイディアが浮かんだメンバーがパソコンで原曲のファイルを作り、ドロップボックスというネット上のクラウドサービスを利用して、他のメンバー全員に送ります。受け取ったメンバーはそれぞれ曲をアレンジしたり、好きなように組み換え、最終的に全員のデータを合わせて曲を完成させていきます。ですから、早ければ数時間で一曲出来あがってしまうこともあれば、いつまで経っても完成しない時もあります。

Q:音楽に影響を与えたものは何ですか。
僕らは時代とともに音楽をやってきました。僕が高校生の頃は、その時代の音楽を聴いて育ってきたんです。だから僕らも今という時代を音楽で表現したい。そして、ファンには現在の若者の気持ちを捉える音楽をやりたいと思っているんです。
たとえば、村上春樹はデビューして30年間、書き続けてきました。彼は29歳のとき『風の歌を聴け』でデビューして、今はもう60歳ですが、先日台湾では『風の歌を聴け』の30周年記念版が出版されたほどです。
こんなエピソードがあります。ある20代の読者が村上春樹に手紙を送りました。「『風の歌を聴け』を父の書棚から借り出して読みました。当時読んだ父はきっと涙を流したに違いない」と。彼の作品が常にその時代の若者の気持ちを捉えているからでしょう。

Q:オーナーをされているカフェの名前も「海辺のカフカ」ですが。
村上春樹の作品はすべて読みました。僕が大学一年生か二年生の時、台湾の時報出版社が翻訳権を取得して出版したのです。その後、頼明珠さん(台湾で村上春樹の翻訳を一手に引き受ける訳者)が翻訳を手掛けるようになり、『ノルウェイの森』が台湾でも大ヒットしました。なぜ彼女の翻訳が成功したか、僕が感じるのはその時代感覚です。当時の台湾はまだ戒厳令が解除されて何年も経っておらず、学生たちが西洋文化やブランドというものに触れる機会はほとんどありませんでした。しかし、僕らは賴明珠さんが訳した村上春樹の作品を通じてそういったものに触れることも出来たし、時代の感覚というものを肌で感じることも出来た。作品中にはその当時に流行したブランドや音楽の名前も多く出てきます。賴明珠さんは西洋文化にも精通しているし、音楽にも詳しい。彼女はそうしたものを正確に日本語から中国語に訳す能力を持っていたんです。他の訳者は、文中に出てくるブランドや音楽について知らないまま訳しているため、中国語を見ただけでは何の意味か分からない奇妙な訳文になってしまっているんです。
実は先日も賴明珠さんがこの店へ来て、『1Q84』の第3巻をくれたんですよ。だけど日本語版だから全然読めない(笑)。彼女の中国語力、日本語力、流行文化への造詣がなければ、僕もここまで村上春樹にハマることはなかったかもしれないですね。

Q:そういえば、隣の路地を入っていくと「ノルウェイの森」というカフェがありますよね。
ハハハ、僕が店を開くときに色々と手伝ってくれた店です。店の名前を決める時も色々と相談に乗ってくれました。残念ながら今ではオーナーが変わってしまいましたが…。そういえば、墾丁にも「国境之南、太陽之西」という民宿があるそうですよ。


Q:じゃあ村上春樹作品が音楽に影響を?
もちろんです。もともと僕は日本文化にも西洋文化にもとても興味を持ってきました。「蒋公記念歌」というのを知っていますか?僕が小学生や中学生の頃によく歌わされた蒋介石を記念する歌です。蒋介石の誕生日は休日になり、この歌を歌う時は直立不動で立たなければならないんですよ。まだ今でも暗記していますよ。こういう時代に少年期を過ごしているわけですからね。自然と西洋や日本へ強力な興味が湧くのは当然といえるでしょう。
村上作品については、リズムという点で大きく影響を受けました。実をいうと、村上作品のリズムはちょっと変なんですよ(笑)。『ノルウェイの森』はいいとしても、『1Q84』はオウム真理教を取り上げたものですから、リズムは当然より複雑になります。けれど読者は逆に彼の描き出したリズムを却って心地よく受け止めながら、作品に引き込まれていっている。もちろん、中国語と日本語の差があるかもしれませんが。


Q:日本人の作品がお好きなようですね。
もともと大江健三郎が好きですね。『沖縄ノート』以外、すべて読みました。それから三島由紀夫の『金閣寺』や『潮騒』、太宰治も読みましたね。とにかく文学、特に日本の現代文学から得る影響はとても大きいです。そして村上龍。先日も誠品書店の特集サイトでインタビューされた際も、これから読みたい本ということで村上龍の『最後の家族』を挙げました。この本がモチーフにしているのは引きこもりの少年を中心に、それぞれが問題を抱える家族の物語。今の時代の日本社会が抱える陰を描いていると思います。

Q:今後の目標を聞かせて下さい。
これからも音楽を作り続けていきたいですね。幸い、台湾のインディーズは、世界でもかなり大きい規模です。このインディーズの世界をもっともっと拡げて、音楽を楽しむ人のすそ野を拡げていきたいです。それから、2007年に渋谷や名古屋などのライブハウスでライブを行いました。まだ日本公演は1度しか実現していないので、もっともっと日本へ行って演奏したいですね。僕ら「1976」のCDは東京渋谷の「O-NEST」や「O-EAST」でも購入出来ますのでチェックしてみて下さいね。
実はインタビューしたナビとは1歳しか変わらない阿凱。結婚前は雑誌記者をしていたという奥さんもカフェに来ていてお仕事をしていました。そして奥さんのお腹の中には赤ちゃんが!阿凱はもうすぐパパになるのです。これからも頑張って下さいね、どうもありがとうございました。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2010-10-20

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