『約500mの高さの断崖から太魯閣渓谷を見る』ってすごいスリル!!一味違うデープな太魯閣の自然美、日本との関わりにも触れてきました
今回のハイライト、錐麓断崖
こんにちは、台北ナビです。
突然ですがナビは台湾の自然が大好きです!そこで今回ご紹介するのは台湾を代表する国家公園の太魯閣國家公園。急峻な渓谷、巨大な大理石。そこを流れるコバルトブルーの川。その迫力ある自然美にひかれ観光ツアーなどで行かれた方も多いのではないでしょうか?
今回は太魯閣渓谷を上から眺めるツアーに参加してきました。
日本にも関係深い『太魯閣国家公園』
太魯閣国家公園は、台湾の東西を結ぶ中部横貫公路沿いにあります。急峻な崖や濁流の自然の威力に阻まれ、渓谷沿いの道路開設は進まず、本格的な道路が完成したのは、戦後の1960年になってからです。
日本が台湾を統治していた時代、原住民の人々は日本の統治に反抗し各地で争いがおきました。その中で2大戦闘といわれるのが、東の太魯閣戦役(1914年)と西の霧社事件(1930年)です。
どちらも山岳地域の部族との戦闘でした。今回訪れた太魯閣渓谷地域は、太魯閣戦役の舞台となった場所です。太魯閣戦役が終わり、日本政府は原住民管理や警備などの強化のため、渓谷内に道を作ることを考えましたが、渓谷沿いに道を通すことは難しく、以前から原住民の方々が使っていた山の中腹にある細い道を拡張し整備しました。
現在、錐麓古道と名付けられ、燕子口から断崖駐在所まで歩行可能です。
巴達岡駐在所に設置されていた説明板
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太魯閣渓谷道路沿い
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野訊國際登山旅行社のツアーを利用しました
通常MRT「古亭」駅前より出発します。中型バスで定員25名
今回は砂卡礑歩道と錐麓古道の2カ所を歩きました。
砂卡礑歩道はだれでも行けますが、錐麓古道は事前の入山申請が必要です。1日の入山人数制限もあります。(平日96人、休日156人)個人でネット申請できますが、ナビは台湾で登山を専門に扱う
野訊國際登山旅行社のツアーに参加しました。登山コースは比較的短くハードではありませんが、断崖を歩くことの危険、そのほか何か不測の事態になることもあると考え、ガイド付きのツアーにしました。交通は専用バスを使うので行動にムダがありません。申請手配の手間や交通機関、宿泊手配を全部やっていただけるので利用する価値大だと思っています。
個人で錐麓古道の入山申請する方は、國家公園管理HP「
太魯閣管理ステーション」をご覧ください。
野訊國際登山旅行社 今回のツアー行程案内
いよいよ出発です
東海岸の風景 切り立った海岸線とエメラルドブルーの海の色が美しい
1泊2日のツアーは、朝7:30に台北MRT「古亭」駅から出発します。専用バスで東海岸を下り、太魯閣渓谷まで向かいます。途中、雪山隧道を抜け、しばらく走ると東海岸沿いに出ます。西側と比べ、海岸まで山が迫る美しい景色が広がっていました。
今回の参加者は18名。ガイドさんは林(Lin)さんと詹(Jan)さん。私たちグループを前後でがっちり守ってくださいました。
ツアーの仲間(砂卡礑歩道にて)
野訊のツアーで楽しいのは、現地の食事を味わえること。また各地の有名なお店に立ち寄ってくれることです。今回は太魯閣渓谷に入る少し手前で有名なレモンジュース屋に立ち寄ってくれました。
ツアーの途中で行ったレストランでは、スープ、鶏肉・豚肉・魚・野菜料理とデザートが提供されます。最後の夕食場所は港町の蘇澳。イカやエビなどの海鮮がおいしかった。
初日は砂卡礑歩道を歩きました
15:25砂卡礑歩道入口に到着。
太魯閣渓谷のメインを流れる立霧渓から支流の砂卡礑渓へのう回路にかけられた橋から砂卡礑渓に沿う道まで階段で降りていきます。川沿いの道はほぼ平坦でだれでも気軽に歩けます。
この日は時々小雨模様。太魯閣渓谷の入口に近く標高も低いため、温かくて湿潤です。動物や植生が豊かなこともうなずけます。歩道沿いにはシダやソテツ、熱帯の観葉植物がたくさん生えていました。
砂卡礑歩道は別名「発電歩道」と言われています。というのも日本統治時代、原住民である太魯閣族が使っていた細い道をダム建設資材運搬用に拡張して作られていたからです。2001年まで「神秘谷」と呼ばれ、あまり利用されていなかったそうです。
周囲の景色を楽しみながらゆっくり歩いていきます。ほとんど平たんな道です。生憎時々小雨が降る天気でしたが、まずは次々と現れる巨石とのご対面で感動し写真撮りまくり。
休憩を入れて約1時間15分歩き、五問屋という地点で引き返しました。帰路は50分ほど。その後再びバスに乗り、太魯閣の奥にある天祥の宿まで向かいました。
錐麓古道
入山管理所
翌日は薄曇り。7:00に宿を出発。
燕子口まで戻ります。ここから錐麓古道が始まります。(入山するためには事前申請が必要で、入山料は200元です)申請のために各人のID(外国人はパスポート)をリーダーが代表して管理事務所に申請書提出と入山料を支払いました。その後入口ゲートとなる錐麓の吊り橋へと進みます。また、断崖を歩く際にはヘルメット装着が必要ですが、無料で貸し出してくれます。
この吊り橋はとても高い場所にあるので、これだけでも怖い!川の景色は雄大ですが……。その後は石段の登り道が始まりました。
吊り橋からの景色
地図で錐麓古道の行程を確認しましょう!
錐麓古道歩行地図
燕子口から錐麓吊り橋を渡り、巴達岡駐在所を経て断崖駐在所までの3.1㎞を往復します。時間としては5時間前後です。本来古道は、慈母橋まで通っていたのですが、現在は断崖駐在所までで、閉鎖されています。
絶景を見るために細心の注意を払って歩くべし!
巴達岡駐在所入口の門
出発後1時間ほどで、巴達岡駐在所(跡)に到着しました。
ここはかつて日本の駐在所が置かれ、宿泊施設や原住民のための教育施設など複合的な目的をもって建てられた施設だったそうです。今でも入口に門が残り、貯水槽と思われる人工物も残っています。
サクラは日本で一般的な薄いピンクの花ではなく濃いピンクの種類
広場のはずれには大きなカンヒサクラが咲いていました。当時ここに住んでいた日本人もこのサクラを見て日本を思っていたのでしょうか。
さらに1時間以上山道を登り、断崖に近づきました。ここでヘルメット装着の指示。気持ちが引き締まります。ヘルメットは頭上からの落石や山側から飛び出た岩から保護するために大切です。なぜかすれちがったほかのグループの中、ヘルメットを着けていない人を数名見かけたのですが、一人頭上に飛び出た岩塊に気付かず頭を打った人を見ました。危ない!!
はじめは、さほど大したことはないように歩いていましたが、幅80~90㎝の道の片側は、ほとんど柵のない500mの垂直の切り立った断崖です。ここで転倒したら多分命の保証はありません。怖さが募ります。
実はこの道が一般開放されたは2008年。10年ほど前からです。道の危険性を考え確実に歩けるよう整備がされ、やっと開放されたとのことです。
はるか下に渓谷が見えます
日本がこの道を開いたときもどんなに困難なことだったでしょう。
1917年原住民の人が使っていた幅30㎝ほどの道を広げるため、原住民の人を動員し、上からロープで吊り下げ、ダイナマイトで岩を破壊しながら作ったそうです。途中には岩をくりぬいたトンネルもあります。
この怖い道が500m続き、突然緑多い平たんな場所に着きました。断崖駐在所です。当初建設されたのは1915年。標高765mの高さにあります。現在は何も残っていません。ここで簡単な昼食を取りました。
帰路は同じ道を通ります。休憩を入れて約2時間で燕子口に戻りました。
吊り橋を上がったゲートには、本日入山した人の名簿をもった管理員の方が一人一人帰ったことをチェック。出入の管理は厳重です。
かなり下ってきました
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出口で一人ずつ氏名をチェック
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帰路、清水断崖を見学
渓谷の断崖の絶景を堪能し、台北へ帰る途中、太魯閣國家公園の一部である清水断崖を見学しました。
清水断崖は、海岸から4㎞離れた標高2407mの清水山がそのまま海に落ちている場所です。直下の高さは800m。清水断崖の少し手前に大きな駐車場と展望台が作られていて観察することができます。ここから見る景色は迫力ありました。
手前には山をくり抜いて通した線路が見えました。鉄っちゃんたちの人気撮影スポットなんだとか。
太魯閣を深く体感した旅でした
断崖途中ケルンを皆で積みました
今回のハイライトは、やはり『錐麓断崖を歩いた』こと。
事前申請というハードルがありますが、雄大な太魯閣を深く体感するため、行くことをお勧めします。太魯閣は台湾のグランドキャニオン、と誰かが言ったそうです。1枚岩といわれる断崖から下を見るなんてあまり体験できません。怖いけど感動ものです。
歩行自体は、さほどキツイ歩きではありません。少し歩きなれている方なら十分行ける道です。ナビたちは休憩を入れて往復5時間半で行ってきました。
そして、日本とは切っても切れない歴史的な関係。道の途中に設置された説明書きを読んで歴史をかみしめるのも意義あることではないでしょうか。
以上、台湾の山大好き台北ナビ(木村明惠)でした。
(取材日:2019年2月28日~3月1日)