霧社事件紀念公園を訪問してきました

台湾人でも訪れる人は少ないですが、二度と惨劇を繰り返さないために訪れてみたい場所です

台中から自動車で約1時間。南投県霧社にやってきました。のどかな山あいの町なのですが、わざわざこの場所に来たのには理由があります。

台中から自動車で約1時間。南投県霧社にやってきました。のどかな山あいの町なのですが、わざわざこの場所に来たのには理由があります。

歴史に詳しい方はご存知かと思いますが、日本統治時代の1930年に起きた抗日蜂起事件「霧社事件」のあった場所で、役場の直ぐ近くに霧社事件紀念公園があるんです。

歴史に詳しい方はご存知かと思いますが、日本統治時代の1930年に起きた抗日蜂起事件「霧社事件」のあった場所で、役場の直ぐ近くに霧社事件紀念公園があるんです。

牌樓をくぐって直ぐ右にあるのは抗日原住民像。

牌樓をくぐって直ぐ右にあるのは抗日原住民像。

その直ぐ横には、戦後になって霧社事件の犠牲者の遺骨や首謀者とされるモーナ・ルダオの遺体が見つかったことなどや、霧社事件の関連スポットを紹介する地図がありました。

その直ぐ横には、戦後になって霧社事件の犠牲者の遺骨や首謀者とされるモーナ・ルダオの遺体が見つかったことなどや、霧社事件の関連スポットを紹介する地図がありました。

そして、睨みをきかせるモーナ・ルダオの像。

そして、睨みをきかせるモーナ・ルダオの像。

その先には記念碑がたっていました。

その先には記念碑がたっていました。

その裏には、モーナ・ルダオの墓が。1933年にマヘボ社(現蘆山温泉)で見つかった遺体はその後台北帝国大学(台湾大学)に標本として保存されていましたが、1973年にこの地に安置されました。

その裏には、モーナ・ルダオの墓が。1933年にマヘボ社(現蘆山温泉)で見つかった遺体はその後台北帝国大学(台湾大学)に標本として保存されていましたが、1973年にこの地に安置されました。

「無名英雄の墓」もありました。

「無名英雄の墓」もありました。

お墓の両側にも抗日蜂起を描いたレリーフが。

お墓の両側にも抗日蜂起を描いたレリーフが。

日本人としては複雑な気持ちになる場所ですが、50年に渡る日本統治時代にはこんな事件もあったということを知識として覚えておきたいですね。

日本人としては複雑な気持ちになる場所ですが、50年に渡る日本統治時代にはこんな事件もあったということを知識として覚えておきたいですね。

標高の高い場所ですが、意外と開けた場所だったのですね。<br>本を読むだけでなく、実際にその場所を訪れると、さらに理解が深まった気がします。

標高の高い場所ですが、意外と開けた場所だったのですね。
本を読むだけでなく、実際にその場所を訪れると、さらに理解が深まった気がします。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2020-06-04

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