花蓮の街は日本に似ています。かつての大佐宅から周辺も歩いてみました
こんにちは、台北ナビです。
花蓮の松園別館の近くに「将軍府」というところがあります。ここは、日本時代、花蓮港陸軍兵事部部長の宿舎だったところで、第一人者は川崎明徳大佐、次は南英輔大佐、3人目でかつ最後の主となったのは中村三雄大佐でした。大佐は台湾では陸軍上校にあたります。
建物は、1936年(昭和11年)に建てられ、周辺は今、日本式家屋群と呼ばれ、当時の幹部クラスの人たちの宿舎でした。戦後は国民党軍の人たちの住居となり、ヒノキ作りの中村大佐の建物が、将軍府(将軍の家)と呼ばれたのもその頃です。
2005年に花蓮県の歴史的建造物に指定されたことから撤去は免れたものの、その後、定期的な補修やメンテナンスを行ってこなかったため、台風で壊れたところはそのまま放置されたり、侵入者にドアを持っていかれたり、各所が破壊されました。2010年になって今の状態を回復したそうです。
現在は民生社区のコミュニティの方たちが、「将軍府と日式家屋群」の庭や中に入れるところの掃除を行っています。そのため、植木もきれいに刈り込まれ、靴を脱いで上がる建物も2戸あります。
また、最近の台湾の風潮として、日本式家屋の復元エリアでは、浴衣着衣の体験ができます。一回300元ですね。しめ縄のDIY教室もあるようです。
中村大佐宅
大きなマンゴーの樹木があり、入口の右側の一階建ての住居に比べると、ちょっと暗い、近寄りがたい空気も感じられます。マンゴーはいわゆる土マンゴーじゃなくて、外来種だそうで、そう大きくはなく、丸くて赤みがかった色で、果肉はオレンジでとてもおいしいとのこと。が、木が大きくなりすぎて世話もしにくくなり、そのため成る実も少なく、自然と落ちてしまうのだそうです。
うっそうと茂ったマンゴーの樹木
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将軍府。大佐宅でした
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2017年の秋にナビが行った時には、コミュニティの方が県政府から予算が下りて、中村大佐の家屋が改修されるというお話しをしてくれました。他の宿舎より高床で作られた四方形の中村大佐の建物の現況は、確かにいいとは言えません。洋服で言えば継ぎあてをいっぱいされ、今なお着ているようなボロボロの状態です。また、中央の部屋には当時の日本時代の街並みの模型があり、壁にも当時の歴史があって非常に興味深いのですが、その他の部屋は地方の紹介だったり、放置されていたりであまり統一性がありません。
模型はきれいに作ってありました
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今の通り名と日本時代の名との対照。春日、高砂、朝日…当時らしい名ですね
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奥の部屋には1955年に浙江省の大陳島から台湾へ移民に来た28000人の中国人たちの歴史が紹介されていて、これは個人的には非常に興味深いものでした。台湾では眷村(軍人村)がどんどん消失しています。しかし、現在もこの将軍府の近くで大陳一村、二村として、栄民(退役軍人)が住み、浙江なまりの中国語が話されている眷村は希少なので、機会があれば行ってみたいなと思いました。
さて、早くは嘉義から、台南や台東でも丁種宿舎、丙種宿舎と復元され、どんどん文創園区として生まれ変わっている日本時代の宿舎群ですが、こちらの将軍府はまだ時間がかかりそうです。が、その分修繕前の様子が見えて貴重かもしれません。
コミュニティの方たちが、今は監視カメラをあちこちに取り付けているから、おかげで破壊されなくなったよ。とのこと。
さっと中央の道を歩きながら写真を撮ったりしていると数十分で過ぎてしまいますが、この一帯は、橋の向こうに花蓮港公学校があったり、日本人が住む大きな住居エリアだったところです。河に沿ったところや些細なところに、日本ならではの風景という箇所も見つけられます。
以上、台北ナビでした。