七脚川事件紀念碑(花蓮県)

七腳川事件紀念碑

閉店・移転、情報の修正などの報告

日本人にはあまり馴染みがないと思いますが、知っておきたい台湾の一部です

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七腳川事件は、日本統治時代、七腳川社(現在の花蓮県吉安郷)に住居を構えるアミ(阿美)族と日本の警察との間に発生した衝突事件のことです。
七腳川社の人たちは、日本政府の長期にわたる看視と薄給に業を煮やしていました。給与が少ないと文句を言うと仕事態度が怠慢だと言われ、給与は据え置きにされていました。給与は頭目に一括して渡され、頭目が各自に発給していたのですが、1908年(明治41年)12月、七腳川社の18人が、勤務地が遠くて家へ帰るのも不便、給与が少なく家計を養っていけない、日本側の労働配分が不公平などの不満を日々漏らしていたところ、或る日給与を受け取れなかったので、頭目に聞いたら、警察がまだ渡してくれていない、とのこと。警察に聞くともう頭目に渡したとのこと。
12月13日、彼らは頭目と警察を山へ追い込みました。翌日になって、日本人巡査が1人死亡、15日には派出所の42人が七腳川社の人たちに囲まれました。もともと少額の給与問題だったのが日本側は七腳川社全体の暴動とみなし、さらなる衝突で死傷者が出ました。その夜軍事行動がとられ、次の日、七腳川社のアミ族は木瓜山(鯉魚山)へ逃げ込んだのですが、そこを軍隊と警察は更に襲撃したのです。
1909年(明治42年)3月、アミ族1322人が制圧に帰順し、大埔尾(現在の台東県鹿野の一帯)などの他地方へ移住させられました。「七腳川事件」終了後、アミ族は強制的に移住させられ、空き地となった彼らの土地には日本からの農業移民が入植。吉野村はじめ台湾東部の移民村が形成されていきました。

取材協力:交通部觀光局花東縱谷國家風景區管理處

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上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

スポット登録日:2016-10-26

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