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生活感溢れる稀有な老街 短いストリートに見所がぎゅっと詰まっています


こんにちは、台北ナビです。

今日は、雲林県の東端にある「斗六市」に来ています。観光客の方にはあまり馴染みのない市ですが、雲林県の交通の要所として台湾の方々には知られた場所であり、雲林県の政治、経済、文化、教育、医療の中心となっています。

そんな斗六にあるのが「太平老街」。地元民の生活に密着している老街で、観光客の方も十分楽しめます!

老街のスタート地点「ロータリー」


台鉄「斗六」駅から徒歩2分ほどのところにある斗六市噴水圓環(ロータリー)は斗六を訪れたほとんどの方が通る斗六のランドマーク。「斗六門」とも呼ばれており、これは平埔族が山鹿をしとめた時に出す音「ドゥルメン」を、台湾語の発音で漢字に置き換えたのだといわれています。日本が台湾の統治を開始した1895年、ここには斗六媽祖廟がありましたが、1937年皇民化政策が推し進められたことでこの廟が取り壊され、中山路を通して軍関係の施設が作られたそうです。その後ここにロータリーが作られました。

このロータリーから伸びる太平路は、南北へと移動する際に必ず通る道であったことから清朝から日本統治時代にかけて特に栄えていました。今回ご紹介する「太平老街」はロータリーから永福寺までの全長600mという短いもので、観光地化されていないので、老街が現代の生活に上手に溶け込んでいる様子が見られます。

建物の特徴を知ろう!

各々が個性を存分に出している建物が並ぶ老街。ですがなぜか統一感があると思いませんか?まずは老街にある建物の特徴を簡単に把握して、その謎を解いていきましょう。
雲林縣斗六市太平大街發展協會作成ガイドマップ「斗六太平老街 趣,散步」より引用

雲林縣斗六市太平大街發展協會作成ガイドマップ「斗六太平老街 趣,散步」より引用

1900~1920年頃に建てられた建物は西洋の古典建築を真似て作られたものが多く、装飾も派手で華麗なものが多いのが特徴です。1920年以降は現代主義が台頭し、シンプルで鉄筋コンクリートを使ったものが増え、戦争の影響を受け物資に限りがあった1937年以降に建てられたものは派手な装飾はほぼなく、よりシンプルで、建物の線も直線的なものが増えました。この老街では1908年~1929年頃に建てられた建物が見られます。昭和時代のものは少なく、大正時代のものが多いそうです。
奥の方はシンプルな建物が多くなってきています

奥の方はシンプルな建物が多くなってきています

小石や珊瑚で作られた柱なども見られました

小石や珊瑚で作られた柱なども見られました

写真屋さんの屋根は日本っぽい!!

写真屋さんの屋根は日本っぽい!!

雲林縣斗六市太平大街發展協會作成ガイドマップ「斗六太平老街 趣,散步」より引用

雲林縣斗六市太平大街發展協會作成ガイドマップ「斗六太平老街 趣,散步」より引用


時代によりスタイルは異なりますが、どの建物も上から下へ「女兒牆」「屋身立面」「招牌」「亭仔腳」と4つ分かれています。

女兒牆」…屋上についている壁。装飾のメイン部分であり、最も華麗な部分。三角形や丸みを帯びた形があり、そこに様々な装飾がなされています。持ち主の名前や縁起物などが施され、これを見るだけでも楽しいです。

屋身立面」…2階部分の壁。どの建物も細長い窓が3つ作られているのが特徴です。その窓も個性を出すために窓枠の形も異なります。

招牌」…その名の通り、お店の看板がある場所。新しいお店はここにそのまま看板をつけています。

亭仔腳」…現在では「騎樓」と呼ばれる場所で、柱はレンガやコンクリート、そして貝殻や珊瑚、小石を固めた洗石子で作られています。また、各建物の壁は連なっていて、強度を強めています。
この中でも「窓が3つならんでいる」というは日本統治時代の建物を代表するものらしく、老街の統一感に一役買っているとナビは思います。そして、600mの中でもロータリーに近い方が以前のままの様子を留めているそうです。
まず足をとめたのは建物の一番上の部分(女兒牆)に「旭日旗」が飾られたお店。その上にはトビの装飾があります。「日本人はトビが大好きだから」なんだとか まず足をとめたのは建物の一番上の部分(女兒牆)に「旭日旗」が飾られたお店。その上にはトビの装飾があります。「日本人はトビが大好きだから」なんだとか

まず足をとめたのは建物の一番上の部分(女兒牆)に「旭日旗」が飾られたお店。その上にはトビの装飾があります。「日本人はトビが大好きだから」なんだとか

女兒牆に注目!「CHOHATSU」と書かれています。長髪(ロングヘアー)?薄髪に困っていたのかな?と思ったのですが(失礼!)、「長發」という音にもかけているのだそう。「發」は中国語で「發財(お金が儲かる)」の意味で、「長發」でビジネスが長く続きますように…という意味が込められていたのだとか 女兒牆に注目!「CHOHATSU」と書かれています。長髪(ロングヘアー)?薄髪に困っていたのかな?と思ったのですが(失礼!)、「長發」という音にもかけているのだそう。「發」は中国語で「發財(お金が儲かる)」の意味で、「長發」でビジネスが長く続きますように…という意味が込められていたのだとか

女兒牆に注目!「CHOHATSU」と書かれています。長髪(ロングヘアー)?薄髪に困っていたのかな?と思ったのですが(失礼!)、「長發」という音にもかけているのだそう。「發」は中国語で「發財(お金が儲かる)」の意味で、「長發」でビジネスが長く続きますように…という意味が込められていたのだとか

家を見れば、夫婦関係が分かる??

ロータリーから歩いてくると左手にある建物の女兒牆に見える2つの「郭」の文字。そう、郭さんの家が二つ隣り合っています。看板の上の部分には「剪黏」と呼ばれるカラフルな装飾があるのも特徴的です。これは明の時代、陶器の産地として有名な広東南部の潮州で始まったもので、廃棄された陶器の破片を適当な大きさに切り貼りして動物や人などを表現しています。廟などでもよく見られますね。

さて、なぜ郭さんの家は隣あっているのでしょう?実はこれ…正妻と妾に建てたものなんだとか。キャーー!! この時代、結婚とは親同士が決めるもの。正妻さんが子どもを産めないとなると、妾を取るというのは自然な流れだったのだそう。そういえばNHKの朝ドラ「あさが来た」でもそんなこと言っていたなぁ…。

そして、建物を見るだけでどちらが正妻のものかがわかります。正妻さんがいる方には…「元」の文字があり(元の妻の意)、剪黏に獅子が描かれている(正妻をあらわす象徴)のです。つまり左側が正妻の家なのです。ちなみに妾さんの方には子宝に恵まれますようにと麒麟が描かれています。
「元」の文字、そして獅子が見えますか?

「元」の文字、そして獅子が見えますか?

右端に麒麟がいます!

右端に麒麟がいます!

現役で活躍!オーダーメイドのスーツ屋さん


「勝麗西服號」はスーツ屋さんで、なんと太平大街の常務監事(兼總幹事)をつとめる林志興さんのご実家です。

日本統治時代から終戦後にかけてここに住む台湾の方々は着物を着るのでなく、オーダーメイドのスーツを着ており、スーツ屋さんはここのほかにも10数軒ありました。その時代は、布団でゆっくり寝ることもできないほど商売が繁盛していたそうで、バイクに乗って一人ずつサイズを測ったりもしていたそうですよ。

今は既製品の服が溢れていますが、こちらは現役でスーツを作り続けています。企業の制服なども手がけているそうです。歴史あるお店がまだ残っているというのもいいですよね。
林志興さん

林志興さん

女兒牆は蝙蝠の形! 幸福の象徴ですね

女兒牆は蝙蝠の形! 幸福の象徴ですね

老街で最初に建てられた「源興」


太平街は元々このような建物が並んでいるわけではなかったのですが、1906年、斗六で大地震が発生し、一帯の建物は崩壊。1908年に太平老街で最も古くに建てられたのがこの「源興」で、現在では100年以上の歴史があります。

日本が統治していた時代なので、この時期に建てられた建築物は、日本の美術・建築が取り入れられています。この時代の日本ではヨーロッパで学んだスタイルが大流行。その影響で台湾でもヨーロッパ風の外観をした建物がたくさん残されていて、台湾の方々は「バロック建築」と呼んでいます。「ヨーロッパ風の建築=バロック建築」という風に考えられているため、本当のバロック建築ではない…というものもあるそうです。

そして台湾の老街で見られるヨーロッパ風の建築には台湾的要素が多く取り入れられているのも楽しいです。例えば…源興の3つ手前の建物の女兒牆には八卦(太極)があります。魔よけとして使われていたのですね。そしてその上には蝙蝠(幸福の象徴)、下には牡丹の花(富の象徴)があります。老街ではよ~く建物を観察して、そこに込められた思いを感じるととても楽しいですよ!

その横の招牌には官煙賣捌所の文字が堂々と残っています。1905年、政府がアヘンを専売にすることに決め、その後塩、樟脳、煙草、酒と対象を増やしていき、財政を改善させたといわせています。その中のたばこを斗六で売っていたのが、「官煙賣捌所」です。そして、こちらの女兒牆にもご注目!その時代、台湾の方々は時間をあまり守れなかったので、時計を飾ったのだとか。面白いですよね。
女兒牆に八卦、蝙蝠、牡丹の花が見えますか?

女兒牆に八卦、蝙蝠、牡丹の花が見えますか?

時計にご注目!

時計にご注目!

漢方屋さんでひと休み!

朱の名前が書かれていて、看板は日本統治時代からのもの 朱の名前が書かれていて、看板は日本統治時代からのもの

朱の名前が書かれていて、看板は日本統治時代からのもの


ナビ一行の目の前に飛び込んできたのは「長生堂中藥行」。日本統治時代から営業を始め、100年以上の歴史があります。タイムスリップしたのかなと錯覚を起こしてしまいそうな雰囲気です。今回ナビ一向を迎えてくれたのは2代目のご主人・朱啟源さん。なんと83歳なんだとか。恥ずかしがり屋さんですが、「あいうえお かきくけこ…」と少し覚えている日本語も披露してくださいました!

この辺りに住んでいた方達の多くは、比較的高い水準の教育を受けており、日本(内地)へ留学し、戻ってくるとお医者さんになったり、こちらのように漢方薬のお店を開いたりしたそうです。その後健康保険制度ができ、漢方医(中医)へ行く方が多く、このような漢方薬さんは少なくなってきています。しかし、お医者さんに行っても効き目がないなと思ったら、多くの方が漢方薬屋さんに戻ってきて、薬を求めにくるのだとか。だから、このような歴史ある漢方薬屋さんが残り続けているのですね。
漢方がずらりと並べられています

漢方がずらりと並べられています

朱さんが特別に用意してくれた八仙果。風邪を引くと、ナビもこれをのど飴のようにして喉に含みますよ! 漢方の独特な味がして好き嫌いが分かれますが、ナビは結構頼りにしています

朱さんが特別に用意してくれた八仙果。風邪を引くと、ナビもこれをのど飴のようにして喉に含みますよ! 漢方の独特な味がして好き嫌いが分かれますが、ナビは結構頼りにしています

漢方を摺る道具 漢方を摺る道具

漢方を摺る道具

歴史を感じる看板

歴史を感じる看板

看板インコ

看板インコ

漢方薬を包む紙もレトロ!

漢方薬を包む紙もレトロ!

昔ながらのふとん作りを見せてもらえました!

おちゃめな陳呈國さん

おちゃめな陳呈國さん


「日興被帳行」は四代目の陳呈國さんがオーナーを務めるふとん屋さん。前が店舗で、その奥でふとんが作られています。このお店では昔ながらの方法を大切に守っています。

長い棒で大きな綿のロールを操り、綿のシートを4枚並べ、棒で綿を打って馴染ませます。これで1層目の完成。その後、縦横の方向を変えて厚さを増していきます。このとき、綿が足りないところには足していくなどして、慎重に作っていきます。日本でもあまり見られない手づくりのふとん作りですが、陳さんが守り続ける方法は元々中国にもあったそうで、日本統治時代には日本の影響も受けたのではないかとも言われているそうです。また、風が直接当たると綿が飛んでいくため、扇風機なども止めて作業を行います。1枚のふとんを作るのに約30分かかるというので、真夏だとそれはそれは暑いだろうなぁ…と思ってしまいました。
看板

看板

レトロな洗面台

レトロな洗面台

手作りのふとんで寝てみたいなぁ…

手作りのふとんで寝てみたいなぁ…

静かにそして素早くふとんを作っていましたよ~ 静かにそして素早くふとんを作っていましたよ~ 静かにそして素早くふとんを作っていましたよ~

静かにそして素早くふとんを作っていましたよ~

老街内の人気レストラン♪


2013年台湾経済部の「Gourmet TAIWAN」に雲林で初めて選出された「墨池堂」。日本統治時代には「薩州堂印務局」、その後は「墨池堂印書局」と名前を変えた印刷工場でした。老街の後ろの方になってきたので、豪華さはありませんが、その素朴さが逆にいいなと思わせてくれます。

レンガ作りの建物に白いペンキを塗った店内はとても明るく、清潔感が漂います。テーブルの上にある赤い缶の中にはおみくじが入っていて、運勢が占えるという遊び心も。店内には西遊記の4人をモチーフにしたものがたくさん見られます。これは、開店に携わった4人の若者が西遊記の登場人物に扮し、「たくさんの人が笑顔になれるレストランをオープンする」という夢を実現するため、幾多の困難に立ち向かうという思いが込められているそうです。
お店オリジナルの紙マンチョンマット

お店オリジナルの紙マンチョンマット


お食事は基本的にコースメニューから選択します。雲林産の野菜をふんだんに使ったお料理は食べごたえ抜群。ベルギービールで煮込んだという牛肉は牛肉麺にのっているお肉のようで、口の中にいれるとほろほろと溶けていきました。

そして、ナビのお気に入りは店名にかけてつくられた竹炭パン。墨の色をイメージしたこのパンにつけるクリームがおいしい!無塩バターにレーズン、クルミ、クコの実などをミックスしてあるのですが、手が止まらぬおいしさです。販売していたら絶対買う~と思ったほど。このパンはどのセットメニューにもついていますよ♪
漫遊套餐(メイン:啤酒燉牛腱&香草豬肋排)

漫遊套餐(メイン:啤酒燉牛腱&香草豬肋排)

老街理事長が経営するカフェで宿泊も可能!

いい雰囲気!

いい雰囲気!

1階

1階

優しい語り口の關有仁さん

優しい語り口の關有仁さん


ロータリーから約600mのところにある「老屋町cafe」は、太平老街の理事であり、本日ナビ一行のガイドをつとめてくださった關有仁さんのお店。カフェとしても使えますし、ホステルとしても営業しています。

何でも、18歳の時に台北へ出て、50歳になってからここに帰ってきたという關さん。街の発展のために尽力したいと実家をこのように改築し、その隣にはご自身の趣味である各国の仏教に関するものが展示されている美術館(魔羯魚祈福館)まで作ってしまいました。

この老街を深く知りたい!と思ったら、こちらに宿泊するのもよさそうですね。
この日はとても暑かったのですが、中庭があることによって風通しがよく、クーラーが不要なんだとか この日はとても暑かったのですが、中庭があることによって風通しがよく、クーラーが不要なんだとか

この日はとても暑かったのですが、中庭があることによって風通しがよく、クーラーが不要なんだとか

1940年代のベッドや…

1940年代のベッドや…

レッサーが大切に残されていて、何ともいい雰囲気

レッサーが大切に残されていて、何ともいい雰囲気

2階 2階

2階

カフェ部分 カフェ部分 カフェ部分

カフェ部分

老街側

老街側

裏通り側

裏通り側

どちらからでも入れますよ~

<魔羯魚祈福館>
2階は仏教関係のものが展示されている美術館(2階のみ入場料50元が必要です) 2階は仏教関係のものが展示されている美術館(2階のみ入場料50元が必要です) 2階は仏教関係のものが展示されている美術館(2階のみ入場料50元が必要です)

2階は仏教関係のものが展示されている美術館(2階のみ入場料50元が必要です)

1階には台湾の生活に関するものがたくさん展示されている祈福館 1階には台湾の生活に関するものがたくさん展示されている祈福館 1階には台湾の生活に関するものがたくさん展示されている祈福館

1階には台湾の生活に関するものがたくさん展示されている祈福館

斗六お土産ならココ!


太平老街に来たのなら、お土産を買いたいですよね! 斗六を代表するお店だよと關さんがオススメしてくれたのが「本屋烘培」。老街からは少し外れますが、是非試してもらいたいので、ご紹介します。

ナビは斗六名産だという柚子(文旦)とアールグレイを混ぜ込んだという「柚子酥」を食べてみました。さわやかな柚子の皮を砂糖漬けしたものとアールグレイが実にマッチして、一度に2つ食べてしまったほどお気に入り~。「黃金抹茶柚香酥」は先ほどの柚子の皮に抹茶、そして黒糖の餅が入っているお菓子。伝統的な糕餅のような食感なのに、中からお餅が出てくる楽しい食感が魅力です。「黃金薑黃茂谷酥」はみかんの皮になんとウコンも入っています!これにもお餅が入っています。
こちらの商品は斗六の名産を積極的に使用し、食材本来の味を味わってもらうため、パッケージと同じようにシンプルな味を心がけています。添加物などももちろん不使用ですので、安心して食べられます。斗六人が自信を持って、お友達にプレゼントするというお土産ですよ~。

斗六市文化路88號
(05)532-5928
おいしいですよ~! オススメです

おいしいですよ~! オススメです


老街には縁起物がたくさんあって、それを見つけながら歩くことで自分の運気が上がってくる気がするのはナビだけでしょうか? ゆったりと流れる時間の中で温かい人たちに出会える街「斗六」。ここ太平老街で、ゆっくり歩いて運気もアップさせ、斗六の方々との触れ合いを楽しんでみてくださいね。

以上、台北ナビでした。
老街近くにも見所があります! 1923年の台湾行啓の際、ここ斗六も通過したそう。その3年後昭和天皇に即位した時に、それを記念して「行啓紀念館」が作られました 老街近くにも見所があります! 1923年の台湾行啓の際、ここ斗六も通過したそう。その3年後昭和天皇に即位した時に、それを記念して「行啓紀念館」が作られました

老街近くにも見所があります! 1923年の台湾行啓の際、ここ斗六も通過したそう。その3年後昭和天皇に即位した時に、それを記念して「行啓紀念館」が作られました

記事登録日:2017-01-09

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上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

スポット登録日:2017-01-09

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部屋数 部屋1 大人 子供