台湾の5大財閥の1家、辜家が残した所蔵品の数々にため息・・
こんにちは、台北ナビです。
鹿港老街の中山路152号にある鹿港民俗文物館は、台湾5大財閥の1家である辜顯榮氏の邸宅跡です。現在辜ファミリーは中国信託を中心に、経営する企業は多岐にわたっています。鹿港の中山路はその昔メイン通りだったので、住所は中山路になっていますが、実はこちらは文物館の後門で、今は閉ざされています。前門は広い駐車場のある景興街から入っていきます。
かつて「小さい総統府」と呼ばれた建物は、左右対称のバロック式洋館で、1913年(大正2年)に着工し、1919年(大正8年)に完成しました。敷地内には3棟の建物があります。日本統治時代に建設されたバロック式の建物は、正面から望むと両翼に八角形の衛塔があり、入口屋根はMansard風。同時期に建設された台南州廳の設計者である森山松之助の影響を受けたとも言われています。建物は3階建てで、現在1、2階が展示場になっています。
景興街から見た景色
外には周辺MAPもありました
1973年、辜ファミリーは、この洋館と前庭を整えた後、ここを「財團法人鹿港民俗文物館」としました。辜顯榮氏の息子である辜振甫氏は、個人所有の書画、文物などを寄贈。創館時に董事長であった辜偉甫氏も、民俗文物2000点以上を寄贈しました。辜ファミリーは、開館後も同じように鹿港当地の民俗文物を寄贈し続けました。
やがてこの行為に同調した鹿港人たちも自主的に文物を提供し始め、創館後10年満たない間になんと6000点を越える文物が集まりました。よって所蔵品をランク付けするとしたら、位の高い人から一般庶民のものまで多種多様となったのです。したがって、鹿港民俗文物館は辜家の洋館が主体でありながら、展示品は辜家のものには限っていません。鹿港人たちが鹿港民俗文物館を誇りにする由縁は、ここにありました。
館内常設の展示廳に展示される3000件余りは鹿港当地の文物で、年代は清代~民國初年のものです。合計約6900点もの展示品がある中で、その他3000余点は、鹿港の祭典や節目に合わせて展示されています。
1階から見ていきましょう
1階は、服裝配飾、戲曲楽器、宗教礼儀用品が中心です。
入り口正面には、辜顯榮氏の銅像がありました。
辜顯榮氏は、、日本統治時代の台湾における実業家かつ政治家として知られていますが、日本軍が台湾の基隆港に到着した際に、日本軍を台北城まで無血入城で、招き入れた人物としても知られています。
この功績によって、辜顯榮氏は日本側に重用され、5大財閥の1家にまで登り詰めたとされています。
右に入っていくと、服や装飾品、身の周り品が展示されていました。
部屋番号があり、104には、楽器や将棋、布袋戯の人形や切り絵、鹿港発祥の捏麺人などが展示されています。
105の壁には、辜ファミリーの写真がかけてあります。
ここで、館内を案内してくださった林老師が、床や天井もよ~く見るようにと指示。それぞれ模様は八角形の組み合わせですが、これは亀を表しているのだそうです。亀は長寿であり、特に中華社会では、吉祥や縁起物として扱われています。辜ファミリーの長年の繁栄は、この「亀」にあるといっても過言ではそうですよ。
106には、辜ファミリーが信仰している仏教関連物の展示。
展示品も見事ですが、中庭にも出てみましょう。外観とはまた違った雰囲気も感じられます。
2階の展示品は、更に豪華
2階のテラスから、庭を望む・・
2階は、辜氏の寝室、会議室、VIP接待室、嫁入り前の女子の部屋、食器類、書画、文献資料などなど。
201で、最初に目に入ったのは大きな椅子でしたが、これはアヘンを吸うための椅子。豪華ですね。左側を見ると、夫人用の寝室で、刺繍が美しいベッドカバーやお茶セットなども見られます。こちらのベッドはフランス製で、当時わざわざ取り寄せたという銅製のベッドだそうです。
202会議室
こちらは、日本の皇族や政府官員、VIP、台湾の地方名士たちが交流する場として使われました。会議室に陳列された彫刻などは見事なものばかり。鹿港の一流職人たちが腕を競い合ったという精巧な芸術品です。
時代とともに鹿港の彫刻技術は衰退していきましたが、館内に配置されている家具や陳列品の数々を見ると、当時の芸術の到達域をうかがい知ることが出来ます。
当時の姿をほぼそのまま今に残している会議室外の天井もしかり。
1本もねじを使わず設計された八卦天井には圧倒されます。
奥に進んでいくと、嫁入り前の女性の寝室があります。当時纏足に縛られた良家の子女は、嫁入り前に街へ出かけることはありませんでした。
台北の迪化街にもそのような女性が外を覗いたという窓が残っている建物がありますね。
当時使用したという陶器の湯たんぽや枕も興味深いです。
2階から中庭を見ます
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2階から中庭を見下ろしました |
204には、食器や生活用品が展示されていました。
アヘン道具やビンロウをつぶした道具などもあります。食器や茶道具などは、国立故宮博物院にあっても不思議ではないくらいのものもあります。
アヘン道具の一式
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ビンロウつぶし道具もあったとは!
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206は、書画や文献です。
本館所蔵の民俗文物は、150年に渡っていますが、一番古いものは康熙時代の水墨画一幅で、当時の台湾書家、張光賓が描いたものだそうです。
隣接する「厚生薬局」
2階の廊下を進んでいくと、当時の薬局跡が残っていました。
日本統治時代に、家が貧しく、病気がちでもあったことから9歳で小学校に入学した戴振茂氏でしたが、学校ではたぐいまれなる成績を修め、後に熊本大学で薬学を学びました。
帰国後台北の中央研究所で研究を行い、のちに鹿港のこの場所で、「厚生薬局」を開きます。
昔の日本の薬局のようでもあります。
1階に降りて、中山路に面した建物に入ってみました。
こちらは店舗と住宅として使われていた清朝の閩南式建築で、「古風楼」と呼ばれています。
鹿港のかつての繁栄を知るには、ここ「鹿港民俗文物館」に来ると一目瞭然です。
以上、台北ナビでした。