台湾最後の秘境・タイヤル族の「神の集落」
こんにちは、台北ナビです。
ここへは車かバスじゃないと、到達することはできません。標高1500m、新竹県尖石郷玉峰村にあるこのタイヤル族の集落は、台北から4時間、新竹からは3時間かかります。
春は桜、秋は紅葉、冬には雪が降る四季がはっきりした日本に近い気候で、2013年に日本で上映された台湾ドキュメンタリー映画「司馬庫斯(スマグス)」(A Year in the Clouds)(監督:Dean Johnson、Frank Smith)の舞台でもあります。映画は台湾TV局の公視ロケ班が部落に15ヶ月間滞在し、記録してきたもので、彼らの結婚、出産、病など人生の喜怒哀楽を映し出しています。
1979年に電気が通り、1995年に道路が開通。最も遅れて開発した集落でありながら、台湾で第2、第3の大きさを誇る神木(タイヤル族は神木と言わず、巨木と言います)群などの発見によって観光客が増えはじめ、今では平日でも50人以上、週末なら300人を越える人たちが押しかけるほどの人気ある集落となりました。
人口178人、約30戸の人たちは皆、タイヤルの伝統文化を正しく大切に受け継ぎながら、大家族のごとく互いに助け合い、分け合い、毎日楽しく生活しています。子供たちは中学生になったら村を離れますが、大学卒業後には再び村へ戻り、集落のために働いています。今では集落の収入の70%は観光から得たもので、台湾の原住民集落では例がないほどの観光で成功した集落となりました。
だからと言って、営利を追求している空気は全くなくて、彼らは普通に生活しているのに、観光客がひっきりなしに来てしまっているみたいな様子なのです。訪れた人たちが皆声を合わせて「もう帰りたくない、ここに残りたい」というほどの素晴らしいところ、「神の集落」と呼ばれる由縁もここへ来たらナビもよくわかりました。
入山許可が必要です
途中、バスから台湾サルを発見!
台湾のローカル支線で有名な「内湾」線。ここから更に2時間の距離に司馬庫斯はあります。途中「秀巒検査哨」というところで、入山許可を申請。申請所は、タイヤル族が渓流沿いに穴を掘って温まっている野外の秀巒温泉を過ぎたすぐのところで、申請は当日でも大丈夫です。
右は神木(巨木)へ、左は現在の集落の前に住んでいた旧集落への道
司馬庫斯という名前は、約300年前に馬庫斯(Makus)という名の頭目率いる家族が、東泰野寒山に集落を作った時、「司馬庫斯」という名の頭目の祖先への尊敬のためにそう命名しました。初期のタイヤル族は南投県仁愛郷に集結していましたが、後に北や東へ広がり始めました。日本統治時代は平地に近いところへ強制移住をさせられましたが、日本が去ってから、馬庫斯(Makus)たちは、現在の集落より更に山へ入ったところに住み始めました。その場所は、神木歩道へ向かう途中「舊部落」(旧集落)の標識がある更に奥ですが、1979年の電気は、旧部落まで届かないため、現在の場所まで降りてきたそうです。
現在の小学校への坂道、屋根は石板です
司馬庫斯に近いタイヤル族の集落としては、他に鎮西堡、新光(斯馬庫斯)があり、司馬庫斯に小学校がまだなかった時代は、片道3~4時間かけて、山のお向かいにある新光に通っていました。月曜日の朝に向かい、金曜日の午後に帰るという生活で上級生が下級生を連れて皆で移動したそうです。司馬庫斯をよく知る台湾人曰く「タイヤルの子供たちの片道3~4時間は、一般人なら1日かかるからね」。映画「セデック・バレ」を見たことのあるナビは、深く頷いてしまいました。2008年司馬庫斯分校(小学校)が出来、現在17人の子供たちがのびのびと学んでいます。幼稚園部は7人で、教師は全員で3人います。
到着です!
集落へのゲート
途中、霧の深い道や山芙蓉が咲き乱れる道路をクネクネと上がったり下がったりしながら、バスはやっと司馬庫斯に到着。中央には巨大な彫刻があり、彼らの主食である粟を引く臼を持った男は、300余年前ここにやってきた祖先で、狩猟刀を持った青年と犬、子供を抱えた母もいます。彫刻には獲物を分け合う精神、新しい生命、民族や伝統文化の継承の意味が込められています。集落の各所にある彫刻は、すべてに意味が込められていて、レストラン前の足跡の彫刻は先祖が今まで歩んできた記録と、未来の子孫たちへ「頑張れ」という意味のタイヤル語が彫られています。
建物や家屋
粟の収穫倉庫
先ほど小学校のことを書きましたが、小学校は典型的なタイヤル族の建物で、屋根は石板、骨組みや壁などは原木で造られています。この小学校を含め、集落内の主な建物は、タイヤル族の彼らが自らの手で造り上げました。中でも敷地内の中央にある高床式の穀倉は特徴的で、粟2年分が収められています。教会内もご注目ください。十字架の周辺は粟の束で埋められています。
彼らの住居は、観光客が主に利用する中央の周辺に散らばっていますが、民宿などとも混じっているので、間違って入っていかないように。たまに彼らのうちの庭へ入ってしまう観光客もいるそうです。彼らのうちは、表札が掲げてありますよ~。英語と同じで、自分の名前が前で、後ろは家族の名前です。
儀式
Lo-kah su ga?(お元気ですか?)という挨拶とともに、この日教会前で司馬庫斯を訪れた人たちへ歓迎の儀式が始まりました。頭目マサイのお言葉の後、男女2人が呼ばれ、縁があるという意味のすすきを竹筒にさした後、頭目が中央で結びました。
この後頭目は、一人ひとりの頭に山泉水をふりかけます。雨が降って植物が育つようにという祈りが込められた水は、人々のストレスを和らげるそうで、皆頭を突き出していました。水はタイヤル族の純粋で清らかな心も意味し、司馬庫斯に来た人たちへの祝福や、皆永遠に好い友となるという意味も込められています。
食事
主なレストランはこちら
敷地内には、レストランとカフェがあり、レストラン内は7人以下の半卓と8~10人の一卓のメニューがあります。半卓は、5料理1スープで1500元、一卓は7料理1スープで3000元。カフェのセットメニューは、150元。野菜類の多くは自主栽培のものです。馬告というタイヤル族がよく料理に使用する山胡椒のような香辛料があるのですが、カフェには、馬告コーヒーのメニューがあります。この日は、頭目の息子さんが他の集落から嫁をもらうための挨拶に出かけるというので、カフェオーナー含め、何人かが集落に不在となったので飲めませんでしたが、次回はぜひと思っているナビです。
晩御飯の一例、この日はメインシェフ2人がアメリカへ研修に行っていたので、わりと普通のメニューでした、でもおいしかった~
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朝ごはんの一例、粟のお粥もあり
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レストランの壁には、タイヤルの人たちが自らレストランを作り上げた過程、山の自然、野菜や花、100歳という長寿を全うした長老Tosuの写真などが飾ってあります。
宿泊
ナビたちは、この日迦南美地小木屋という山小屋風のコテージに宿泊しました。
他にも恩典屋、佳美屋、喜樂屋、伯特例屋という2人から6人まで泊まれる宿泊所があります。
ショップ
ここでしか買えないものばかりなので、ナビもたくさん買ってしまいました。
まずは小米酒、そして水蜜桃酒。350元の果実酒は1年寝かせて飲むと更においしくなるそうです(→体験者談)。山地の急斜面に貼り付くように作られた果樹園は、ほとんどが桃。斜面は51度がいいそうで、山地原住民である彼らは収穫もひょいひょい行ないます。水蜜桃と言っても日本のそれよりは小ぶりで、ジューシーさもそれほどではないですが、5月~夏にかけていただく桃は美味。7月になると黄金水蜜桃と呼ばれる品種がいただけます。桃はお酒だけでなく、ジャムにもなっていますのでこちらもお買い上げ。そして、馬告香辛料。柿の時期でもあったので、10個購入。有機なので形はいびつですが、自然の甘味がおいしかったです。4~5月はたけのこの季節だそうですよ。
司馬庫斯へは、1泊2日の日程で行くことができますが、今回ナビたちは雲林故事館とイタリア指人形劇団の人たちと一緒だったので(スペシャル記事参照)、彼らが司馬庫斯集落と新光集落でのパフォーマンス公演時間も含め2泊3日の日程で行きました。
2日目の早朝は、神木群へ向かいました。この日は11月4日。前夜は気温が8度まで下がり、台北でもこんなに寒くはならないので震えました。冬場は零下というのを聞いて納得。
登山口の少し手前に「夫婦樹」と呼ばれる、ブナ科の「栓皮櫟」という木が2本そびえています。100年ほど前、1組の夫婦が集落への入り口としてここに植えたそうです。根はつながり、枝は絡まっています。集落内に木材を運ぶ時、木の幹にロープをくくりつけた痕などが残っていますが、倒れたり朽ちることなく集落を守り続けているそうです。
最高のお天気です
登山口到着
神木までの道のりは往復で5~6時間(約11km)だそうで、ナビたちの体力を考慮して、ランチ時間には戻れるようにと逆算して朝6時過ぎに出発となりました。
結論として、アップダウンはそれほど大きくないので、普段から普通に動いている人は大丈夫だと思われます。デスクワーク中心でめったに運動しない人にはきついかも。お天気もよかったら最高のトレッキングになりますよ。
シイタケ畑もあり
冷蔵庫代わりだった河の説明もあり
阿里山に続き、台湾第2と第3の神木(=巨木)がある地に向かう途中にも、タイヤルのストーリーがたくさん詰まっていました。竹やぶが多くなる前にシイタケ畑がありましたが、雨が上がった翌日にここへ来て木をたたくと、2,3日でシイタケがニョキッと出てくるそうです。下方には沢が流れていますが、その昔冷蔵庫がなかった時代、夏場は捕らえた獲物を竹カゴに入れ、川の中で冷やしていたそうです。その先には見事な竹林が続きますが、300年前にはここに住んでいたそうで、疫病が流行って80人ほどが亡くなったため、「舊部落」(旧部落)へ移動したそうです。この場所の名前はタイヤル語でギャービン、竹はルーマーと言います。タイヤルの祖先はここにも眠っているとムーが話してくれました。長い竹の椅子が2つ並んでいるところです。
道すがら2km地点と4km地点にトイレもあり、ちょっと休める竹椅子も多いので、自己ペースでのんびり歩きたい人にも不自由はないようです。竹は「桂竹」といい、家具などにも使用される堅めの種類。家具に使用するには、7,8月の乾期に成長4,5年のものを選ぶのが一番だとか。
坐って説明を聞きます
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ここに300年前は住んでいました
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おトイレのあるし(絶景です!)、
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違法伐採を見張る小屋もありました
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途中崖で危ないところが一か所あったのですが、この山間のシイタケ畑でラフィーは生み落ちたそうです(お母さん10カ月の身重でした)、ラフィーの意味は「原石」なのだそうです
これを見たときはうれしかったのですが、半分やっと超えたくらいでした
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台湾黒熊の爪の痕だそうです
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神木!
結構足もクタクタになってきたところで、やっと神木群に到着しました。
写真も撮りながらだったので2時間半くらいでしょうか。ここには、9本の神木があります。番号があって、一番大きい「Yaya Qparung」(タイヤル語で巨大なヒノキ)は7番。2番目は6番で1500年ほど。7番の神木は本当に大きくて、15人ほどが手をつないでやっと木を囲めるのだそう。下から見上げると、その巨大さに圧倒されます。
ムーに神木を仰いでもらいました
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ここで2番目に大きな神木、1500年
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2500年の神木です
登山口~
帰路は到達前の気分と異なり、神木を拝めた満足感でいろんな人とおしゃべりしながら足取りも軽し、と言いたいところですが、足はズンと重くなっています(→翌日、翌々日は体中ギコギコでした)。が、充実感いっぱい。来てよかったと感謝の気持ちでした。
地図もわかりやすいです
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滝へのルートもあります、滝へは往復2時間弱だそう
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弓
ラフィーは息子のゴアン(光)くんをおんぶしたまま。子守をしながら仕事をする主夫でもあり。働くお父さんなんですね~
タイヤル族の狩猟の道具でもある弓の体験も出来ます。
弓矢や弓はすべて手作りで、盾は畳の裏が使用されていました。
タ-ザンロープ
意外に遠かった~
生態公園の中にターザンロープの遊び場があります。
ラフィーのうちの前を通って、後ろ山に入り、すぐ着くのかと思ったら歩く歩く。皆、午前中の悪夢が蘇っていたみたく、もう足が動かないのにヒェ~という感じでしたが、約1kmで到着しました。ロープは1回ぶら下がるとクセになります。リラックス効果も抜群。
粟餅つき
自家製ハチミツも美・味
タイヤル族の粟は美味です。さあ、次は粟餅つき!まず、先に蒸した粟を餅つき臼の中に入れます。正月の餅つきのようなものかと思っていたら、粟にかなりの粘り気が出るまで杵でつきます。皆順番につきましたが、最後のほうは杵が餅から離れなくて大変。滑らかになったところで、彼らの自家製ハチミツをつけていただきます。
タイヤル風焼肉
普通の焼肉じゃないです!
体を動かしているせいか(?)、どんどん食べられるんですねえ。
粟餅の後は、焼肉の時間。脂身の多いイノシシ肉を竹串に突き刺し、一人1本持って焼き始めます。火を囲んでの時間は楽しく、皆でおしゃべりしたり歌を歌ったり。
焼きあがった肉はラフィーが細く切って、皿に入れて皆に回します。塩と馬告で味付けされただけの肉なのに、焼くと香ばしくてジューシー!皆で奪い合うようにして食べつくしてしまいました。中秋節の焼肉と違って、なぜこんなにおいしいの?・・・またぜひ食べたいものです。
出発の儀式
総幹事と頭目
帰りも儀式がありました。頭目や牧師、牧師の奥様、総幹事が、ラフィーの太鼓で送り出してくれた歌は、じ~んと心に響いてきました。別れ際に同行のイタリア人パフォーマーたちは、ここで残って1年暮らしてみたいと言っていたほど。ナビも後ろ髪引かれる想いで離れました。また機会があれば、ぜひぜひ訪れたい集落です。
以上、台北ナビでした。
取材協力:花旗基金会、七星生態保育基金会