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投稿者:タークー

口コミ掲示板[総統府] 目頭が熱くなる総統府見学 (長文)

2006-06-28
総統府見学、お勧めです。
とくに台湾の歴史を勉強していくといいですよ。

平日午前中に予約なしでも見学できます。
見学の入り口は総統府の博愛路と寶慶路の交差点のところ。
パスポートを忘れずに持参しましょう。

入り口に係りの人が立っていますから、パスポートを渡します。
荷物はカメラも含めて全部預けて、金属探知機のゲートをくぐり
ます。日本人が数人集まるのを待ってから日本語のガイドさんに
連れられて見学開始です。

内容は
・戦前、戦後の台湾と総統府の歴史
・時期折々の特集展示 (6月末は馬祖島)

通常の見学で見られるのは、1階の中庭の周囲にある展示室のみ。

入ってすぐのところに戦前の歴代台湾総督のパネルがありました。
台湾の人はいまでも日本の総督の写真を掲げてくれているんです
ね。

初代が樺山資紀。第2代が桂太郎、第3代 乃木希典、第4代 児
玉源太郎... 明治期のビッグネームがずらり。

そこで日本統治時代の話を聞かせていただいたので、聞いた話を
まとめておきます。

1895年の下関条約で清から台湾の割譲を得て、日本の台湾統治が
始まりました。

しかし、当時台湾には目立った産業がなく、住民もことあるたび
に日本に反発したので、日本の台湾経営は困難を極めました。
最初の10数年は膨大な投資にもかかわらず赤字続きで、明治政府
は台湾を手放す(外国に売却)ことも検討していたそうです。

しかし、第4代総督の児玉源太郎のときに台湾の経営がようやく
軌道に乗り、統治の基礎ができました。児玉は日露戦争を率いた
陸軍大将ですね。(司馬遼太郎「坂の上の雲」読んでね)

児玉はふだんは東京にいてめったに台湾には来なかったので、実
質的な台湾の経営は後藤新平に任せていました。彼こそが台湾の
統治機構を構築し、産業の基礎を築いた功労者です。

戦前の台湾の発展に貢献した日本人として、後藤新平とともに忘
れてはいけないのが八田與一。

もちろん、八田與一の説明パネルもありました。灌漑を充足させ
ることで、天気任せだった台湾の農業に安定をもたらしたのが八
田であると。ダムの建設だけでなく、彼と奥さんがその後どうな
ったかという話にもまたまぶたの裏が熱くなりました。

李登輝さんが昨年来日されたときに金沢にある八田與一のお墓参
りに行かれたのは記憶に新しいところ。

ここでしばらく感動の余韻に浸っていたかったのですが、ガイド
さんは「はい、次」。

戦後は大陸の共産党政府が台湾を取り戻そうと、また国民党も大
陸反攻を目指して金門島と大陸の間で猛烈な砲弾の撃ち合いがあ
りました。(そのときに破壊された金門島の写真あり)

この中台の不安定な状態に決着をつけて、台湾の地位を曲がりな
りにも安定させることになったのがアメリカによる台湾への武器
供与です。

これで中国と台湾の軍事バランスが均衡し、大陸も下手に台湾に
手出しできなくなって緊張感を伴う独立状態に入りました。

その後の戒厳令とそのときの白色テロの話もあり。

残念なのは、ガイドさんのペースで見学が進むので、写真や歴史
的な資料をじっくり見たくても見られないこと。

またガイドさんによっても説明のポイントが違うようです。

1時間半くらいの見学でした。最後にちょっとした売店があるの
で、記念に総統府グッズを買いたい人はどうぞ。


【総統府見学の質問】
見学しないで売店だけに行けるか --> ダメだと思います。

ガイド付き見学が終わったあと、もう一度自分のペースで見学し
なおすことはできるか --> どうでしょうか。最後に「もう一度
回っていいですか」と聞けばよかった。

ガイドなしで見学できるか --> できるかな??
最初は絶対にガイドさんの説明付きがおすすめ。ガイドなしOK
なら次回はゆっくり時間をかけて回ってみたいと思います。 
訪問日:2006/06/28