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>10年以上前に南部横貫公路を旅したときのことです。高雄縣の六亀とい
>う胡蝶谷で有名な街のバス駅でバスを待っていたときのこと。当時60代
>半ばと見られる小父さんが「日本の方ですか?」と声をかけてきました。
>当時は國語が少々出来る程度で、台湾語は待つ宅できなかったのですが、
>小父さんのとても流暢で美しい日本語に触れ、臆することなく会話を楽し
>めることが出来ました。「子供の頃に習ったものだから、もう忘れてます
>ね。」と謙遜なさっていましたが、なかなかのものでした。「ここは田舎
>だから、日本人の観光客はとても少ないので、今日は40年ぶりに心行く
>まで日本語を話すことが出来てうれしかったですよ。」と言ってください
>ました。南部横貫公路途中の梅山青年活動中心に宿泊したときにも、台北
>の老人会の旅行団と一緒になり、またまた「40年ぶり」ということで、
>会話を楽しむことが出来ました。お話を伺っていて思ったことは、日本に
>よる植民地統治については、一口では言い表せないなということです。日
>本を懐かしがり、日本に良い感情を持っていらっしゃる方々がおられるこ
>とは、日本人の自信につながりました。
>[ 阿彦様 Wrote ]-------------------------------------
前述したことなどもあって、街中で、好意を見せてくれる人々に背を向け
て、「批判することで活力」を得ている地域に此の1年足しげく通いまし
た。
時をおなじくOO様ブームに重なってしまい、表面的にはいささか雪解
け模様ではありました。が、どのような切り口から関心を持つようになって
も「多」とするとしても、ご婦人方のあのありようは如何なものか。彼女等
には・・・・・・・、わが国は富の分配が悪平等になりすぎてはいまいか?
(と、苛立ちをもっていたら、P氏は『交流』のための基金を創設するとい
う、見上げた対応でありサイトは異なるが深謝したい)。
それはさておき件の地域は、わたくしの勉強している分野とは重なりの少
ない地域ではありましたが、知人も、友人も出来てしまいました。不可思議
なものです。
ご自身の体験をあげ、穏やかな表現で、後学の徒を叱咤されるお二人の好
意を身のうちらにし、精進を続ける所存です。ご教示ありがとうございまし
た。
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