真の台湾人を描いた「台湾萬歳」 7月22日からポレポレ東中野ほか全国順次公開

「台湾人生」「台湾アイデンティティー」に続く台湾三部作最終章がついに完成!


こんにちは、台北ナビです。

日本統治時代の台湾で生まれ、かつて日本人だった人を訪ねたドキュメンタリー映画「台湾人生」「台湾アイデンティティー」の酒井充子監督の最新作「台湾萬歲」が7月22日からポレポレ東中野ほか全国で順次公開することが決まりました!

今回は、台湾三部作の最終章に位置づけられ、いかなる時代にも、海に大地に人生を捧げ、まっすぐに生きてきた人々を描いた同作の魅力をたっぷりとお伝えします!
台湾三部作の幕開けとなった『台湾人生』

台湾三部作の幕開けとなった『台湾人生』

台湾の戦後の埋もれた時間を描き出し、各界の大きな反響を呼んだ、『台湾アイデンティティー』

台湾の戦後の埋もれた時間を描き出し、各界の大きな反響を呼んだ、『台湾アイデンティティー』

イントロダクション


台湾は1895(明治28)年から1945(昭和20)年までの51年間、日本の統治下にありました。酒井充子監督は、台湾三部作の幕開けとなった『台湾人生』で、激動の歴史に翻弄された5人の日本語世代たちの日本統治時代、戦後の国民党独裁時代を経て現在に至るまでの人生に焦点を当て、『台湾アイデンティティー』では、第二次世界大戦、二二八事件、白色テロという歴史のうねりによって人生を歩み直さなくてはならなかった6人を通して台湾の戦後の埋もれた時間を描き出し、各界の大きな反響を呼びました。

そして最終章………。台湾の海には、時代が変わろうとも、大地に向き合い、汗を流して生きてきた人々がいました。台湾の原風景が色濃く残る台東縣で暮らす人々の生活の中心には、今でも「祈り」、「命への感謝」、「家族」がありました。本作では「変わりゆく台湾」を描いた前2作に呼応するかのように「変わらない台湾」の姿が尊敬の念を込めて描かれています。

主要登場人物

【張旺仔さん(85 歳) /李典子 さん (77 歳)】

台東県成功鎮在住 元カジキ漁・漁師

張さんは1931年8月23日、台湾の最南端の恒春半島で10人兄弟の9番目として誕生。現在は妻と長男夫婦との4人暮らし。人より遅く9歳から公学校(のちに国民学校)に通学。2年生の時、いまの台東縣成功鎮に転居。戦争末期には空襲もあり、機銃掃射を間近で目撃。14歳、国民学校を卒業する年に敗戦。19歳から兄と一緒にカジキ漁船に乗り、船長になることを目標に経験を積み、30歳で念願のカジキ漁船の船長に。49歳に病気で引退するまでカジキ一筋。現在は畑仕事が日課で、芋、バナナ、パパイヤなどを栽培。午後には海に行き、その日の漁から戻ってきた船が着き、次々と魚が降ろされる様子を眺めるのが楽しみだといいます。

台湾は夫婦別姓のため奥様は李さん。「典子」の名前は父親の日本人の友人がつけてくれたそう。張さんが漁で獲ってきた魚を美味しく調理し食卓に並べるのが典子さんの役目。

【オヤウさん(許功賜、69歳)/オヤウ・アコさん(潘春連、62歳)】

台東県成功鎮在住 カジキ突きん棒漁師夫妻

成功漁港を拠点にいまもカジキの突きん棒漁を営むアミ族の夫婦。オヤウさんは張旺仔さんの兄の船で修行。カジキの時期が終わると、トビウオやシイラを獲る、海とは切っても切り離せない生活。アミ族はかつての「新港」漁港の築港の際、労働力として駆り出されたそう。アコさんの叔父は戦前、村を代表して日本を訪れた秀才でしたが、戦後、国民党軍に徴兵され、中国大陸で43年間も過ごすことに。

【ブヌン族名:Sinsin Istandaさん 通称:カトゥ(柯俊雄、41歳)】

台東縣延平郷在住中学校の歴史教師&シンガーソングライター

1974年3月4日、台東縣延平郷桃源村にパイワン族の父とブヌン族の母の間に誕生。通称のカトゥは祖父の日本名が加藤四郎だったことに由来。ブヌン族の伝統的な狩りを継承。子供のころ、桃源村にあった商店7軒のうち6軒が戦後中国大陸からやってきた国民党の老兵が営んでおり、孤独を歌った歌を作曲。

【ブヌン族名:Mulas Takiludun ムラス・タキルダンさん(王古夏妹、89歳)日本名:きよこ】

台東縣延平郷在住

日本統治時代、もともと住んでいた高地の村から強制的に移住させられ、いまの場所に暮らすようになったブヌン族の一人。移住経験者の数少ない証言者。移住後はかつて住んでいた村に一度も帰ったことがなく、自分たちの土地を守ってほしいと主張。

【ブヌン族名:Dahu Istanda-Husungan ダフさん(胡榮茂、41歳)】

カトゥさんと共に伝統である狩りを大切にしているブヌン族。狩りに行く際噛んでいたのは噛みたばこ。撮影隊が同行した狩りで、一発でキョンを仕留めた凄腕の持ち主。

台湾の暮らしにみる日本の面影


日本統治時代を経験した台湾には、日本人によって持ち込まれた日本文化がいまでも残っており、台湾の人々の暮らしの中に根付いているものもあります。

【突きん棒漁】
船の船首の「突き台」に立ち、長さ5mはあるモリを振りかざし、獲物を突く漁法。台湾総督府は、アミ族が暮らしていた寒村を新港を人工の漁港として開発し、日本人入植者を住まわせました。

【足袋】
船上でヤオウさんが履いている足袋はまさに日本のもの。危険が伴う船で踏ん張りがきく足袋は重宝されています。

【頬被り/ほおかむり・ほっかぶり・ほっかむり】
海風を防ぐため頭から布を被り顎の下で結んでいる姿は日本人と変わりません。

【歌】
カラオケ好きの台湾では、日本の歌も歌われています。中には日本の歌と知らずに長く愛されている歌も。台湾では「KTV」または「卡拉OK」=「カラオケ」。ホテルのような豪華なカラオケボックスが多くあります。

―劇中で出てくる日本の歌―
・「また逢う日まで」作詞:阿久悠、作曲:筒美京平
・「突き船のうた」作詞・作曲:不明
・「台湾楽しや」作詞:辰巳利郎、作曲:山川康三

【刺身】
魚を生で食べる慣習は日本の食文化を受け継いでいます。台湾では「さしみ」として親しまれています。

【ワサビ】
台湾人は刺身を食べるときに欠かさずワサビをつけます。ブヌン族の狩りでもワサビを携帯するほど、台湾の食文化に深く根ざしています。

スタッフ


【監督】
酒井充子Sakai Atsuko
1969年、山口県周南市生まれ。大学卒業後、メーカー勤務ののち新聞記者。98年夏、蔡明亮監督の『愛情萬歳』(94)を見て、舞台となっていた台北を初訪問。2000年、「台湾の映画を作る」と決意し映画の世界に入り、02年、台湾取材を開始。現在、故郷・周南市と台東県の懸け橋となるべく奮闘中。
【撮影】
松根広隆Matsune Hirotaka
1970年、神奈川県生まれ。92年日本映画学校(現日本映画大学)卒業。ドキュメンタリーを中心にフリーのカメラマンとして映画やテレビなどで活動中。

【録音・編集・整音】
川上拓也Kawakami Takuya
1984年、北海道生まれ。エンジニア職を退職後、2010年度映画美学校ドキュメンタリーコースを受講。NHKドキュメンタリー番組の編集助手を経た後、現在はフリーの録音・編集としてドキュメンタリー作品を中心に活動。

【音楽】
廣木光一Hiroki Koichi
神奈川県生まれ。ギタリスト・作曲家。1975年、自己のグループを作りオリジナル曲を中心に演奏活動開始。2017年現在、アコースティックソロギターから、エレクトリックギター、エレクトリックベースを弾くバンドなど、全国のライブハウスで活動中。

作品データ


監督:酒井充子
出演:張旺仔オヤウ/許功賜オヤウ・アコ/潘春連Sinsin Istanda/柯俊雄ほか
エクゼクティブプロデューサー:菊池笛人
統括プロデューサー:小林三四郎
プロデューサー:小関智和陳韋辰
撮影:松根広隆録音・編集:川上拓也音楽:廣木光一制作:今村花
タイトル:張月馨

特別協賛:台東縣
宣伝協力:カツオ標識放流共同調査プロジェクト(味の素株式会社)
後援:台北駐日経済文化代表処 台湾新聞社 一般財団法人台湾協会 東京台湾の会  臺灣電影迷 チャイナエアライン

製作:マクザム太秦配給:太秦
2017年|日本|DCP|カラー|93分©『台湾萬歳』マクザム/太秦

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2017-06-26

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