九份の豎崎路の階段で赤ちょうちんが目立つ、映画のロケ地にもなったレストランです
こんにちは、台北ナビです。
「悲情城市」(ひじょうじょうし・A City of Sadness)は、1989年製作の台湾映画です。30年ほど前の映画ですが、この映画名が付いたレストランが、九份を代表する豎崎路の階段途中にあります。ここは映画のロケ地であり、映画の中では「小上海茶飯館」となっています。レストランの向かいに、「小上海茶飯館」(オーナー同じ)というレストランがありますが、ロケ地は「悲情城市」の方で、入ってすぐのテーブルのあたりがまさに、です。当時は1階も使用したそうですが、今1階は靴屋さんになっています。この映画がきっかけで、人々が九份?ってどんなとこなの?と注目するきっかけにもなったというのですから、知っておいてもいいかもしれません。
映画の撮影は半年にわたりましたが、当時の九份は栄華を極めた炭鉱ブームが去って閉山後のさびれた街だったため、近隣に際立ったレストランもなく、撮影班はいつもここで昼食をとっていました。その後「ヴェネツィア国際映画祭」で賞を獲得したのですが、映画祭のポスターを侯孝賢監督が店に送ってくれたそうです。一番下に侯監督の直筆サインもありますよ。
ちなみに映画は、1989年ヴェネツィア国際映画祭・金獅子賞、1989年金馬奨・最優秀監督賞、主演男優賞、1990年インディペンデント・スピリット賞 外国映画賞を受賞しました。
映画の時代は、日本統治時代の終焉時から、中華民国の建国までの4年間。映画の公開は1987年の戒厳令解除から2年後ですが、当時国内で二二八事件が公に語られることはなかったので、まずは海外に出品し、賞を獲ったことで台湾国内でも上映されるようになったのです。
映画の冒頭は、1945年8月15日。林家の主で75歳の阿祿を演じる、今は亡き李天祿さんが、昭和天皇の玉音放送を聞くところから始まります。映画ではその時代に翻弄される林家の人たちと彼らを取り巻く人々の人生が描かれています。日本に徴用された次男と三男。精神に異常をきたして生還してきた三男と長男(陳松勇主演)は、やがて上海ヤクザとのもめ事に巻き込まれます。聴覚障害のある四男の文清(トニー・レオン→当時は台湾語(閩南語)が話せなかったのでこういう役になったそうです)は、1947年2月27日、本省人と外省人が争う〈二二八事件〉が勃発した台北に友人と向かいます。友人はやがて山に逃げ込みます。映画の中では終戦後、恋人と別れて日本へ帰ることを余儀なくされた湾生である静子のストーリーなどもあり、1949年12月、国民政府が台北を臨時首都に定めるまでの当時の社会背景がふんだんに盛り込まれた内容となっています。言語も閩南語、客家語、日本語、北京語、上海語と入り乱れているのも当時の世情を表しています。
ロケ地となったテーブルで食べるのもいいですが、ベランダもステキです。お茶をいただくならベランダかな、と思いました。向かいの「九戸茶語」や向かいの「小上海茶飯館」レストラン、階下の「昇平戲院」映画館、広場の様子もよく見えます。