沖縄・八重山の台湾移民を描いたドキュメンタリー映画第二弾『緑の牢獄』黄インイク監督インタビュー

埋もれていた沖縄と台湾の歴史の闇に光を当てたい! 黄監督の思いからクラウドファンディングがスタート

こんにちは、台北ナビです。

石垣島の台湾移民家族三世代に渡るストーリーを描いた『海の彼方』は、世界各国の国際映画祭で入選し、今年8月には日本でも公開され、反響を呼びました。

石垣島に渡ったパイン農民たちの軌跡をたどったこの映画では、歴史に翻弄されながらも力強く生き抜き、今は多くの孫やひ孫に囲まれる「玉木おばあ」とその家族のふれあいが描かれ、温かな家族愛にあふれる作品に仕上がりました。
しかし一方で、西表島の炭鉱では、半ば強制的に連れてこられ、つらい労働を強いられていた、台湾人たちもいたのです。

今も一人で西表島に住む台湾人の老女は、その過酷な炭鉱の当時を知る最後の生き証人。その彼女へのインタビューを元に、この歴史の闇に焦点を当てたのが、2作目の映画『緑の牢獄』です。

クラウドファンディングで製作資金を募集

『緑の牢獄』は黄インイク監督が2013年から取り組んでいる八重山ドキュメンタリー三部作『狂山之海』プロジェクトの一環で、黄監督は『海の彼方』『緑の牢獄』『両方世界』という3本の映画製作に全力を傾けています。
そして今回、クラウドファンディングによる製作資金の募集という新たな取り組みをスタートさせました。
クラウドファンディングとは、インターネットを用いて不特定多数の人々からプロジェクト資金を集める資金調達の仕組みで、企画の内容に賛同する人はだれでも少額(3000円~)の出資でプロジェクトを支援することができます。

『緑の牢獄』では当時の実際の雰囲気を出すため、歴史再現映画を目指していて、クラウドファンディングで集まった資金は1930年代の西表炭鉱にあった坑夫たちの村を再現するのに使われます。
多くの人に、闇に埋もれた歴史の断片を知ってほしい――そう願う黄監督にナビがお話を伺ってきました。

「きっかけは大学時代に学んだ八重山の歴史」――黄監督インタビュー

――まず、この『狂山之海』三部作を撮ろうと思ったきっかけを教えてください。

最初は三部作にするつもりはなかったんです。八重山の台湾人に興味があったんですが、彼らのストーリーは台湾でも日本でもあまり知られていない。それで、2013年から八重山で調査を始めて、1年半ぐらいかけて150人もの人たちにインタビューをしました。
彼らの経験にはいろいろと共通する部分があります。一番多いのは『海の彼方』に出てくる石垣島のパイン農民で、1930年代の彰化や台中から来た台湾人ですね。
で、それより20~30年前に台湾北部の炭鉱から西表島に渡った人たちもいて、でも、彼らの経緯はパイン農民とはまったく違うんです。だから、どうやっても一本の映画にまとめるのは無理だ、と。

それで、まず最初に、今も八重山に住んでいて子孫も一番多いパイン農民の人たちを取り上げ、なぜ八重山に台湾人がいるのかという歴史的背景も含めて紹介することにしました。
そして、2作目は移住した台湾人たちの精神面やトラウマといったディテールに踏み込みました。特に西表島に渡った人たちの経緯はすごく悲惨なので、そういう歴史を経験した人のトラウマや、彼らのその後の人生、沖縄の日本復帰が彼らにどんな影響を及ぼしたのかということに焦点を当てています。
3作目は今ちょうど撮っているんですが、石垣島で若い人たちが龍の舞、台湾の「舞龍」をやっている、その青年団のストーリーです。
最初に八重山に渡った台湾人はもう90歳ぐらいなので、このままでは歴史が途絶えてしまう。でも若い人たち、ハーフだったり、クウォーターだったりで、もう台湾語もできないけれども、何か続いていくものがあるんじゃないか、それは何なのかということで、最後に若い人たちに注目するという構成にしました。
――そもそも日本人にもあまり知られていない、この八重山に興味をもたれたきっかけは何だったんですか。

私は台湾の政治大学でテレビ放送学科にいたのですが、大学3年のときに横浜の大学の先生が台湾に来て、日本と台湾の歴史的関係や民族についての授業をしてくれたんですね。その中で1ヵ月ぐらいずっと八重山の台湾人のことをやって、石垣島の写真とかも見せてもらって、すごく興味深いな、と。

日本統治時代に日本に行ける台湾人って、やっぱりお医者さんとか経営者とか、お金持ち、高等教育を受けた人たちってイメージがあったんですよ。でも、こんなに台湾に近い島があって、貧しい農民や坑夫がたくさん行っていたというのがとても印象に残ってて……。

その後、日本に留学して、東京造形大学の大学院で映画の勉強をして、やっぱりドキュメンタリーを作りたいと思ったときに、台湾人である自分が日本でどういうテーマで撮れるかって考えたら、自然と大学で聞いたその話が浮かんできたんです。
――『海の彼方』では、主人公の玉木おばあが大家族に囲まれて、台湾旅行にも行って、そこでまた大勢の親戚に歓迎されて……と、大変な歴史を乗り越えてきた経緯はあったにせよ、最後はとても幸せなイメージでした。でも、この『緑の牢獄』はかなり重いテーマですよね。
非常につらいし、悲劇的ですね。
『緑の牢獄』の主人公のおばあは家族の悲劇、時代の悲劇を受けた女性で、体も『海の彼方』の玉木おばあみたいに元気じゃなくて、本当にすごく悲惨で、どうしてこんなに悲惨なことが続いてしまうんだろうという気持ちで撮っていました。

実は、最初に私が紹介したいと思っていたのは『緑の牢獄』だったんですよ。でもいろんな人に、最初にこれじゃあ重い、皆まだ八重山に台湾人がいるということも知らないんだから、と言われて。
私も今は『海の彼方』を第一部にしてよかったと思っています。最初の作品として入りやすいし、台湾人が八重山に渡った歴史を紹介しながらも、ただのドキュメンタリーじゃなく、本当に家族映画みたいな幸福感を伝えられました。
次の作品は歴史自体もすごく重い。この『緑の牢獄』のおばあの話は、戦後を越えても悲惨な状況が続いているんですよ。なぜかというと戦前の経験が重すぎて、戦後になってもそれを抜けられないんですね。

パイン農民は違います。戦後、二世農民が頑張って、生活も軌道に乗って、それが誇りになるんですね。石垣島にパイナップルを持ってきて沖縄の名産品になったり、水牛を持ってきたり、台湾産の果物を植えたりして、農民としての誇りがあるんです。
でも、坑夫っていったら誇りはない。恥ずかしいことなんです。自分の親父が坑夫だったとか、自分の先祖が西表島に渡っていじめられたとか、そういうことは話したくない。
で、その二世たちは、西表島には高校もないので、大抵は中学を卒業したら石垣島に行って、そこからまた他のところへ行ってしまう。自分のルーツを見たくないから、島から離れたところへ行こうとしたのでしょうね。

このおばあが一番悲しいのは、当時、台湾人は日本の姓名がないと進学できない状況だったので、子どものために帰化して、東京に進学させたんですが、その子が行方不明になってしまうんです。行ったきり、帰ってこない。そんな寂しい話、ありますか。

でも、こういう西表島の悲しい現実を語ってくれる人は、今はもう彼女しかいません。坑夫たちのほとんどは今どこにいるかわからないし、会っても何も話したがらないでしょう。だから彼女はとても貴重な人物なんです。
――映画を撮るとき、幸せな話は撮りやすいと思うのですが、あえてこの西表炭鉱という悲惨な歴史をテーマにしたのは、多くの人に知ってほしいという思いがあったからですか。
まさにそうです。沖縄でも西表炭鉱研究者の三木健さんという方が長年研究していて、本も出ているし、1980年代には当時まだ残っていた坑夫たちにインタビュー取材もしているんですが、あまり知られていない。沖縄の人たちでも「え、西表島に炭鉱があったの?」という感じですから。

日本統治時代には、日本にも台湾にも炭鉱がいっぱいありましたが、西表島の炭鉱は沖縄だからこそ、複雑な状況があったんです。台湾だけじゃなくて、韓国とか朝鮮の人もいたり、九州の人もいたりして、だまされた話とか悲惨な話も多い。
しかも、西表炭鉱にはいじめとか怖い噂もあって、当時の台湾では、西表島に行くことは「死人島に行く」って言われてたんです。本当に怖い話です。
で、そういう台湾と日本の歴史というのももちろん重要なんですが、それ以外に私が注目しているのは、主人公の家族たちが何を経験したのかということ。
この家族にはいろいろと謎があって、なぜ子どもが行方不明になったのかとか、このおばあの父親の炭鉱での役割とか(注:台湾から坑夫を連れてきて働かせる仕事をしていた)、そこを映画の中で解明したいんですね。

歴史を伝えることってそんなに簡単なものではなくて、今になって道徳的にどうこうと批判しても意味はない。あの時代にはあの時代の経緯があって、戦後もこの悲惨さから抜け出せない理由も社会的、時代的にいろいろあるんです。その複雑な背景がこの家族を通して見えてくる。そこを解明したい。
――今はそのおばあのインタビューを撮っているんですか。

インタビューはほぼ終わりました。それ以外の部分がこの映画の難しいところで、『海の彼方』は主人公の家族たちがたくさんいて、いろいろなエピソードがありますが、この『緑の牢獄』はおばあがただ家で座って話しているだけになってしまう。あとはおばあのお父さんの昔のインタビュー資料ぐらいしかない。

なので、当時の様子、お父さんの存在とか、旦那さんのこととかをおばあの記憶をもとに再現パートで表現したいと思っていて、そのためにクラウドファンディングを始めました。

ただ「炭鉱」って聞いても、イメージできないじゃないですか。アーカイブ映像や写真もすごく限られているので。

台湾人は当時、モルヒネを買って、それを注射して毎日働いていたんですが、どうしてそんなことが普通に行われていたのか、当時の日常とはどんなものだったのか、彼らは何を想って暮らしていたのだろう、とか、そういうのを再現パートでやりたい、と。それがないと、ただおばあさんがしゃべるだけになってしまって、なかなか情景まで伝わらないと思うんです。
――先ほど、どうしてこんな悲惨な歴史が続いてしまったのかを解明したいとおっしゃっていましたが、今、インタビューパートをほぼ撮り終えてみて、解明できそうですか。

私なりの答えですよ。
西表炭鉱の記録が残っていても、それが正しいとは限らない。すべての人に当てはまる状況じゃないかもしれない。
たとえば、西表島に残っている台湾人坑夫は基本、リーダーだった人たちで、実際に労働していた坑夫ではないんです。坑道に入って実際に掘っていた坑夫たちは西表島に残っていません。なぜかというと、台湾に逃げちゃったんですよ。炭鉱がもう地獄だったから。
じゃあ、なぜリーダーは残っているかというと、そういう恨みを買う地位の人が台湾に逃げたら、命を取られるかもしれない。実際、台湾に戻って殺された人もいる。

80年代に聞き取り調査がされていますが、そうやって残った人たちが日本の記者さんにどこまで話すでしょうか。そのインタビューのテープは残っていますが、彼らがどこまで本当のことを語っているかはわからない。

ですから、私たち歴史チームもできるだけ勉強して、残されているわずかな資料を見て、そこから私たちが信じることを伝えるしかないんですね。私たちなりの答えを考えつつ、最後まで行きたいと思っています。
――この映画にクラウドファンディングで出資しようという人に向けて、ぜひメッセージをお願いします。
本当に、こんな渋い企画に参加してくれて、ありがたいと思います。

私たちはあるひとつの時代を生きてきた人物にスポットを当てて、その彼らが経験したことを撮っているんですが、そこから単なる史実だけじゃなく、彼らの人間性というものが見えてくるんですね。
2時間という映画の枠の中で、実にさまざまなものが見えてくる。そこから浮かび上がってくる時代の複雑さを伝えたいと思っています。

心配なのは、単に日台友好といった視点から支援してもらっても、ちょっと違うかな、と。この映画はそういうテーマではないので、期待には添えないと思います。もっと真剣に歴史を知りたいという人に支援してほしい。ですが、この歴史を知ろうとする気持ちが友好を深めることにつながると思います。

私たちがやっていることに本当に興味をもって支持してもらえたら、本当に本当にうれしいです。
――最後に、台湾の食べ物や観光スポットなど、黄監督のオススメを教えてください。

うーん、何かな……。あ、私が日本人にもっと紹介したいのは、肉鬆(ローソン)ですよ。
肉鬆、台湾のすばらしい食べ物なのに、日本人は食べないよね。知らない人も多い。

肉鬆は、台湾人にとっては味噌みたいなものなんです。店によって味も違うし、いろいろな肉鬆がある。老舗の肉鬆とか全然違いますよ。

ぜひ一回試して、また別の店で試して、台湾に行くたびにいろいろな肉鬆を楽しんでみてください。
――肉鬆はどういう風に食べるのが一番オススメなんですか。

単純にご飯にかけてもいいし、とにかくなんにでもかける(笑) 
たとえば今日のおかず、ちょっと味が足りないなというときとか、肉鬆をかけるとすごくおいしくなる。

あと、魚鬆とかもあるじゃないですか。ぜひいろいろ、そういう系のものを買ってみてください。

※ナビメモ 肉鬆は日本へ持ち込めませんが、魚鬆は持ち込めます!
――オススメの観光スポットは? ご出身は台東なんですよね。

そうです。うーん、どこがオススメかな。台東ね……日本人が行って、どこ行くんだろう?(笑) 
すばらしい場所もいろいろあるんですけど、そういうところは車がないと行きにくいから……。

ああ! 熱気球のお祭りがあるんです。年に一度、鹿野で。あれはいいですよ。

あと、植物の鍋。台東オリジナルの、野草というか、本当に天然の生のものを全部鍋に入れるっていう鍋屋さんがあるんですよ、植物園の中に。あれが私、大好きで、台東に帰るたびに絶対に食べます。
原生応用植物園っていうんですが、たしか台北にも支店がありますよ。本当に見たこともないような薬草がいろいろ出てきます。
鍋だけじゃなくて、飲み物とかケーキとかも薬草でできていて、すごいこだわりがあるんですよ。それが台東の誇りです(笑)
若くて穏やかな雰囲気の黄監督ですが、お話を伺って、この映画にかける真摯な情熱が伝わってきました。

クラウドファンディングもただお金が集まればいいというのではなく、この映画の意図をきちんと理解したうえで支援してほしいと語る黄監督。暗く、つらい歴史だけれども、台湾と日本の間にそういう事実があったことを多くの人に知ってほしいという黄監督の思いを、ナビも応援したいと思います。

以上、台北ナビでした。

(画像提供:木林映画)

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2017-11-21

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