映画「日曜日の散歩者 -わすれられた台湾詩人たち-」黃亞歷監督・来日インタビュー

金馬奨最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した社会派文芸映画が、8月19日より全国で順次公開!

台湾・風車詩社の詩人たち(画像提供:太秦株式会社)

台湾・風車詩社の詩人たち(画像提供:太秦株式会社)

(画像提供:太秦株式会社)

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こんにちは、台北ナビです。

2016年の台湾アカデミー賞こと金馬奨で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した「日曜日の散歩者 -わすれられた台湾詩人たち-」が、8月19日よりシアター・イメージフォーラムをはじめ、全国で順次公開されます。

この映画は1930年代、日本統治下の台湾で創作活動を行っていたモダニズム詩人団体「風車詩社」にスポットを当てたドキュメンタリー映画で、日本語教育を受けた若き詩人たちの情熱的な活動、そして歴史のうねりの中でニニ八事件、白色テロなどに巻き込まれていった苦難を描いた作品です。
その公開に先駆け、黃亞歷(ホアン・ヤーリー)監督が来日、プレミア試写会が行われました。そして、この映画にかける黃監督の熱い思いを、台北ナビのインタビューで語っていただきました!

当時の文学を紐解いていく中で気づいたこととは


――早速ですが、最近「KANO 1931海の向こうの甲子園」や「湾生回家」など、日本統治時代の台湾と日本の関係を描いた映画がヒットしていますが、今回、そういう時代の「文学」というものに焦点を当てた意味、狙いなどを教えてください。

実は、この映画を撮ることは私の人生において、偶然飛び込んできたような出来事だったんですよ。
というのも、ある仕事で、この映画の登場人物である林永修を紹介する論文に触れる機会があって、そこで初めて風車詩社のことを知ったんです。

なぜそれまで知らなかったかといえば、戦後教育の中で、日本統治時代のことには極力触れない、認識しようともしないという空気があった。
だから、論文を読んで、正直びっくりしました。なんだ、1930年代の台湾ってこういう感じだったんだ、こういう人がいたんだ、と。

それで、これはもう私が絶対にドキュメンタリー映画にしなきゃ、と思ったわけです。

――そうすると、日本統治時代というのは黃監督にとっても遠いものだったと思うんですが、この映画を撮ることによって、日本と台湾のことについて、何か今までとは違った思いや認識を抱いたりしましたか。
そうですね、この映画を撮影する前は、私は日本について何も知りませんでした。日本のドラマなどもまったく興味がなかったし、行きたい海外トップ10の中に日本は入っていなかったんですよ。
だから、この映画を手がけることになって、調査やフィールドワークのために日本に行くなんて信じられないと思ったこともありました。

どうして日本に来なければならなかったかというと、この風車詩社の詩人たちは、今はもうだれもいないし、彼らが残した資料や文献も非常に限られているんです。戦後の台湾では日本統治時代の話題は抑制されていて、資料の保存もあまりされていなかったんですね。
また、この映画に出てくる楊熾昌は5000冊もの蔵書を持っていたんですが、第二次世界大戦で全部焼失してしまった。

そういう中で、残されたバラバラな文献資料の中から使えそうなものを集め、場合によっては日本語で書かれたものを翻訳して理解して、そこから選別していくというのはすごく大変な作業でした。

そこで、私はいつも自分に言い聞かせていたんです。だからこそ、日本に行って、しっかりと資料の収集をしなきゃいけない、と。

当時の日本の作家たちは、多くの欧米文学作品を和訳して、そのまま受け入れていたんですが、日本語に置き換えていく中で、その日本人の作家の考え方や視野がどういうふうに広げられたか、また、それが台湾の風車詩社の詩人たちにどんな影響を与えたのかという点にも非常に興味がありました。

また、日本にはいわゆる左翼の作家たちがいて、台湾にも実は左翼文学に傾倒する作家たちがいて、彼らの多くは日本から左翼文学を受け入れていた。当時はおそらく、日本人だからこうだ、台湾人だからこうだという区別はなく、「左翼文学」ということでみんな一緒にやっていたんじゃないかと思うんです。

文献調査をしていく中で、私はここの部分はものすごく反省しました。
今、我々はすぐに「国」というものを物差しにして、これは日本だ、これは台湾だと分けようとする。だけど、あの当時はおそらくそんな明確な区別はしていなかったと思うんですよね。

だから、特に過去のこういう文化や歴史に関して、私たちの今の物差しで判断してはいけないんじゃないか、と思うようになりました。すごく勉強になりましたね。

ドキュメンタリー映画監督が描く「主観」と「客観」の世界

7/18に台湾文化センターで上映されたプレミア試写会では、仏文学者の巖谷國士氏とのトークイベントも行われました 7/18に台湾文化センターで上映されたプレミア試写会では、仏文学者の巖谷國士氏とのトークイベントも行われました

7/18に台湾文化センターで上映されたプレミア試写会では、仏文学者の巖谷國士氏とのトークイベントも行われました

――私はこの映画を見て、すごく客観的というか、事実や歴史的な流れというものを俯瞰的に見ている感じを受けたんですが、今の黃監督のお話を伺って、その点がよくわかりました。

「客観的」というのはすごく面白い見方ですね。というのは、この映画が台湾で公開されたとき、一部の観客から「この映画は過度に主観的だ」と言われたんですよ。
観客の皆さんがそれぞれ、自分の考え方で映画を見ているんですね。だから、両極端な意見が出てくる。これは非常に興味深いことです。
(画像提供:太秦株式会社)

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――この映画では、歴史の研究とか検証ということをすごく大事にされていると思うんですけれども、そうやって事実を丹念に集めて、撮影・編集していく中で、一番苦労したこと、大変だったことはなんでしょう?

今の「客観的」という話がなかなか面白かったので、それに沿った形でお答えしようと思います。
私はこのドキュメンタリー映画を撮ることで、映画作家の一つの観点、考え方を築こうと考えたんですね。

たとえば、題材とする人物や時代に対して、まず自分が何かを感じ取ることができないと、なかなかうまく描けない。それで、当時の人物やその作品、歴史などについての情報を集めるわけですが、そのときにはできるだけ自分の空想というものは入れないようにする。だから「客観的」だと思われたんですよね。

その情報を集めるときに、いろんな人に話を聞くんですが、当時の人たちはもういないわけですから、他人の記憶に頼るしかない。
ところが、人間の記憶っていうのは頼りにならないもので、たとえば5年前の話と、5年後の今の話だとコロコロ変わる可能性があるんですよ。にもかかわらず、その収集した情報を、私の判断で取捨選択していかなくてはならない。だから「主観的」だといわれるんじゃないかな。
(画像提供:太秦株式会社)

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私のアプローチの方法は、この風車詩社の人たちの立ち位置に近づいて、当時の状況下で彼らは何を思い、どんな言葉でそれを表現したか、さまざまな矛盾や悩みに直面したときにどう感じたのかを理解しようと努めるわけです。

ところが、風車詩社は80年前の存在で、今からすると本当に遠い。そんな中で、情報や資料を蓄積して、咀嚼して、消化して、そこからどうやって一番コアな部分を抽出していくか、ここが非常に難しかったです。

コアな部分に近づこうとすると、当然、私自身の判断も出てくる。だから「主観的」だといわれるわけですが、その判断が正しいかどうか、それは結論がないと思うんです。私が撮ったからこういう映画になったけれども、違う人が撮ったら全然違う映画になったんじゃないか、と。
だから、主観的でもいい、客観的でもいい、どちらかというと皆さんの見方でこれを判断して解釈していいと思うんですよ。
これは、私と観客の皆さんとの対話なんです。この対話を通して、新たな火花が生まれてですね、我々が見たことのない暗い闇の世界を、この火花で照らし出すことができれば、ドキュメンタリー映画監督としての一つの観点が生まれるのではないか、そんなふうに考えています。

風車詩社の歴史を埋もれさせてはならない

(画像提供:太秦株式会社)

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――そこまでこの風車詩社の時代に入り込んで映画を作っていく中で、登場する4人の詩人に対する思い入れも当然、強くなったと思うんですが、4人の中で特にこの人は自分に近いなとか、この人が好きだなとか、そういう人を挙げるとしたらどなたでしょう?

この映画は3年以上かけて撮ったんですが、この4人に対してはそれぞれの感情を抱くようになって、正直、その中でだれが一番好き、だれが自分に似ているということはなかなか言えないんですよね。
(画像提供:太秦株式会社)

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映画を撮る中で、一人ひとりについて、彼らの立場に立って、その境遇や考え方を理解していくうちに、次第に情感みたいなものが生まれてくるわけです。
彼らはなぜ悲しむのか、なんでつらいと思ったのか、彼らが書いた作品を読んで理解していくうちに、いつの間にか彼ら全員と友だちになったような気がして……。

だからだれか一人を好きとかいうのは、正直申し訳ないと思ってしまうんですよ。本当に、一緒に苦しい時代を生きたかのように感じるんです。
(画像提供:太秦株式会社)

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特に李張瑞は、国民党政権下でいわゆる白色テロを経験しているんですね。
実際に彼らについてリサーチしていく中で、その自白の記録、300人、400人ぐらいの自白書というのが全部残っていて、それらをすべて読みました。で、読んでいくうちに、どんどんつらくなって……。

彼が拷問を受ける前の写真と、受けたあと処刑されるまでの資料なんかを見ていると、本当に私自身がつらくて、つらくて。彼がどうやって死に直面していったか、家族の思いも含めて、そういった気持ちがすごくよくわかるんですよ。

だから私も作業をしながら、ずっと自分にリマインドしていました。
この歴史、つまり当時、台湾にいる文学家やその家族がどれだけ苦しんでいたのか、その苦難の歴史を忘れてはいけない、と。だからこの映画の中で全部取り入れたんです。

さまざまな文化が入り混じった台南の魅力


ーー最後に、台湾を旅行する日本の人たちにおすすめのスポットや食べ物を教えてください。
(画像提供:太秦株式会社)

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そうですね、この風車詩社というのは台南市にあった団体なんです。
台南という街は、古都でもあり、歴史がすごく長いんです。建物も見どころがたくさんあります。
たとえば昔、台湾はオランダ人の統治時代もあって、バロック風の建物が結構残っているんですよね。

その後、明の時代には鄭成功という、日本人と中国人のハーフなんですけれども、彼がオランダ人を追い出して、古い中国の文化も入ってきた。
さらに日本統治時代の街並み、まあ、だいぶ壊されたんですけれども、素晴らしい建築物がまだまだ残っている。
だからこの台南という街は、東西の文化が混ざっているような、すごく魅力的なところなんですよね。

庶民の建物でも、たとえば中国では建物の上に「陳」などの名字を刻む習慣があるんですが、その彫刻のデザインは西洋のものだったりする。
花柄の文様も西洋のものを取り入れていたり、そういうのを見るだけでもすごく面白い。
(画像提供:太秦株式会社)

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食べ物では、孔子廟の近くに小吃のお店がいろいろあって、そこの担仔麺がおいしいです。安平にも小吃の屋台がいっぱいありますよ。
あと、もう一つ台南でおいしい麺というのは、鱔魚麺! 田ウナギの麺ですね。細いうなぎなんですが、すごくおいしいんです。
ただ、台南の味付けというのは少し甘いんです。日本の料理もちょっと甘い感じがしますよね。ひょっとすると何か関係があるんじゃないかな。

外国の皆さんが旅行に来て、美食を楽しむ、もちろん食事も文化なんですけれども、それだけじゃもったいないと思うんですよ。
たとえば、現地の人と交流して、なんで味付けが甘いの?と聞いてみれば、その歴史を知ることもできます。そうやって視野を広げて、お互いに理解を深めていくことで、いろいろな誤解が解けたりもすると思うんですよね。

そうそう、林百貨も有名ですね。日本統治時代のデパートで、東京の高島屋や三越のように、当時の知識人たちがみんな行っていたんですよ。とても立派な建物で、最近リニューアルもされて、すごく面白いです。台湾文学館という博物館もおすすめです。

とにかくぜひ、台南に行ってみてください!
スタッフの「もうそろそろ時間が…」という声を振り切って、台南の魅力について熱心に語ってくださった黃監督。この映画でも台南の風景写真が随所に使われています。

黃監督のおっしゃるように、単なる観光だけでなく、文化的な背景なども知ったうえでその土地をめぐることで、より多くの気づきや感動が得られるのかもしれませんね。

以上、台北ナビでした。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2017-08-10

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