閉店・移転、情報の修正などの報告

オルゴールの音色が優しい、かつて埔里で栄えていた産業が観光工場として蘇りました

photo

1970年代、埔里はヨーロッパやアメリカへ輸出する生活商品の家内工業地でした。多くの家庭が内職で竹工芸などにいそしんだ時代、オルゴール作りもしかりで、当時はそれに約400軒が携わっていました。その後時代の流れとともに多くは中国大陸へ移住、その後再びこの地へ戻り、復活したのが「敲敲木」です。現在は10軒ほどになってしまった埔里のオルゴール作りですが、施文傑さんのように若きオーナーが後を継ぐところは、観光工場として蘇ったのです。
館内では、懐かしいオルゴールから、その歴史を知ることができます。クリスタルボールは、今でもクリスマス時に多くをアメリカへ輸出しています。日本へも北海道の小樽で、「敲敲木」のオルゴールに出くわすことがあるかもしれません。夢いっぱいのオルゴールにナビもうっとりしました。ビバルディの四季が流れてきたときには、思わずこれ欲しい!と思ったほど。メルヘンチックなオルゴールに酔いしれた後は、ショップで購入もできるし、各種DIY教室も行っています。

ページTOPへ▲

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

スポット登録日:2013-04-03

チェックイン日
宿泊数
部屋数 部屋1 大人 子供

関連記事

【滞在記】埔里で生活しています

【滞在記】埔里で生活しています

台湾中部の町・埔里、ここでの暮らしは自然体が一番

埔里を楽しむ旅byおがたちえ Part2

埔里を楽しむ旅byおがたちえ Part2

オルゴールの音色にうっとりした後は、客家料理、凍頂烏龍茶の里にも行かねば!