台湾煤鉱博物館(十分)

タイワンメイコワン・ボウウーグアン新平溪煤礦博物園區

閉店・移転、情報の修正などの報告

かつて台湾の経済成長を支えた台湾北部の炭鉱山。その繁栄と衰退をトロッコに乗って体感できる、世界数少ない博物館です。

こんにちは、台北ナビです。

日本統治時代、そして戦後20年、台湾の経済を大きく支えていたのは炭鉱産業だとも言われています。昔から台湾北部には良好な炭鉱山があるといわれていて、日本統治時代以前からスペインはじめ他国から、台湾北部へ調査団が来ていたなんて話をちらっと聞いていたナビです。確かに日本も台湾の統治を始めてから間もなく、北部鉱山開発を推し進め、そのため台湾北部の平渓では、日本統治時代の初期から炭鉱文明が栄え、台湾で歴史のある鉄道も、実は台湾北部にある炭鉱鉄道が発端だったりします。
 
さて、今日ナビが来ているのは、台北県の平渓郷十分にある小さな炭鉱鉄道博物館。鉄道好き・台湾好きの人ならご存知の、ローカル線平渓線の十分駅から程近いところにあるのですが、なにせ山の中にあるものですから、そうそう一般の観光客は行けない博物館なんです。でもとても有意義で、大人も子供も楽しめる場所なので、皆さん、ぜひ行ってみてください。平日に行くなら、車をチャーターするか、瑞芳駅でタクシーを借りきっていくのがいいでしょう。

この炭鉱のオーナー、ゴンさん(現在はもう隠居しています)と館長のその息子さん。お父さんは日本語世代なので日本語ぺらぺら。シルバーの髪の毛がとってもダンディな方です。

この炭鉱のオーナー、ゴンさん(現在はもう隠居しています)と館長のその息子さん。お父さんは日本語世代なので日本語ぺらぺら。シルバーの髪の毛がとってもダンディな方です。



この博物館は、1965-1997年に台湾の台陽鉱業という会社が管理していた「新平渓煤礦」の跡地にできています。博物館自体はそれほど大きくなく、門を入ると中央に大きく広場が広がり、門の外側から伸びてきている細いレールが、何本も広場の中央にある鉱山の中に伸びていきます。入口の左側には、小学校の体育館ぐらいの建物があり、その中でパネル展示や、昔の文書、そして映像による炭鉱の紹介などが行われています。(ビデオはすべて中国語ですが、貴重な映像を目にすることができます)
パネルには、いろいろな情報が記されています(中国語ですが)。在りし日の鉱山労働者たちの生活の様子、この鉱山一帯の繁栄ぶり、石炭をどのように産出しているか、その過程、炭鉱での女性の活躍、そしてアスベストによる被害などなど。

中国語での紹介になるので、一般の日本人観光客には理解しがたいところがありますが、写真を見るだけでも十分伝わってきます。

今日は、博物館のマネージャー黄さんが、博物館一帯を念入りに紹介してくれました。実はこの黄さん、昔はある新聞社で旅行部門の記者をしていたんだそう。そして炭鉱とか鉄道に関しては全く無知だったんだとか。でも、ある日プライベートでこのOPEN間もない博物館を訪れるや否や、この場所の意義深さにほれ込み、脱サラ。現在はこの博物館のPR担当として、平渓郷の観光にとっても貢献していらっしゃいます。「実はこの博物館はこのエリアだけじゃなくて、本当はめっちゃくちゃ広いんですよ。」

という黄さん。ということでその広さ、紹介してもらいましょう!

現在はバッテリーで動かしています。充電には丸々一日かかるんですって 。

現在はバッテリーで動かしています。充電には丸々一日かかるんですって 。

さて。ここの博物館はもちろん鉱山をそのまま博物館にしたということでも有意義なのですが、更に意義深いところがあります。じつはこの博物館ではトロッコに乗ることができるのです。

この電気トロッコ列車は、1939年の日本統治時代、この鉱山一帯で使われていた電化トロッコ。日本製のもので、胴体にニチユと書いてあるのが見えますね。日本の鉄道ファンの間ではなんとあだ名があり、「一つ目小僧」と呼ばれているんだとか。それもそのはず、進行方向に大きな丸い窓が一つあり、その様子がまるであの妖怪の一つ目小僧に似ているからなんですって。この鉱山は1965年に開けましたが、ほかの鉱山は1920年代からこの電化トロッコを使っていました。台湾に限らず、日本や中国などのいろいろな炭鉱でこの電化一つ目小僧は活躍していました。実は台湾鉄道が全線電気化に向けて動き始めたのは1970年代のこと。それよりさらに50年も前から電気で動く列車があるということに、驚きを隠せなかった台湾鉄道ファンもかなりいたそうです。

トロッコは全長約一キロ。時速は人間の早足と同じくらいです。トロッコに乗るのもいいですが、トロッコとともに、台湾の森林の中を 駆け足で走るのもなかなか面白いものですよ。

運転手のおばあちゃん、炭鉱が稼働いていたころからずっとトロッコを運転しています。ピンクの花柄のシャツに、台湾風の麦わら帽子が風情を出しています。当時炭鉱内部は男性が、その他の炭鉱外の仕事は女性が担っていたんだとか。


はっきりいって、トロッコはボロボロ。そして、とても普通の列車のようにレールを滑らかに進むというわけではなく、左右にがたがたとゆれ、非常に不安感を掻き立てられます。「いつ脱線してもおかしくないだろ!」という気分になってしまうぐらい(笑)でも一つ目小僧は頑固に森の中を進んでいきます。
あの崖の下にある廃墟が、選炭場。あそこまで炭がコンベヤーで運ばれていくんです!

あの崖の下にある廃墟が、選炭場。あそこまで炭がコンベヤーで運ばれていくんです!

トロッコが止まった先には大きなコンクリートの廃墟が。そのコンクリートの建物の中には、直径3Mほどの大きな穴があいていて、その上に、丸い鉄の大きなものが2つのっています。この穴の意味することとは…

実はこの穴は深さ11Mあり、230メートル先の、崖の下にある選炭場まで続いています。
この大きな丸い鉄のリフトに、採掘した炭鉱を載せたトロッコをはめ入れ、逆さにひっくり返し、石炭をこの穴の下まで落とします。その後、コンベヤーで石炭は崖の下の選炭場まで運ばれます!
この洞窟が、先ほどの穴とつながっています。昔はここからベルトコンベアーが伸びていました。

この洞窟が、先ほどの穴とつながっています。昔はここからベルトコンベアーが伸びていました。


脇道からあの選炭場まで歩いていくことになりました。青々と茂る草花の中に、異様に目立つ廃墟たち。きっと、ここが博物館ではなければこれらの物もきっと「産業廃棄物」としか認識されなかったかもしれません。10年前にはこれらの建物もちゃんと稼働していたのに、人間の手がかからなくなると、10年でここまで廃れてしまうのでしょうか 。

逆にこの廃墟にも力強く生える草花から、人間世界の興亡を見向きもせず、相変わらず生命力をはぐくみ続ける自然の力強さも感じます。国破れて山河在り…
坂を下ると、そこは十分駅のすぐそば。昔はこの選炭場の建物から線路が伸び、十分駅の線路とつながっていたんです。今は遮断されていますが。十分駅からはこばれた石炭は、そのまま桃園、そして、林口まで運ばれ、林口の発電所で使われたそうです。台湾の高度経済成長時、エネルギーを支え続けていたのは、この平渓一帯の鉱山・そしてそこで汗を流し筋肉を精いっぱい使い働き続けた鉱山労働者たちです。
もう一度来た道を戻って、電車で博物館まで戻ります。

もう一度来た道を戻って、電車で博物館まで戻ります。

絵にするとこんな感じ。

絵にするとこんな感じ。

小さなカフェが併設。意外においしい。

トロッコでまた広場に戻ってきました。ちょうどシトシト雨が降り始め、山の中でただでさえ涼しいのに、更に肌寒くなってきました。それを見て、黄さんが「博物館特製の炭焼きコーヒーがあるのでお出しします!ついでにおなかもすいたでしょうからお弁当もお出ししますね」とサービスしてくれました。台湾のコーヒーって薄かったり、甘かったり、いらないミルクがもう入っていたりとか、なかなか満足できないことが多いのですが、ここのコーヒーはなかなかのレベルです。他に来ていた日本人からも、「うん、うまい!ここのはうまい!」と歓声が上がっていたほど。更に、お弁当の野菜はこの付近でおばちゃんたちが有機農法で栽培している野菜を使っているんですって!体も心も温まる~

館内の展示物

もちろん、当時使われていた衣服や工具、酸素ボンベ・お弁当箱など、かなりリアルなものが数々展示されています。当時使用されていた、お風呂場、そして実物大の鉱道など、子どもにとっては、恰好の遊び場のようで、当日もたくさんの子供たちが鬼ごっこに興じていたのですが、ちょっと物心ついてきた大人にとっては、そんな明るい気持ちで見学できるものではありません。こんな狭くて真っ暗な光り一本入らないところで朝から晩までずっと作業をする、そしてそんな人たちがたった数十年前にはたくさんいて、そしてその炭鉱労働者取り巻く家族の生活、そして産業・商業・生活の在り方はとても特徴的なものだったそうです。

四月中旬~五月終わりにかけては蛍のシーズン


実は、この博物館周辺、春の夜になると、蛍が飛びまわるんですって!ナビ一行は日暮れを待って、蛍を見に行くことに。蛍を見ようと訪れている人は、ナビ一行のほかにも、数十人もいました。何班かに分かれ、電車で森の中に入っていくのですが、別の班が蛍を見に行っている時、ナビのグループは皆で、平渓名物の天燈を上げることに。もし蛍を見たいのであれば、先に予約が必要だそうです。

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天燈
旧正月明けである元宵節に、この十分では昔からとてもロマンチックな風習が伝わっています。この地に住んでいる人が、盗賊に襲われたときに、村に平和戻ったことを地域の人々に知らせるために、大きな紙の燈籠を空にあげたのが由縁とされていますが、その為か、この空にあげる燈籠は「平和の象徴」と呼ばれています。旧暦1/15の夜には、台湾中からこの十分にたくさんの人が集まり、天燈にめいめいが好きな願い事を書き記し、熱気球の原理で一斉に空に飛ばすのです。もちろん、元宵節にかぎらず、この地ではいつでも上げることができます。
子供たちはわくわく!

子供たちはわくわく!

さーみんなで願い事を書こう!皆で世界平和を祈ろう!

さーみんなで願い事を書こう!皆で世界平和を祈ろう!

1・2・3で空に舞う天燈~

1・2・3で空に舞う天燈~

トロッコで暗い森の中へ向います。

トロッコで暗い森の中へ向います。



残念ながら、あの蛍が舞う姿はカメラに収められなかったのですが、蛍はたくさん捕まえましたよ!手のひらできらめく蛍たち!

博物館を訪れるのには

ここが十分駅そばの一般入口

ここが十分駅そばの一般入口


博物館の入口は二つあります。一般的な入り口は、十分駅から歩いて10分のところ。ここから、更にあぜ道を上っていくと、あのトロッコ列車が待っていて、博物館に案内してくれることになっています。土日は、係員がいるのですが、平日にはいないので気をつけて。

もう一つの入口は、博物館のすぐ目の前です。でもここまでたどり着くまでの道のりはちょっと複雑。もし平日に博物館を訪れたいなら、Emailや何かで先に時間等を博物館に連絡した方がいいかもしれません。
今はもっぱら観光地として有名なこの平渓ですが、ひと昔前までは、観光とは全く違う炭鉱産業が発達していました。このように、誰かがその歴史に目をつけなければ、きっとこの建物は一般の人にとってたんなる無意味なものになってしまったかもしれません。でも一歩踏み込み、それを堀りおこすと、日本統治時代に遡った台湾の発展が私たちの目の前に開かれます。確かにアクセスが難しいのは非常に大きな欠点ではありますが、人里離れている分、澄んだ自然が残り、シーンとした空気の中、人はいかにその時代を繁栄させても、その時代はいつかきっと終わりを告げるんだということが、この博物館を通して身に迫ってきます。台北ナビでした。



記事登録日:2009-04-22

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スポット登録日:2009-04-22

スポット更新日:2014-03-11

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