【体験レポート】鉄道の旅に行ってみて
鉄道ファンも素人も楽しめる、ちょっと珍しいNAVI企画ツアー「台湾鉄道の旅」。台湾の歴史と鉄道の歴史が同時に学べます。
こんにちは!台北ナビです。台湾鉄道は、開局からすでに100年を迎え、それに合わせて各地で様々なイベントを行っています。NAVIもそれに合わせて鉄道ツアーを企画していて、第一段の4/18発にNAVIも侵入してきました。三泊四日、とにかく鉄道に囲まれての生活のため、鉄道に疎かったナビも、台北に帰ってきたころには鉄道の魅力にだんだんはまり始め…さて。そんな道中をかいつまんでご報告★
さて、4/17、一部の人は日本から来ていましたが、NAVIは台北住在なので、4/18から参加することになりました。ホテルの入口に停めてあるバン、これが今後約4日間の旅路をお供してくれます。
まず向かったのは、台北市の北にある「平渓」にあるローカル線。実は今日は特別蒸気機関車CK124が走るんです★平渓線の入口瑞豊駅にはもうすでにたくさんの関係者が押し寄せていました。一般台湾人観光客は少なく、海外のツアー旅行者やメディア/業界関係の人たちしか参加できないんだとか。日本語世代の台湾人ボランティアも3-4人駅で待機し、日本からのメディアやツアー客の為に、日本語を揮って使っていました。
客車内はとても狭かったのですが、その古さが逆に趣があり、キシキシと鳴る窓を半分開け、脇を流れる渓谷を眺めることができました。到着駅の十分は、商店街の真ん中に、柵も何もない状態で電車が走る、そんな日本ではありえないような線路のひき方です。
十分から車で10分ぐらいのところにある、炭鉱博物館は、NAVIの印象では「別にどうってことない」という感じだったのですが、意外や意外、とっても楽しむことができました。台湾鉄道が電気化したのは1970年代。その50年以上前に、この十分の炭鉱では日本政府によって、電気で動くトロッコ列車がつくられていたのです。当時の労働条件や工員の生活の内容、鉱山の先進的な設備などが一発でわかる仕組みになっています。そして、その「電気式トロッコ電車」に乗車し、約1キロにわたる旅を満喫できます。とってもきれいですよ!春には蛍が飛びさかるんだとか!
その後台北駅に戻り、台湾鉄道最速の自強号にのって、中部の苗栗に向かいます。
苗栗のすぐそばには、台湾鉄道が保管する歴代の列車たちが展示されている場所があります。世界に一つしかない機関車や、もう今は使われていない車両がたくさん展示されているのですが、別に何かガラスとかで封鎖されているわけでもないので、肉眼ですぐその場でつぶさに見ることができます。貨物車両として大正時代に使われていたアメリカ製の蒸気機関車はとっても大きく、NAVIは初めて蒸気機関車を「かっこいい」と思えました。でも大きいからと言って、けして早く走れるわけではないみたいですね。当時の最速汽車は時速80キロだったのに対し、貨物汽車は時速65キロ。客車は重くない分、早さが追求され、貨物車は、たくさん荷物を一度にどれだけ移動させれるかということなんだそう。
約一時間かけて、中部の大都市台中に向かいます。乗る列車は台湾鉄道で二番目に早い莒光號。台中についたころにはもう真っ暗…
朝8:20にホテルロビーに集合し、とりあえずはバスで、二水駅まで向かいます。朝になって気づいたことに、やっぱり台北を離れると、「蒸し暑い!」。首筋から汗が湧き出します。二水ののどかな駅では、台湾鉄道の整備員邱先生(大の鉄道マニアです)がお出迎えしてくれました。NAVIは初のジージー線乗車。たくさんの植物が見れるよと聞いていたのですが、たくさんの畑が周りに広がり、バナナ・たんぼ・グアバ・サトウキビなど、日本では見られない畑が周りに集まっています。鉄路はワイワイガヤガヤと歓声が上がる車両を載せて農作物が広がる線路を突き進みます。実はこの集集線の電車ちょっと特別で、芝油汽車という名で呼ばれています。軽油を使って走る電車のため、客車の上部に排気口がありますよ。
どうやら、このジージー線、昔は農産物の運輸が目的でつかわれていましたが、今は観光列車として稼働していて、集集駅と終点の車呈駅はその地域の村の観光開発として、乗り降り無料にしています。駅と地域が一体となって、村おこしをしているという点ではとても珍しく、日本も真似できるのでは!?乗り降り無料のため、改札はあっても、駅員さんはいません。
終点は昔林業で栄えた小さな集落。駅を降りると目の前には、渓流と緑の渓谷が立ちはだかります。この駅のそばでは、昔木の製材所があり、製材されると列車や河を使って街に運ばれていったんだとか。ここで一行は鉄道弁当を食べることに。ここの駅にしか売っていないヒノキの弁当箱入りです。
整備員邱さんが今日はずっと一緒に旅をお供してくれているのですが、実はいつもここで働いているんですって。ここというのは、彰化県にある電車・機関車の修理整備工場。日本時代につくられた扇型車庫があることでとても有名です。扇型車庫は京都にもあるんですが、京都の車庫に入っているのはすべて“機関車”、現在は博物館となっています。でも台湾のこの彰化にある扇型車庫は、なんと現在でもまだ実際につかわれていて、蒸気機関車のみではなく、ディーゼルや電車などもこの車庫にしまわれています。現在でもいろいろな車種が車庫に入るよう、車庫内部に二階の台ができていたり、もちろん、まだたくさんの人がこの扇形車庫を使って働いているので、修理の様子をその場で目にすることができます。まだ生きている博物館といったところでしょうか。京都のとは全く一線を画しています。実は来年にはもう使われなくなるこの車庫。この夏のうちに、今でも動いている扇型車庫を見にこれて良かった!
その後、整備員邱さんが連れて行ってくれたのは、社頭駅にある、福井食堂という小さな食堂。夜の六時にこのお店に電話したところ、「もう限定のお弁当は売り切れちゃってね、君たちツアー客の分しか残っていないよ」との返事が@@なんと儲かっていることか!見た感じはどうってことないのですが、話を聞くと、どうやら鉄道関係のお宝の宝庫なんだそうです。たとえば二階にある大きな時計は、台湾に三つしかない、日本時代の時計で、この時計を基準に台湾全体の鉄道ダイヤの時間が毎朝調整されていたんだそう。他にもとにかく語りだしたら止まらないお宝の品々がここには展示してあります。ご飯を食べに来るだけではもったいない!
その後は、普通列車で嘉義駅まで向かい、嘉義駅からバスに乗り換え阿里山を目指して出発進行! 途中に田中という駅がありました。田中さん必見!?
阿里山鉄道
この日はバスの中で仮眠です。なぜなら、阿里山の日の出を見るために朝4時起きだから。ねむい目をこすって外を見ると、暗い朝の四時なのに、たくさんの人が!こんなにたくさんの観光客が日の出を見に行くのかと逆にびっくりしたぐらい。
阿里山の日出を見に行くためには、阿里山駅から日の出列車に乗り換える必要があります。日の出列車は赤い車両。車体自体はとっても小さいので、列車の中は観光客で揉まれます!写真を撮ろうと思ったのですが、外が真っ暗なため、大した写真が取れず、残念な結果に終わりました。でも、帰り道でばっちり撮って帰ることができました。
阿里山は標高2500メートル。そして、ガケだらけの山の中に、日本統治時代の台湾人たちは、死に物狂いで線路をひきました。本当は、日の出線の他に、もう一本線があったのですが、地震の時に線路が破壊されてしまい、それ以降危険度も重なり、現在は修復されていません。実は、大木のヒノキを運ぶためにつくられたこの阿里山鉄道、更に東に進み、花蓮までつなぐという計画まであったんだとか。ナビは日の出もきれいだと思いましたか、阿里山鉄道に乗ること自体で、昔阿里山鉄道を作った人々への敬服の念がふつふつとこみあげてきて、心にのこるいい場所だと思いました。
さて、終点の祝山駅を降り、目の前の階段を上ると、すぐ目の前に、日の出展望台が広がります。何やらがやがや叫ぶ声が聞こえてくるのですが…実はこの展望台では、ボランティアで中国語の解説員が2-3人大きなメガホンを持って、止まることなく解説をしています。そうこうしているうちに山の稜線がドンドン明るくなってきます!太陽が出てくる瞬間ってあっという間の高速なんです!太陽っていつもこんなハイスピードで移動しているのかと、改めてこの世界の不思議を感じました。
その後、日の出鉄道でまた阿里山駅まで戻ります。今度は日が出ているので撮影も成功。
阿里山森林の散歩
それからまた阿里山駅に戻ってきてから、今度は歩いて、阿里山森林を散歩。実は昔この辺りには樹齢何千年ものたくさんのヒノキが生えていて、昔の日本人はこのヒノキを大量に伐採し日本に持って帰って行ったんだそう。明治神宮のヒノキは阿里山のヒノキを使っているらしいですよ。今でも数本その当時切り出されずに残った大きなヒノキが残っていて、そのあたりは遊歩道になっています。
遊歩道を下りていくとその先にあるのは、阿里山鉄道神木駅。実はこの神木駅には昔とてつもない大きなヒノキが生えていて、神木として崇められていたのですが、落雷により、倒れてしまっています。駅からはその倒れた痛々しい姿を今でも見ることができます。
新幹線で台北へ
昨晩は寝ていないので、あとはバスの中でとろ~りと仮眠。気がついたら、もう嘉義の高速新幹線駅、へとへとの体を押して、高速鉄道に乗りこみました。いやぁ、日本並みに静かな高速鉄道はとにかく眠気を誘います。座った瞬間からまたもや記憶がありません。気がついたら、列車はすでに台北駅に…まるで鉄道の夢を見ているかのような四日間でした。上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。
記事登録日 : 2008-05-05


















































































