台中市に残る日本統治時代の史跡で、当時は「武徳殿」と呼ばれていました
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台中には日本統治時代の建築物がきれいに残され、歴史建築の認定を受けている建物がいくつかあります。台中市林森路33号にある「台中刑務所演武場」は、1937年(昭和12年)に建てられ、2004年に台中文化局から歴史建築物として登録されました。建物は日本の武士道精神を台湾全土に広めようと建てられた武術場で、元々は「武徳殿」と呼ばれていました。当時台湾全土には8ヵ所の監獄がありましたが、台中ではその付属施設として「武徳殿」が建てられました。
台中にわずかに残る日本の武道館建築である「台中刑務所演武場」は、刑務官や警官が日常的に剣道や柔道の練習をする道場でした。1937年には「台中刑務所」と名前を変えます。2004年2月、台中市文化局が歴史建築物として指定登録した後、2006年11月に火災に遭い、演武場および刑務官の宿舎として使用されていた木造建築は全焼しました。その後、約3500万元をかけて修復作業が行われ、2010年にようやく修復が完了し現在の姿となっています。
200坪もある施設内の中央には百年老樹の姿もあり、館内には武術道具や火災で焼け残った当時の屋根瓦など貴重な歴史物の展示があります。日本語の説明も各所に見られます。
現在の様子
百年老樹のガジュマルや建物などは、多くの写真愛好家が四季折々をカメラにおさめに来ます。また朝昼夜と表情が変わる庭園は、いつ来ても心惹かれる魅力を放っています。
2011年11月1日、「歴史建築台中刑務所演武場」となってからは、元亨書院、亞洲研究院、童顏劇團、大觀茶書院、原始弓工作室、道禾劍道館などの「新六藝文化」の研究と実践を目標として、それらに関連した活動を積極的に行っています。
孔子の教え
《周禮》に記載されている「六藝」は、周代の貴族子弟の教養である「禮、樂、射、御、書、數」を指します。
春秋の晩期になって、孔子が庶民への教育を行い始め、六藝の教えは徐々に浸透していきました。「六藝之教」はすなわち「通才教育」と呼ばれ、文化教養だけでなく、自己と全体、天地の基本道理と向き合うことにつながるとされています。孔子は「六藝之教」の精神をもって、あらゆる角度から物事を見つめ、批判し継承してきました。演武場と言う歴史建築を蘇らせるために、「六藝文化館」と名付けたことには繋がりがあると言えます。
趣ある建物
【惟和館】台中市刑務所演武場の主な建物
剣道や柔道教室を中心に、各種茶会やアート、映画などの文化イベントに活用。