金峰郷(台東県)

金峰鄉

閉店・移転、情報の修正などの報告

村の中を歩くだけでも、パイワン族の文化と伝統を知ることが出来ます


こんにちは、台北ナビです。
今回は台東県の知本温泉を南下し、台鉄「太麻里」駅から徒歩20分くらいのところから広がる金峰郷へやってきました。ここは、台湾原住民パイワン(排湾)族のストーリーがいっぱい詰まっているところ。嘉蘭、正興、新興、賓茂、歷坵の5つの村から成り立っています。
金峰郷は、太武山の東の麓に位置した桃源郷で、太麻里渓、金崙渓、知本渓が交差する地点、大自然の豊かな恵みを受け、強い生命力を育んだ大地なのです。郷内にはヒャッポタを崇めるパイワン族とルカイ族が多く住み、太武山は彼らの聖地とされています。荘厳な太武山脈を切り開いてきた彼らは、台湾では山胞とも言われています。
 

パイワン(排湾)族


パイワン族は台湾全土で7万人強、台湾原住民で人口が3番目に多い民族です。彼ら民族の特徴は、貴族系統と平民系統との区別があること。貴族内にも家格の相違があり、首長(頭目)家はその最高位に立ちます。一村一首長、数村一首長、一村数首長などの形があり、長子相続が行われますが、長子は男とは限らないため、女性の頭目もいます。
また、百歩蛇(ヒャッポタ)は彼らの祖霊として崇められ、村の各所で絵や彫刻を目にします。頭が三角で目は金色の猛毒蛇ヒャッポタに噛まれたら、百歩歩くまでに命を落とすということからこの名がつきました。体にも三角模様があり、一見コブラと見間違えそうですが、違います。今では、幻のヘビと言われるほど見られなくなったそうですが、もしいたら?台湾では最高級漢方食材として使用されるらしいですよ。このヒャッポタ、貴族と神秘的な関係があると信じられているので、それを殺傷することは絶対にタブー。
新興小学校の門

新興小学校の門

ヒャッポタの彫刻

ヒャッポタの彫刻

頭目の家の石碑

頭目の家の石碑

新興国小

ナビたちは、まず金峰郷で一番大きな新興村から入ります。生徒はパイワン族の子供たちばかりという新興國小(小学校)に着きました。パイワンのことを知るには、まずこの小学校から始めましょう。正門の足元の石には、パイワン族の起源が彫刻され、中へ入って行くに従い、儀式や祭典の情景なども彫られています。校庭のいたるところに、百歩蛇の絵柄や文様があり、パイワンの人たちの民族の伝統や慣習を大切にする気持ちが見とれました。ほんとに細部に至るまで、そこかしこにパイワン民族に関係するものがあるため、ここで6年間勉強したら、子供たちは皆自分たちの文化や伝統に誇りをもち、大切に後代へも伝えていく人間に育っていくことでしょうね。
トイレにもヒャッポタ

トイレにもヒャッポタ

校舎の壁です

校舎の壁です

頭目の家族名がカタカナで彫られています

頭目の家族名がカタカナで彫られています

子どもたちは教室で授業中

子どもたちは教室で授業中

中庭にもヒャッポタ

中庭にもヒャッポタ

これは、性教育に使用するそうですよ

これは、性教育に使用するそうですよ

新興村


新興村は、一村数首長の形を保っているところで、糾佳阿斯家族、徳路那弗那弗克家族、史卡多家族、給你路谷洋家族、古沙査家族、邏法尼耀家族、巴法法瀧家族、都飛龍家族の4部落8家族の家が密集し、「撒布優部落」という部落を形成しました。撒布優(sapulju)は、パイワン語で「寂寥、寂寞」といった意味。各家族に一人の頭目がいるので、村の入口には、8人の頭目の像があるというわけです。8家族がそろったのは民国50年、今から約50年前のこと。彫像のモデルは実在の人物ですが、2011年1月現在、8人のうち生存しているのは、2人のおばあちゃんと1人のおじいちゃんだけだそうです。
8人の頭目の像、女性4人は頭目の奥さんです

8人の頭目の像、女性4人は頭目の奥さんです

「太麻理」駅から登って来た時の新興村の入口

「太麻理」駅から登って来た時の新興村の入口


村の入口で最初の頭目の家を見ました。
家の前の石の表札には、カタカナで住民の名が彫られています。この日頭目は不在でしたが、彼らの家の前にはもう一人の頭目の大きな石碑がありました。
 
頭目の家、外壁には絵が描かれています

頭目の家、外壁には絵が描かれています

岩の表札にはカタカナで住んでいる人の名があります

岩の表札にはカタカナで住んでいる人の名があります

もう一人の頭目の石碑

もう一人の頭目の石碑

給你路谷洋家族のおばあちゃんは、ナビと日本語で話してくれました

給你路谷洋家族のおばあちゃんは、ナビと日本語で話してくれました

坂を登っていく両側には、他の頭目たちの家もあります。途中、最初にこの新興村を自分たち部落の住居と決めた巴法法瀧家族の頭目が、持っていた杖を地上に刺したという場所がありました。民国39年のことで、そこには記念碑が立っています。頭目の子孫であるおばちゃんが話しをしてくれた後、皆にどうぞと米酒をふるまってくれました。小さな紙コップに半分しか入っていなかったので、グイと飲み干します。移住紀念碑を過ぎた後は、ひたすら坂を登っていきます。
 
記念碑もありました

記念碑もありました

ここが杖を指した場所!

ここが杖を指した場所!

杖はおばあちゃんの家の前

杖はおばあちゃんの家の前

邏法尼耀家族の頭目の家

邏法尼耀家族の頭目の家

徳路那弗那弗克家族の頭目の家

徳路那弗那弗克家族の頭目の家

表札はカタカナもあり

表札はカタカナもあり

撒布優部落を形成する以前、邏法尼耀家族は、布頓(Vukid)部落にいました

撒布優部落を形成する以前、邏法尼耀家族は、布頓(Vukid)部落にいました

パイワンのストーリーが家の壁に描かれています

パイワンのストーリーが家の壁に描かれています

祭典が行われる場所

祭典が行われる場所


途中パイワン族最大の祭典5年祭と言われる「人神盟約祭」などが行われる場所を過ぎました。伝説ではパイワン族の祖先は神界に向かい、女神に祭祀と農業を習うと同時に、五穀豊穣を祈りました。女神と一定の期間内にアワを焼き、降臨を請う事を盟約したという内容によって、祭典は執り行われます。人神盟約祭は15日間続き、部落の全男性が参加します。
毎年7月、14歳になった男女が頭目の指示の下、男はヤリ投げや射撃を、女は小米を頭に載せて歩いたりする「成人禮」の慣習が行われる場所もあります。
 
矢を放つ練習をする場所

矢を放つ練習をする場所

女性立ち入り禁止の集会所

女性立ち入り禁止の集会所

DIYの開始です!


ナビたちは、坂を登り切ったところのレストラン兼DIY教室で、原住民料理をいただきました。さっき飲んだ小米酒で顔がほてっているナビです。お祭りになると1日中これを飲むそうですから、お酒に弱い人にはきついですね~。  小米酒も販売してます。
米酒販売もあり

米酒販売もあり

米酒は試飲もできます

米酒は試飲もできます

ランチおいしかった!

ランチおいしかった!

米酒は、濃厚で甘みがあっておいしかったです 米酒は、濃厚で甘みがあっておいしかったです 米酒は、濃厚で甘みがあっておいしかったです

米酒は、濃厚で甘みがあっておいしかったです

食事の後、小物入れを作りました。各自が好きな柄を選ぶのですが、ナビが取った青いのは頭目のヒャッポタ柄。ヒモを通すだけなので簡単♪
  

ハイビスカスの砂糖漬けを作りました


ハイビスカスの季節は5月~12月で、午後になると花がしぼむハイビスカス。ここでは、ハイビスカスのつぼみを自分で採って、砂糖漬けにするDIYがあります。ハイビスカスは、暑気あたりに効き、解毒作用もあります。消化を助け、生理痛も改善できます。蜜せん、酢、ジュースなどの食品以外に、美容液やパックなどにも使用されているんですね。
 
まずは、ハイビスカスを摘みにGO!各自が手袋を片手に、鋏とビニール袋を持って、出来るだけ大きいのを22個!と言われたので、大きいのを探し、その後実を取り出しました。袋に塩を入れて水道水で2回きれいに洗います。その後は、ハイビスカスをプラスティック容器に詰めるだけ。詰めながら塩を少々、砂糖をどっさり入れて後はきっちり蓋をして、2週間後には食べられるそうです。ハイビスカスそのものはとても酸っぱい味なので、漬けこむほどに甘酸っぱくなるということですね!楽しみ!
 
見渡す限りの赤い花

見渡す限りの赤い花

ビニール袋と手袋、はさみ

ビニール袋と手袋、はさみ

大きいの見っけ

大きいの見っけ

パチン!

パチン!

花の中の緑の実を押し出します 花の中の緑の実を押し出します 花の中の緑の実を押し出します

花の中の緑の実を押し出します

塩もみしてからきれいに洗います 塩もみしてからきれいに洗います

塩もみしてからきれいに洗います

砂糖を入れて、塩を少し入れて、ハイビスカスを入れて、を数回繰り返し、約22個、中に押し込みます! 砂糖を入れて、塩を少し入れて、ハイビスカスを入れて、を数回繰り返し、約22個、中に押し込みます! 砂糖を入れて、塩を少し入れて、ハイビスカスを入れて、を数回繰り返し、約22個、中に押し込みます!

砂糖を入れて、塩を少し入れて、ハイビスカスを入れて、を数回繰り返し、約22個、中に押し込みます!

村には漂流木の工房や祭典が行われる広場があります 村には漂流木の工房や祭典が行われる広場があります

村には漂流木の工房や祭典が行われる広場があります

ハイビスカス(洛神花)イベント



毎年11月にハイビスカスにちなんだイベントがあります。
詳しい日程などは金峰郷公所(電話:(08)975-1144)へお問い合わせください!
 11月中のイベント時には、シャトルバスも走ります。

正興村

家の前には、芸術家の紹介があります

家の前には、芸術家の紹介があります

 
太麻里からさらに山へ入ったところに、正興村がありました。ここの村は陶芸家や彫刻家が多く住み、さながら小さな芸術村を形成しています。昔パイワン族の女性は、手の甲に入れ墨を入れ、その刺青で部族内の地位を表したそうですが、刺青を入れた大きな手の彫刻がとても印象的でした。
正興村は、卡拉達蘭(KA LA TA LANG)(介達)部落、比魯(BI RAU RAU)(密老老)部落、多里多里部落(DU LI DU LIK)、巴霧莫里部落(PAU U MU LI)の4つの部落で形成され、パイワン族85﹪、ルカイ族10﹪、その他漢人5%。
刺青の手

刺青の手

村の入口

村の入口

長老教会

長老教会

康さんの家

康さんの家

こんなとこさえ凝っています

こんなとこさえ凝っています

書道家の家

書道家の家

小学校もあります

小学校もあります

素晴らしいですね

素晴らしいですね

ガイドさんがくわしく説明してくれます

ガイドさんがくわしく説明してくれます

すばらしい彫刻!

すばらしい彫刻!

陶芸家、麥承山さんのうち

陶芸家、麥承山さんのうち

ご本人がいらっしゃいました

ご本人がいらっしゃいました

嘉蘭村


嘉蘭村は、台湾で2009年8月8日に起こった「八八水災」で、多くの人たちが家や家族を失いました。
太麻里にある「88希望文化創意園区」は、生き残った彼らの手作り工房。パイワン族の特色が強く出た工芸品はとても美しいのです。   
「88希望文化創意園区」の裏に工房があります 「88希望文化創意園区」の裏に工房があります 「88希望文化創意園区」の裏に工房があります
「88希望文化創意園区」の裏に工房があります 「88希望文化創意園区」の裏に工房があります 「88希望文化創意園区」の裏に工房があります

「88希望文化創意園区」の裏に工房があります

太麻里の渓谷に沿って位置する嘉蘭村は,原名「布魯布魯深」(PULER PULRE SHEN)といい、7つの部落から形成されています。日本統治時代の原住民政策により、彼らは知本溪、麻立霧溪、馬奴蘭溪、麻利都部溪に強制移住させられました。
現在は、卡阿麓灣部落(KA A RU WANG)、馬達拉麓部落(MA DA LA RU)、讀魯德德個(DU RU DER VER DER VER K)、以上の部落は、知本溪。麻利普魯部落(MA LI VER LER)は麻利霧溪。法麓路部落(VA RU RU)、讀魯烏外部落(DU RU U WAY)は、馬奴爾溪。馬勒德伯部落(MA LER DER POU)は、麻利都布溪。ほとんどがパイワン族で85%、屏東県の霧台郷から移住してきたルカイ族が10%。その他の民族と漢人は5﹪となっています。
 
賓茂村
讀古佛勒部落(DU KU VU LER)、多麼樂部落(DU MO LER)、都利富安部落(DU LI VU AN)、馬那尼開部落(MA NA NI GAI)、給少少部落(GI SAU SAU)、給林部落(GI LING)の6つの部落から成り立っていて、以前は、パイワン族が95%を占めていましたが、今は85%ほどで、残りはルカイ族です。
 
歷坵村
昔の名は、「魯拉克斯」(RU RA KER S)といい、賓茂村と同じ民族配分で一個の小さな村となっています。この村は、金崙温泉に一番近い村でもあります。
 
パイワン族の文化と伝統がいっぱい詰まった金峰郷。原住民文化に興味のある人、台湾のいろんなことを知りたい人、台北とは全く異なった台湾に触れてみたい人…いかがですか?ナビは長く台湾に住んでいますが、ここは小さな国ながら、いろんな民族の様々な文化が混在しているんだなと、新たな発見をしました。

以上、台北ナビがお伝えしました!

記事登録日:2011-12-08

ページTOPへ▲

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

スポット登録日:2011-12-08

スポット更新日:2014-09-27

チェックイン日
宿泊数
部屋数 部屋1 大人 子供

関連記事

太麻里でパイワン族の集落めぐりとDIY

太麻里でパイワン族の集落めぐりとDIY

台鉄「太麻里」駅を降りたら太平洋が広がっていました!ここは有名な日出スポット!