金門の見所は語りつくせないほど、その歴史と背景を知ると、奥の深さに魅了されます
こんにちは、台北ナビです。台湾でありながら、中国福建省の沿海に位置する金門。大小合わせて15の島から成る、この鉄アレイのような形をした小さな島は、独特な歴史を抱えながら現在に至っています。金門の人たちの身分証には福建省金門県と明記され、島内には、金門県政府と福建省政府が存在。この複雑な関係は、金門の歴史を知れば知るほど、その奥深さに考えさせられます。
宋や明の時代には文官が活躍し、清朝は、軍事的功績を残した武将の時代でした。1900年代に入る頃には、多くの金門人が東南アジアへ移り住み、この地は華僑の故郷となっていく一方で、中国共産党軍と対峙する戦争の最前線地としても位置づけられました。1994年になって、外国人の観光も解禁されたことで、年々金門を訪れる観光客の人も増えています。そして、ナビも再びこの地にやってきて、更に金門を知る旅をしてきたのです。
金門県長李沃士氏にお会いしました!
金門観光は、歴史、戦地、生態の3種の大きなテーマに分かれます。日本からの観光客の方もお待ちしています!
以下、金門島内観光の方法のいくつかをご紹介します。初心者は、観光バスに乗るのも一つの手。金門島がA~Dの4つのエリアに分けられ、午前と午後の各4時間ずつ。運転手さんが観光ガイドで、すべて中国語ですが、2日間で金門島をじっくり一周することができます。費用は1日200元~、2日なら350元~。要確認。予約が必要、電話:(082)332-814 0800-822-823
★ www.kcbfa.gov.tw 金門県公共車船管理処(料金を確認してください)
★自転車は島内に5つのコースがあり、レンタル料は無料。急がない人は、自転車の旅も楽しいものです。
★金門は、車をチャーターしたら、1600元/1日(5人以下)、2000元/1日(9人以下)で運転手さんがガイドも兼ねて回ってくれます。お問い合わせは、0911-627-632.他にも大新小客車、電話:(082)324-128、バイクレンタルなら、1日300~500元で、金馬租車、電話:(082)324-518など数社があります。
★金門へ向かう国内線は、立榮、華信、復興、遠東航空が、台北、台中、嘉義、台南、高雄から飛行しています。また、週に2回、澎湖~金門間のフライトもあるので、離島を2つ楽しむこともできますね。ただ、金門旅行は濃霧や台風の影響で飛行機が飛ばなくて、3日間の予定が5日になってしまったなどの話しもたまに聞くので、旅の時期や天候などは常にチェックしておきたいものです。金門空港 電話:(082)322-381、(082)322-380
電話:(082)313100
翟山坑道へ
昔から戦争の最前地にあった金門は、同じような境遇の馬祖と似ていて、島内には坑道(トンネル)といわれる船を停泊させたり、誘き寄せて閉じ込めたりする海へ面したトンネルが各所にあります。翟山坑道は、1963年に勃発した「八二三砲戦」の後、中国との関係が緊張化したため掘られました。工事には3年を費やし、完成後は海軍が船を停泊させていましたが、1986年廃止となり、1997年戦争の史跡として、金門国家公園の管理下に置かれることになりました。全長357m。現在は、内部を7色のLEDライトが点灯し、洞窟の中の幻想的な世界を作り出しています。坑道園内では、当時の海軍船艇や武器などの展示も見られます。
住所:金城鎮古城里 電話:(082)313-241 開放時間:8:30~17:00 無料
文台寶塔
昔日、金門近海を航海する船の指標となり、現在は古跡として認定されています。花崗岩で作られた塔は五層で、六角形をかたどっています。石には大きな文字で「國之金湯」と掘られていますが、これは書の大家である張大千が題したものです。階段を登った先には、茶葉蛋ならぬ高粱蛋が一個15元で売っていました。高粱を煮詰めるとこんなに茶色くなって、おいしくなるんですね。
住所:金城鎮古城村金門城南磐山南端
金門高粱酒史館
そもそも金門の高粱酒は、インドネシア華僑の葉華成氏が、この地で地酒を作り始めたことが発端となっています。1953年、海外で商売のノウハウを得た葉氏が技術課長となって、「九龍江酒廠」を設立しました。1956年に「九龍江酒廠」は「金門酒廠」に改名。当時高粱酒を作るのに必要なきれいな水の井戸の跡が、葉氏家族の住んでいた家の前にありました。この場所は、文台寶塔の後方で、隣は高粱酒金城工場です。
かつて金門古城を基点として、城郭の東西南北に門が設置されていました。南門は、金城工場の門として現在も使用され、反対側には北門が見えます。清の康熙帝の時代になって、政経の中心は後埔に移り、城は没落していきましたが、古城跡と当時の人々が金門第一街と呼んでいた老街の名残りは、僅かに残されています。この日は老街も歩けないほどの大雨で、残念ながらいい写真が撮れませんでした。
食事
金門には、美食がたくさん。特に海鮮が一番安いといわれる、ある意味贅沢なところでもあります。金門グルメのために、ナビもまたここへ訪れたいと思うほど。この日は海鮮がどっさりと入った雑炊や麺線。雑炊は昔各家で、残っている食材をいろいろ入れて豪華に見せるためのご馳走だったそうです。今日のは、フカヒレも入っていました。他にも具材たっぷりの牡蠣卵。金門にしかない肉の缶詰で煮込んだタロ芋。見たことのない貝、甘いサツマイモ等などに舌鼓を打ちました。うまかった~。
阡湖海鮮餐廳 住所:金城鎮古城村金門城5-1号 電話:(082)320-912
他にもオススメのレストラン:ネギ餅や牡蠣麺線、金門名物のカニ料理、金門近海で獲られた黄魚と小さな魚団子のスープがおいしかったです!
老六小館 住所:金城鎮民権路65号 電話:(082)324-068
おやつは?
金門のお菓子も有名ですね。一番は何と言っても「貢糖」ですが、甘いのでちょっと重く感じます。模範街には、有名な焼餅の店があり、実は前回朝早くてまだ作り始めてなかったのですが、今回はもう売り終わったとのこと。ナビ、よっぽど縁がないのかしらん。金門最高の焼餅は、模範街を入って5軒目くらいの右です。
ガイドをしてくれた李さん
もう一軒オススメしたいのが昔ながらのお菓子の店。麻花捲や花生佬、芝麻佬など、どれも大きなサイズではないので、1種類ずつ買ってみたナビ。台北に戻ってあっという間に食べてしまい、もっと買っときゃよかったと後悔した次第です。
長合食品行 住所:金沙鎮三民路24号 電話:(082)352-053
民宿
金門は、国家公園が修繕費用を捻出し、昔の民家を上手に民宿として再現させているところが増えていますが、近年旅行客の数は年々増加。新しいタイプの民宿も次々と作られてきています。が、宿泊施設にバスタブがあるところが少ないのが、冬場台湾本土より寒いここ金門にはどうかと思われます。民宿は朝ごはん付きですが、民宿内で作って出すというのではなく、外で買ってきたものを宿泊客に提供するというのが一般的です。
慈湖三角堡
金門の古寧頭慈湖にある「三角堡」は、中国大陸と向き合った場合、第一線の拠点とされていました。後に国家公園の管理の下、きれいに整備され、現在は慈湖の風景の一部として、また夕陽が美しく見えるスポットとして生まれ変わりました。お天気のいい日には、隣の小金門島の向こうに中国の山々を望むことができます。
慈湖に掛かる橋は、慈堤といいます。
南山聚落・北山聚落
南山と北山の集落は、李族の集落とも言われています。金門には、大きな集落が5つありますが、集落は同姓いわゆる親族一族で形成された後発展していくので、集落内には、その苗字を持つ人たちを守る神様の廟もあります。神様には集落内の人たちが朝夕順番でお線香をあげています。南山は素朴な村の雰囲気を醸し出していますが、かつては数千人もいた村が、1949年の古寧頭大戦という中国共産党との激戦の地に近かったため、その後人口が減っていき、今では100人にも満たないそうです。
南山集落の花崗岩を用いられた建築様式は、屋根や外壁に独特の特徴を持っています。伝統的な古い家屋の屋根は、燕尾式のとがった形と馬背式の丸みを持った形の2種類の特徴があります。建物全体の構造は、1落、2落、3落(落は棟に相当)と呼ばれる形や屋根の上に更に屋根があるような形、入口が引っ込み両側が突き出た形、2棟が向かい合った形などが一般的。更に家屋に施された粘土、レンガ、彩色、彫刻は、閩南建築様式の美しさを一層引き立てています。老人たちの憩いの場として活躍する広場には、三品井といわれる有名な井戸があり、現在も使用されています。
北山集落は、南山と双鯉湖を挟んだ場所にありました。最初に目に入ったのは、1949年の「古寧頭大戦」と1963年の「八二三砲戦」で大攻撃を受けた北山古洋楼です。外壁の弾痕の跡に衝撃を受けました。1928年、李金魚によって建てられたこの建物は高台にあるため、絶好の標的となったわけですね。
さて、入口のほうへ回ると、向かって左は中華風、右は洋風の建物であることがわかりました。聞くところによると、左は正妻、右は2番目の妻が好んだスタイルにしたそうで、右の方は左に勝つために、壁には大正スタイルという新しい窓の様式を取り入れたり、上部には福や禄などの縁起のいい文字を掘り込んだり、色彩豊かで、左より目立とうとする精神が伺えます。
北山古洋楼 住所:金寧鎮北山村55-3号
大きなおうちです
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弾の跡が痛々しい
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右は洋風です
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派手だったようです
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さらに行くと、古寧頭記念碑がありました。ここは林厝というところで、かつての激戦地。記念碑の中の浴血という文字に、凄惨だっただろう戦いの情景が思い浮かばれます。
山后民族文化村
王氏一族の集落へやってきました。日本の神戸に渡り、貿易で大成功を収めた王明玉の2代目が1876年に戻り、故郷の地に25年掛けて、海珠堂という王一族のための学び舎と16戸の集落を作りました。敷地面積1230坪、閩南の伝統的な二落式様式で統一されました。海に面した「五虎山」の山肌に建てられたこの集落は、後に清朝後期の金門を代表する建築様式として名を馳せ、現在は「民族文化村」と呼ばれて観光客が後を絶ちません。集落の一列目は、観光客向けのカフェや金門名産の一條根や一條龍という名のリュウマチに効く漢方薬の店、牡蠣オムレツや麺線の店があります。カフェと1戸の民宿は外部の人の管理下ですが、店を開いている人たちは皆王一族の末裔なのです。
山后民族文化村 住所:金沙鎮山后民族文化村 電話:(082)355-347 開放時間:8:00~17:00
方亭珈琲 住所:金沙鎮山后民族文化村―山后67号 電話:(082)352-258
この日は、中国璋州の子供たちが研修旅行でたくさん来ていました
以上、台北ナビでした。